二日目

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〈秋の夜虫の()だけが空に満ち人間たちは押し黙りをり〉  暗い夜の中では月や虫くらいしか詠むものはない。どうしようかと考えながら、虫の声に耳を傾ける。蝉の命は短いとよく言われるが、実は秋の虫たちも短命らしい。短い生を謳歌するためにあちこちで合唱しているように思えてくる。 〈人間が黙っていても虫たちは生を喜び声を重ねる〉  相沢さんは微笑みながら小さく頷いている。周りに誰もいないのだから声を出してもいいはずなのに、まるで暗黙の了解のように表情だけで感想を伝えてくる。相沢さんは再びスマートフォンの画面に目を落とし、指を動かし始めた。 〈竹生島フェリー降りても耳に棲む近つ淡海(あふみ)の遠き波の()〉  今度は昼に見た竹生島の歌だった。相沢さんにしては素朴な歌だ。竹生島を歌に詠むなら、私の指は迷うことなくあの光景を三十一文字で描いていった。 〈宝厳寺長き石段下りながら近つ淡海に飛び込んでいく〉  私の歌を受信した相沢さんは目を見開き、口角を大きく持ち上げて笑みを作った。笑顔のまま私に向かって親指を立てて見せる。今まで歌を詠んでそんな反応をもらったことはないので、なんだかこそばゆかった。  私たちの間に声はなく、歌だけが往来していた。星を詠んだ相沢さんへの返歌として〈秋の夜に光を放つ長四角地上に落ちた双子星かも〉と打ち、私と相沢さんを一つの単位としているような歌が恥ずかしくなり、送るのをやめた。 「……もう思いつかないです」
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