活力

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活力

(なんだ。たった三万か)  買い物袋を抱えた女は無造作にカネの入った封筒をポケットへ押しこんだ。  あの男が空き巣犯だということはわかっていた。  主婦の毎日は退屈で、刺激が欲しかった。  暇つぶしに散歩をしていたある日、あの男がピッキングをして侵入するところを見た。  通報しようかと思ったものの、ヤツから盗ってやろうという考えが浮かんだ。  けれども、そんなことをやるのは初めてである。とりあえず、毎日あの男の偵察と、気づかれずに盗る練習をすることにした。  練習台はもっぱら夫。普段は役立たずの夫のおかげで、スマートフォンを操作するときが無防備でやりやすいことがわかった。  新たなことに挑戦する日々は、活力を与えてくれ、日常が鮮やかに色を持ちだした。肌艶までよくなった気がする。  そして、今日。一仕事をしてきたヤツは歩きスマホをしだした。  心臓が早鐘のように打ちだして、手足の先まで脈打ち、全身が震えた。夫のポケットやイメージトレーニングを思い出し、大丈夫と繰り返す。ただの主婦から脱却するのだ。  手の先を落ち着かせ、普通の歩行者を装い、ポケットから見える銀行の封筒を抜いた。  だが、確認してみると、思いのほか額が低かった。偵察期間の間に男は十件は犯している。しかも、今回は億ションと呼ばれるマンションでの犯行後である。ならば、大金をもっているはずではないのか。 (せっかく頑張ったのに)  燃え尽きた女はふらふらと歩きだした。心ここにあらず。  どこまで来たときだろうか。人とぶつかり、膝をついて倒れた。ぼんやりした視界の中で、当たった相手は封筒を持って走り去った。
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