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Cheers
智が仕事を終えて家に帰ると、いつもいるはずのハルがいない。在宅ワークのハルは基本的にずっと家にいて、まして智が帰宅することにはいつだって温かい手料理を準備して待ってくれているのに。
ハルがいない、ただそれだけのことで、ひどく取り乱し心細くなってしまう。そんな自分を情けなく思っていると、背後で鍵の開く音がした。ハルが息を切らしながら帰ってきたのだ。――なぜか花束を抱えて。
「遅なってごめん。今日、一緒に暮らし始めて一か月!」
そうだったっけ、と首を傾げる智よりも、ハルのほうがずっと嬉しそうで、余計な心配だったとすぐに智は気がついた。
「えーちゃんが戻るまでには帰っとこと思とってんけどな、花屋が混んでてなあ」
立て続けに喋りながらいそいそと夕餉の準備をしている。その間智と目を合わせないのは、もしかすると気恥ずかしいのかもしれない。
智はそんなハルの様子にほっとしながら、手渡されたままだった花束に目をやった。可憐なピンクと、淡いクリーム色のチューリップ。チューリップといえば、なんだか幼稚園の名札や小学校の入学式のイメージがあるし、チューリップがハルに似合うとも思えず、智は不思議に思う。
「にしても、どうしてチューリップなんですか?ハルさんにしては可愛すぎませんか?」
智が問いかけても、ハルは背を向けたままで、コンロや冷蔵庫の間を行ったり来たりしている。そして一言ぽつりと
「ググれ」
とだけ答えた。
どうしてハルがチューリップを買ってきたかの答がどうしてネットに載ってるのか、と憤りにも似た疑問を抱えつつ、智は言われたとおりにスマートフォンで検索を始めた。
ようやく意味がわかった頃にはディナーの準備が整っており、湯気を伴って漂ってくる美味しそうな匂いが空腹を加速させた。テーブルの上には艶やかなチョコレート色のビーフシチューとハードパン。
「え、これハルさんが?」
ハルが作るのはもっぱら和食専門で、ビーフシチューなんて珍しいのだ。
「なんか記念日っぽくしてみたかってんやろ」
照れているのか、吐き捨てるように言うとぷいと顔を背けて、パントリーへグラスを取りに行った。
「えーちゃん肉好きっぽいしな」
「大好きです」
「せやろ~。しかし肉食のくせにあっちのほうはてんで……」
「肉もですけど、ハルさんも」
「ファッ?」
「ハルさんも、肉と同じぐらい好きです」
「わはは! それ、喜んでええんか?」
口ではそう言っていても、ゲラゲラ笑うハルはとても嬉しそうで。
思惑とは違ったふうに伝わってしまったかもしれないけれど、自分の言動が好きな人を幸せにするということを改めて実感する智だった。
「乾杯しよ」
ハルのグラスにはワイン、智のグラスにはノンアルコールのシャーリー・テンプル。
「はい」
一か月記念と、始まったばかりのふたりのこれからに。
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140字SSで書いた続きを書きました。
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