1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
Episode0. 時雨
逢魔が刻ー……
いつもなら赤焼けに染まる空は、暑い雲に覆われて今にも雨が降り出しそうだ。
遠くに、ひぐらしが鳴いている。
夏の終わりが近づく今日この頃は、夕刻になるとだいぶ冷えるようになってきた。
ビルの谷間から吹き込む冷たい風に、身震いを一つする。
今日は、夏期講習が思いの外長引いてしまったのだ。いつもなら帰り道が一緒な筈の友達も、用事があるからと先程別れた。
「わ、降ってきたよ……」
曇天の空からは、ついに雫が滴る。
立ち止まり、鞄の中から折り畳み傘を出した時だった。
ビルとビルの隙間に何かがいた。
黒い傘をさしながら顔を其方へ向ける。
狭く薄暗い通路真ん中に、それは小さく蹲っていた。目を、凝らす。
それは、おかっぱ頭の幼い少女だった。
「こんな所でどうしたの?」
気がつけば、そう声をかけていた。
真っ赤なワンピースを着た少女は、何やら大きな鞄を抱えているようだ。
僕の声に気づいたのか、顔を上げる。
黒目がちな瞳が、嬉しそうに細められる。
艶やかな黒髪の隙間から覗く肌は、暗闇でもわかる程に白く透き通っていた。
赤い唇が、言葉を紡いだ。
「宝物を入れる鞄が濡れてしまいそうで困っていたの……」
僕は、ビルの隙間に入り少女に近づいた。
「鞄って、これ?」
「そう。このままじゃお家に帰れないの」
「そうなのか……。お家はどこ?」
「……あっち」
少女が指差したのは、僕が向かっていた方向と同じだった。
「じゃあ、良かったらお兄さんの傘に入る?一緒にお家まで帰ろうか」
「本当?嬉しい!」
満面の笑みを浮かべた少女は、鞄を片手に立ち上がった。
革製のとても大きな鞄が、少女の動きに合わせて楽しそうに揺れ動く。
背が僕の腰くらいまでしかない幼い彼女は、躊躇いもなく手を差し出してきた。
「ほら、迷子にならない様に繋ご?」
そんなことを言われて、気恥ずかしさに赤面する。けれど、何となく無碍にはできなくて、結局僕も片手を差し出した。
触れた少女の指先は、氷の様に冷たかった。
***
どのくらい歩いただろうか?
一本の傘に身を寄せ合いながら、気がつけば住宅街も抜けてしまった。
辺りはすっかり見慣れない景色となり、まだ開発途中の住宅建設予定地の方まで来てしまっていた。
天気のせいか、それとも時間帯のせいか。
作業員や通行人も居らず、辺りは雨音だけが響いていた。
僕と同じ方角を指差したから、てっきり同じ住宅街の住民だと思っていたのだが……
「ねぇ、もうすぐお家?」
「そうだよ」
「……そっか」
先程から、この会話をすでに五回は繰り返している。
少女は嬉しそうに微笑みながら、雨道を歩いていた。
不意に、その鞄の端が濡れていることに気がついた。
「あ、鞄濡れてるよっ」
慌てて伝えれば、彼女は此方を見上げながらこう言った。
「大丈夫だよ。まだ、宝物は入っていないから」
その時、言いようのない違和感が胸に込み上げた。
なんだろう…………?
僕は、困っていたこの子が心配だった筈なんだ。
『宝物を入れる鞄が濡れてしまいそうで困っていたの……』
『このままじゃお家に帰れないの』
なぜだろう…………?
困っていたなら、なぜこの子は出会った時から笑っていたんだ?
