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「何がうまくできないんだい」
「空気を読むとか、人間関係とか、そういうの」
どう話せばいいか悩んでいたというのに、一度言葉にしてしまうと、堰を切ったように言葉が流れ落ちてくる。目の前の優しい神様ならば、すべて受け入れてくれると知っているからだ。
「嘘なんてついてないし、だめだと思うことをだめだと伝えたかった。でも、そうしたらまた変な目を向けられた。ずっとうまくできなかったから、中学に上がったら今度こそと思ってたけど……ここでもきっと、明日からひとりぼっちだ。なんでうまくできないんだろう。魔物の声が聞こえるのはそんなにおかしなことなのか? 決まりを守ってやるべきことをやるのがどうしていけないんだ? 俺にはみんなの言葉の方がよっぽど難しい。空気を読めって言われるけど、『空気』ってなんなんだ? 分からないんだ」
言っていて、己の情けなさに涙が滲んできた。けれど澄也がそれを隠すより先に、白神様の指が涙を拭い取っていってしまう。さらりと髪を揺らして、白神様は澄也とじっと目を合わせる。澄也は、真正面から見るこのひとの目が大好きだった。金色の瞳がまっすぐに澄也だけを見つめてくれるその瞬間、すべてのことがどうでもよくなるような幸福感を覚える。語られる言葉すべてに自然と耳を傾けたくなるのだ。
「いいんだよ」
「……何が?」
「分からないことがあったっていいんだよ。坊、お前の正直で素直なところは美徳だ。誇りこそすれ、恥じることはない。周りの声に煩わされなくたっていいんだ」
「でも、何度も同じことを言われる。それは俺が間違ってるからじゃないのか。きっと俺が何かおかしいことをしているからだ」
「何もおかしなことなんてないよ。ヒトは群れで生きるから、異物を弾く性質があるというだけの話さ。幼ければなおさらその本能は強い。坊の清らかさは、有象無象の目には眩しくうつるのだろうよ」
あとほんの少し歳を取れば、排除するのではなく汚してやりたいと思う輩が増えるだろうけど、と白神様は口元を袖で隠しながらくすりと笑う。
「よく分からない」
「坊は何も悪くない。だから、そのままでいいということだよ」
神様の言葉はどこまでも柔らかくて優しい。
「本当に?」
「もちろん。坊は私が信じられない?」
「まさか。白神様は俺の神さまだ。信じてる」
「相も変わらずいい子だねえ。誰彼構わず信じて、騙されても知らないよ」
「信じてほしいのか信じてほしくないのかどっちなんだよ」
からかうような言い方にじとりと視線を向ければ、くすくすと白神様は笑った。
「さあ、どちらだろうね。私は気まぐれなんだ」
「知ってるよ。……あーあ、白神様とずっと一緒にいられたらいいのにな。学校なんて行きたくない」
弱音に交えて甘えをこぼす。白神様は微笑んだまま、しかしはっきりと首を横に振った。
「学校で色んなことを学ぶのが楽しいのだと言っていただろう。私もそんな坊を見るのが楽しいんだよ。学んだ知識はお前を磨いて育ててくれる。学ぶことが好きなら、学びなさい」
「じゃあせめて、ずっとここにいたい。寝るだけの部屋になんて戻りたくない。泊まらせてくれたっていいのに」
「だめだよ。風邪を引く」
「子どものときに一度引いただけじゃないか。風邪なんてもう何年も引いてないよ」
「今も子どもだろうに。そんな顔をしたって、だめなものはだめだよ」
柔らかい口調だけれど、その声には有無を言わせない力があった。一度わがままを押し通して神社で夜を越し、体調を崩してからというもの、白神様は二度と澄也を泊まらせてくれなくなった。自業自得ではあるが、不満に思わずにはいられない。
「……いつもそればっかりだ。いつになったら泊まっていい?」
「坊が大人になったらね」
「けち。いつまでも子ども扱いしないでよ」
子どもそのものの口調で詰れば、白神様は目を細めてくすくすと笑った。
ずっと一緒にいたいと告げるたびに笑顔ではぐらかされるけれど、澄也はそんなつれない白神様のことが大好きだった。
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