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朝起きてもママの姿はなかった。 昨日は帰って来なかったらしい。 まぁ。知らない男と一緒に戻ってくるくらいならいない方がましだ。 僕はパンを焼きながら顔を洗い歯を磨いた。 バターをつけようと冷蔵庫を開けるが、バターは何処にもなかった。 「あ」 カビバターはママに食べさせた後で捨てたのをすっかり忘れていた。 ママにお願いして新しいバターを買ってもらわないといけない。 僕は書き置きをして支度を済ませた。 時間が来て家を出て学校に向かった。 その途中で聞き覚えのある声が聞こえた。 僕は足を止めその声のする方へ足を向けた。 声は橋の下の方からだった。 欄干から下を覗くとそこには石山と須藤が1人の男子を突き飛ばしている所だった。 突き飛ばされた小学生はランドセルから文具や教科書が飛び出した。 それを見た須藤が駆け寄り教科書を蹴飛ばした。 石山は笑いながら、他の文具を拾い上げ河に向かって投げ捨てる。 僕は急いでそちらに駆けていった。 河川敷を走り降り、怒鳴りながら2人の方へと向かっていった。 2人は駆け寄る僕に気づくとバーカと言いながら、逃げて行った。 「大丈夫?」 僕が手を差し出すとその男子は首を横に振った。 それが大丈夫でないという意味なのか、差し出した手がいらないという意味なのか分からなかった。 出した手を引っ込めた。 ランドセルから飛び出した残りの教科書やノートを拾う。 汚れを払い、男子に手渡した。 「ありがとう」 「君、名前は何て言うの?」 男子の名前は森川優希と言った。 どこのクラスの子かはわからなかった。 「僕は新道タクミ。よろしく」 手を出したけど掴んでくれなかった。 何か恥ずかしかったから、直ぐに手を引っ込めた。 「あのさ。森川君ってもしかしてアイツらに虐められてる?」 森川優希は首を横に振った。 「いきなり、後ろから蹴られて…」 森川優希の話によると、毎朝、橋の下にいる野良猫の子供に餌をあげているらしく、それを偶然、見つけた2人がやって来ていきなり蹴られたらしかった。 「今度、又、虐められたら僕がやっつけてやるから」 今度はヒビが入るくらいじゃ済まさない。 「骨を折ってやる」 そう言うと 森川優希はニコッと笑った。 その後、野良猫の子供がいる所まで案内してくれた。 森川優希は腰を落とし雑草をかき分けた。 子猫は4匹いて、どの子猫も産まれたばかりのようだった。 森川優希はその中で1番小さく弱い子猫の首を摘み自分の目の高さまで持ち上げた。 「早く目を開けてくれないかな」 「すぐに見えるようになるんじゃない?」 「僕ね。こいつ達が産まれて初めて目にするものでいたいんだ」 「初めて?どうして?」 「一生、忘れないだろうから」 「一生忘れないって、僕は産まれて初めて目にしたものなんて覚えてないよ」 「そうじゃなくてさ。初めて目にしたものってきっとそれ自体が世界の全てになると思うんだ。だから子猫にとっての世界の全てが親じゃなくて僕であって欲しい。だってそう思わない?親は野良猫だよ?食べ物だってろくに食べられないじゃない?そんな親猫を、子猫達が初めて目にするものにはしたくない」 さっぱり意味がわからなかった。 「後は僕が忘れない為でもあるけどね」 森川は摘み上げた子猫を元に戻すと、又、別の子猫を摘み上げた。 「こいつもまだだね」 4匹とも確認した森川優希はランドセルを下ろして筆箱を取り出した。 ポケットに手を入れ何かを取り出した。 カッターナイフだった。 それを筆箱にしまうとランドセルにしまい背負い直した。 「早く行かなきゃ遅刻しちゃうね」 どうしてポケットになんかカッターナイフを入れていたのだろう?と不思議に思った。 けど、さっき石山達に蹴られた時にランドセルから飛び出して筆箱が開いて落ちたのかも知れない。 ただ森川優希はそれをしまい忘れたのだ。 森川優希は異常なくらい歩くのが遅かった。 「さっき蹴られた時、怪我でもした?」 「してないよ」 「なら早く行こう」 「無理だよ。僕ね走れないからさ」 そう言い、自分の右足を指差した。 「ねえ。タクミくん、僕の足みてよ 可笑しいでしょ?」 優希の右足の爪先は体の前に向いているのではなくほぼ真横に向いていた。 膝下から変な方向に曲がっていた。 「足、どうしたの?」 「生まれ付き曲がっていたんだ」 「そうなの?」 「うん」 「そんな足だったら駆けっこ出来ないじゃん」 「そこ?」 優希は言い笑った。 「え?何か可笑しい事いったかな?」 「うん。普通の人からしたら、かなり可笑しい事言ったよ」 「ご、ごめん」 「大丈夫。ほとんどの人は僕の足の事を知ると可哀想だって言うからさ。馴れっこだよ。 「本当、ごめんな?」 「気にしないでいいよ。僕の足は曲がってる。それが現実だから仕方ないよ」 「手術とかで治らないのかな?」 「わかんない。でもどうかな。治るなら治したいけどね。でも、家、貧乏だから多分無理だよ」 優希は言い、足を引きずりながら歩く。 「心にもない事を言われるのは、いい加減飽き飽きしてた。ほっといてくれって思うよ。なのにタクミ君は心配するより先に駆けっこが出来ないじゃんて。それってKYだけど、でも面白かった。本当、駆けっこ出来ないからさ」 返す言葉が見つからなかった。 恥ずかしくて顔が火照って来た。 「確かに僕も皆んなみたいに走れたら楽しいだろうなって思うけど、実際には無理だからね。体育も出来ないし運動会だって出れないし…でも、悲しくはないよ。出来ない事はあるけど、その分、皆んなが気づかない事に気づけるからね」 「例えば、何?」 「当たり前だと思ってる事は実は当たり前じゃないって事とか」 「どう言う事?意味わかんないんだけど?」 「あはは。その内わかるよ」 森川優希はそう言った。 河川敷を上る時、上がりにくそうだったから手を差し出した。 「タクミ君、ありがとう。でも大丈夫。手助けはいらない。自分で出来るから」 そう言って優希は1人で河川敷を上った。 息を切らしながら優希は僕に「 今のうちから何でも1人で出来るようにしておかないといけないと思うんだ」と言った。 その何でもが、1人で上る事だという事は僕でもわかった。
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