最終日

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「うわ、すごい」  タクシーが目的地に到着し、車から一人ずつ降りるたびに歓声が上がる。道路の向こう側には琵琶湖に浮かんでいるような鳥居が見えた。早朝の白鬚神社をお参りする人影はまばらで、その静けさが目の前の風景の荘厳さを際立たせていた。  私の目元にはいつの間にか涙が浮かんでいた。あくびや眠気のせいではない。この朝の風景に感動しているのだ。感動して涙が出てくるなんて、冷血動物らしくない。早朝の青い風景の中で、昇ってくる太陽が相沢さんの輪郭を浮かび上がらせていた。  昨晩部屋に戻ったとき先輩たちはすでに布団の中だった。恋バナに巻き込まれずに済んだのだと安堵しながら私も布団の中に潜り込むと、スマートフォンにメッセージが届いた。先ほどまで相沢さんと歌のやり取りをしていた画面に新しい歌が追加されている。相沢さん自身が詠んだ歌ではない。そこに書かれていたのは百人一首の十四番だった。 〈みちのくのしのぶもぢずり(たれ)ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 河原左大臣〉 「しのぶもぢずり」は福島県で作られていた染物で、石にかぶせた布に染料を擦り付けて作られる。天然の石を使って染めるので模様は均一ではなく、不規則に乱れている。「しのぶ」に秘めた恋心を、「乱れ」に心の乱れをかけた恋の歌だ。  こんなに心が乱れているのは自分のせいではない、あなたのせいだと忍ぶ恋の苦しさを詠んでいる。
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