数え切れない『ありがとう』

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 ハルが徳利を取ろうとするのを遮って、智が徳利をもち、ハルには猪口を渡した。 「最後、お酌させてください」 「ん、ああ、ありがとう」  ふふっ、とまた智が笑ったので、さすがのハルも怪訝そうな顔になる。 「なんなんさっきから」  智が今笑ったのは、またありがとうカウントがひとつ増えたからに他ならない。 「いえ、なんでも」 「気色悪いなあ」 「ひどくないです?」 「そらわけもわからんとグフグフ笑われたら気色悪いやろ」  余りに言われように、智はしかめっ面になりかけるのを、なんとか抑えた。 「……今日、ありがとうって、いっぱい言われたなと思って」 「そらそんだけえーちゃんが俺にいろいろしてくれたからやろ」 「そんなこと、ないですよ」 「いやいやあるって」 「僕だって、ありがとうですよ」 「うん、さっきも聞いたで」 「生まれてきてくれてありがとうですよ……!」  声を絞りきるように言い放つ智に、ハルは少しだけ引いた。 「いやいやいくらなんでも大げさやろ、それオカンが子どもに言うやつやん」 「だって、生まれてきてくれてなかったら、こうして出会うこともなかったでしょ? 違います?!」  恥ずかしいのか昂っているのか、智に口調はややキレ気味である。 「う、ん、せやな、うん」 「だから、僕からも、ありがとうなんです」 「そうかそうか。ありがとうな」  智が酒を飲んだはずがないのだが、と訝しみながら、ハルは隣に座る智の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。 「なっ、お店ですよっ」 「個室やん」 「でも、いつお店の人が……」 「人払いしてるから大丈夫。せやしそんな大胆なことせえへんて」  言葉通り、と言ってよいのかわからないが、ハルは智を引き寄せたまま軽く唇を重ねると、すぐに智を解放した。ハルにとっては大胆でもないことだったが、智はそれだけで既に真っ赤になって俯いてしまった。あまりにももじもじと下を向いたままなので、ハルが心配になって覗き込むと 「つ、続きは、帰ってから……」  さらにもじもじと困ったようなそぶりで、潤んだ瞳に見つめられてしまったものだから、ハルもついついボルテージが高まってしまった。 「今日イチの『ありがとうございます』!」  店中に聞こえそうな大声になってしまい、智の逆鱗に触れてしまうこととなるのであった。 【おわり】
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