僕は、繋いでいた手を振り解いていた。
黒い傘が雨粒が踊るコンクリートへ転がる。
「ねぇ…………」
突然立ち止まり呼び止めた僕を、数歩先の少女が振り返る。
「宝物って、なぁに?」
尋ねた声は情けなく震えていた。
少女は、頬を高揚させて微笑んだ。
「 お に い さ ん 」
小さな白い手が、革張りの鞄を大きく開ける。そこには、何処までも底が見えない闇が広がっていた。
「ほら、迷子にならない様に繋ご?」
***
「ぐぁ"あ"あ"あ"ッッ!!!!!!」
曇天の空の下に雄叫びが木霊する。
僕は広げた鞄の中へ、生きたまま身体を折り畳むようにして詰め込まれていた。
「ぃっ、いやだ!やめ……っ!!」
天へと伸ばす腕も、凄まじい力に容赦なく押さえつけられる。
無理矢理小さく縮こませられた全身の骨は痛み、息が苦しい。
鞄の端を掴んでいた指先も、一本ずつ引き剥がされてゆく。
「ぃ"っ、ゃだぁあ……」
抵抗するあまり、革を爪で引っ掻いてしまった。不快な音と共に指先にこびりつく。
それは、皮だった。
「あ~あっ!」
大きな溜息にびくりと身が震える。
此方を見下ろす少女は、赤い唇の端を歪めながら吐き捨てる様に言った。
「せっかく前に見つけた宝物の皮膚で作った鞄なのに!傷がついちゃった!」
少女は鞄と俺から手を離し、不愉快そうにガリガリと親指の爪を噛み始めた。
その隙に、俺は鞄から顔を出した。
今なら!逃げられー…………
「ま、いっか。今度はお兄さんの皮膚で作ればいいんだもんね?」
気づけば、頭を鷲掴みにされて鞄の中へと押し戻されていた。
ジ、ジジジ、、、
鞄のジッパーを閉める音が鳴る。
「だ……、だれか…………」
狭まる曇天の空を見つめた。
「……………………………たすけて」
灰色の雲の隙間から雨粒が舞い落ちる。
その粒と共に降ってきたのは、
黒い人影だった。
***
視界が、開ける。
僕が押し込められていた鞄は八つ裂きにされて吹き飛び、僕の体はコンクリートへと投げ出された。
折り畳まれていた体が解放され、一気に空気を吸い込んだ肺が痛む。蹲りゲホゲホと咳込みながら顔を上げれば、そこには何かが立っていた。
小柄な体に纏う漆黒の服を、まるでマントのように風に靡かせ、
同じく漆黒のパーカーを頭にかぶり、
細く伸びるしなやかな手足は包帯に包まれ、
華奢な両腕を天へと掲げ、
その手には巨大な『斧』を持っていた。
かひゅ……と、喉が引き攣る。
「だ、だれ……?」
息をするのも忘れてその後ろ姿を見つめていれば、可憐な少女の声が答えた。
「時雨だよ」
次の瞬間、タンっと小さな足が地面を蹴った。まるでタップダンスでも踊るかのような軽やかな足にも、やはり漆黒の靴が光る。
大きな斧を振りかざす先は、鞄ごと両腕を切断された少女のものだった。
「何なのよっ、あ、あんた、同族じゃ……」
震える声は、断末魔へと変わる。
斧は容赦なくオカッパの少女の両足を切り裂き、その体は地面へと崩れ落ちた。
あまりにも圧倒的な殺戮の現場を目の前に、僕の足は馬鹿みたいに震えて動かない。
鮮血が宙を舞う中、血溜まりに鎮む体を黒い靴が踏みつけた。
斧の先が、少女の首にあてがわれる。
それが振り上げられたとき、けたたましい笑い声が木霊した。
「しぐれ……、しぐれ……。あぁ、思い出した。聞いたことがある……」
斧を持つ手が止まる。
「呪われた不死の体を纏い、生者にも、亡者にもなれない半端者。生者には迫害され、亡者には忌み嫌われる紛い物め。あははっ!こんな生者一人助けたところでアンタなんてー……」
もう、言葉は続かなかった。
ダンッッ!!!
