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「はい、コーヒー。」 「ありがとうございます。」 あの後、私の強い覚悟とは対照的に、矢田さんは慣れた様子で私だけの屋敷に足を踏み入れた。 小さなダイニングテーブルにホットコーヒーを置くと、矢田さんが“ありがとう”と言った。 “すみません”ではなく“ありがとう”と。 それに少し笑いながら私も向かいの席に座る。 何を話そうかと思っていると・・・ 「実家には帰らないんですか?」 矢田さんからそれを聞かれてしまった。 「帰らない。なんで?」 「お父様も寂しそうなので。」 「父親の方が?お母さんじゃなくて?」 「お母様は元々寂しがっていましたから。 お父様は社会勉強にと思って了承したそうで、こんなに長くなるとは思わなかったらしいです。」 「こんなにって・・・1年だよ?」 30歳、31歳の娘が一人暮らしをしているのは珍しいことでも何でもない。 「年末年始も帰りませんでしたよね? 夏季休暇も。」 「父親とは会社で会ってるし、お母さんとはたまにご飯に行ってる。」 「家では会えませんか?」 矢田さんにそれを聞かれ・・・泣きたくなった。 「あの家では・・・会いたくない。」 「そうですか・・・。」 私が答えたら、矢田さんが困った顔で笑った。 「だから、ここで毎日会わない?」 「ここでですか・・・?」 驚いている矢田さんに笑い掛ける。 「今はここが私の屋敷なの。 私だけの屋敷。 私に会いに来てよ、毎日。」 「それは・・・どうですかね・・・。」 矢田さんが悩んでいる顔でコーヒーを見詰めている。 そんな矢田さんの様子に泣きたくなる。 「好きでもない人と結婚なんてしない。」 震える唇でそれを言った。 矢田さんはコーヒーから私に視線を移す。 矢田さんを見詰めながら言う。 「好きな人と結婚しないと・・・。 愛してる人と結婚しないと・・・。」 矢田さんが真剣な顔で私を見詰め返してくる。 眼鏡の奥の小さな目が、鋭さを増していく・・・。 「会いに来て、毎日。 秋の夜長に恋の夢を見たいから、会いに来て・・・。」 泣きそうになるのを必死に耐えて伝えた。 「秋の夜長は立冬の日まで。 結婚するその日まで。 お願い、毎日会いたい・・・。」 “真剣”と書いて“真剣”にそう伝えた。 刀という武器はもうないけれど、“真剣”に伝えた。 “真剣”に伝えた私の言葉に・・・ 矢田さんは“真剣”な顔で頷いてくれた・・・。
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