吟行初日

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吟行初日

 東京から東海道新幹線で二時間十分。一大観光地の玄関口であり一日数十万人が利用する京都駅だが、今日の私たちにとっては単なる乗換駅、通過点の一つに過ぎない。 「本当に改札から出ないんですか? 本当に?」  短歌同好会の代表に二年生の先輩が詰め寄る。 「何度も言ってるだろ? 今回は琵琶湖一周の吟行(ぎんこう)」 「京都駅まで来て京都を見ないなんて私の人生初ですよ。清水寺も八坂神社も、錦市場の食べ歩きもしないなんて……ああ、信じられない!」  京都への熱を帯びてくる声に、私は肩を強張らせた。 「京都なんてみんな修学旅行とかで行ってるだろ? せっかくの吟行なんだから、あんまり行かない場所がいいじゃないか。それに琵琶湖は万葉の昔から多くの歌人が詠んできた歌枕なんだよ」  言い返す代表の声も鋭く尖っていて、私は思わずキャリーケースのハンドルをぎゅっと握り締めた。 「まあまあ、三日目は昼前には解散するんだから、そのあとで行けばいいじゃない」  顧問の先生が割って入って、燃え上がろうとした二つの炎は鎮火された。私の体の力も抜けた。  大学で友人ができるか不安だった私は、活動は月に二回というゆるさに惹かれて短歌同好会に入った。毎年夏には二泊三日かけて観光地を巡りながら短歌を詠む吟行というイベントがあると知ったのは入会した後だった。正直行きたくなかったが、十五人中十三人が参加するイベントを欠席する勇気もなかった。短歌が好きで入ったわけではない私にとって憂鬱な三日間だ。  いや、そもそも私には、好きなものなど何もない。
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