呆気なく振り下ろされた斧は、その首を切り裂き切断した。
ゴロリと落ちた首は、僕の目の前へと転がってきた。
血の気を失った唇が、小さく呟く。
「たからもの……、わたしだけの、たからものがほしかった……。きらきらして、ほうせきみたいな、わたし、だけの…………」
ハラハラと、その首はゆっくりと塵のように崩れ始める。
その瞳から一粒の涙をが溢れた時、ようやく動いた僕の手は、慌ててズボンのポケットを掻き出した。
取り出したものの包みを剥がし、急いで少女の口へと入れてやる。
カロリ……
それは、苺味の飴玉だった。
血色を失くした唇の中で、艶やかな赤色が宝石のように光り輝く。
「あげるよ。君だけの、宝石だ」
見開かれた瞳は、僕を映した。
崩れてゆく頬が、ゆるやかにつり上がる。
「ありがとう」
それが、最後の言葉だった。
完全に塵となった彼女は空へと舞い上がる。
コンクリートの上には、赤い飴玉だけが転がっていた。
***
「自分を殺そうとした者にまで情けをかけるか」
不意に投げかけられた言葉に顔をあげれば、額にパチン!と痛みが走った。
包帯が巻かれた細い指が、僕の額を思い切り弾いたのだ。
「いっ、たぁ……っ!」
サイド蹲った僕に、全身黒ずくめの少女が言った。
「そんなんだから、こんな低俗なものに好かれるのだ小童め。母ちゃんの腹の中から人生やり直してこい」
「ちょっと待って!なんで初対面の君にそこまで言われなきゃいけないの!?」
思わずツッコミを入れるが、今度は小さな足に顎を蹴り上げられてひっくり返された。
「……っ、ごふ!」
「命の恩人にその態度は何だ。分を弁えろ。蛙のように這いつくばれ」
「きょ、強烈な理不尽!!」
悲痛な叫びを上げた時、一際大きな突風が吹き荒れた。
漆黒のフードが、外れる。
そこから靡いたのは、美しい濡羽色の長い髪だった。その小さな顔にまで包帯を巻いた少女は、懐から懐中時計を取り出し呟いた。
「もう時間だ。私は行く」
軽やかに踵を返すその背に、僕は叫んだ。
「あっ、ありがとうっ、ございました!」
振り向かない華奢な背中に、思わず本音がまろびでる。
「…………また、会える?」
弾かれたように振り返ったその瞳は、飴玉と同じ真紅の瞳だった。
「……会わなくても済むように、せいぜい平和に暮らせばいい」
それが、別れの言葉だった。
気がつけば目の前には誰もおらず、曇天の空の下に僕だけがいた。
白夢中だったのだろうか?
けれど、僕は知っている。
コンクリートに転がる彼女と同じ色の飴玉だけが、真実だと告げていることをー……
***
「受験番号わかる?忘れ物ない?落ち着いて!落ち着いていくのよ!」
心配そうに何度も確認する母に笑う。
「わかってるって。合格発表見にいくだけなんだから、母さんの方が落ち着いて。それじゃあ行ってきます」
とうとうやってきたこの日に、ソワソワしっぱなしの母のせいで逆に冷静な自分がいた。番号がかかれた受験票をポケットに突っ込み、僕は家を出た。
早朝のせいか、人気のない路地を抜けてゆく。
すっかり冬となり、吹き込む木枯らしにその身を震わせた時だった。
「ねぇ、こっち、きて……」
儚い声に呼び止められた。
振り返ると、壊れた街灯がぶら下がる電信柱の隙間から青白い手が伸びる。
「さみしいよ……、さみしいよ…………」
その言葉を聞いた瞬間、目眩がする程芳醇な甘い香りに全身を包まれた。
「……っ、は、ぇ?」
自分の思考とは裏腹に、足は引き摺られるように電信柱へと近づいてしまう。
「やっ!やめ……、だ、だれか……」
手招く青白い手の向こうで、舌舐めずりする大きな口が見えた時だった。
黎明の空から、黒が舞い降りる。
大きな斧が踊るように亡者を切り裂く。
僕は、呼んだ。
その名はー…………
「時雨!」
僕の、ヒーローだ。
*end*
この後無事に大学生になった僕と、シングルマザーの母と、年齢不詳の時雨が一緒に暮らしててんやわんやしながら怪談の悪霊退治をするといいなぁと思いながら力尽きました。お読み頂きありがとうございました!
最初のコメントを投稿しよう!