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大きな大きなお屋敷。
その中で私は鼻歌を歌いながら小走りで進んでいく。
大股ではなく、小股で。
自分の姿を見下ろして自然と笑顔になってくる。
今日は19歳の誕生日。
お父さんとお母さんと料亭で食事をしたので、誕生日にと買ってくれた薄ピンク色の着物を着ている。
可愛い可愛い着物。
その着物を着て、お屋敷の中を小走りで進んでいく。
長い長い廊下・・・。
そこに、私の大好きな人の後ろ姿が。
見付けた瞬間、抑えられないニヤけた顔と大きく高鳴る心臓の音。
この可愛い着物をあの人は何て言ってくれるか。
どんな顔をしてくれるか。
私は“美人”だから。
“小町”という名の通り、私は“絶世の美女”と言われている。
小野小町のように歌は詠めないけれど、私は“絶世の美女”とは言われている。
そんな私がこんなに可愛い着物姿になって、あの人は何て言ってくれるか。
どんな顔をしてくれるか。
考えただけでドキドキとしたしワクワクとした。
胸を両手で抑えながら大好きな人の名前を呼んだ。
大好きな大好きな人の名前を。
「武蔵(むさし)!!!」
大好きな武蔵が立ち止まり、ゆっくりと・・・
ゆっくりと、振り返る・・・。
私に、振り返る・・・。
振り返る・・・
瞬間・・・
力ずくで両目をこじ開けた。
こじ開けてみせた。
こじ開けた目からは、今日も大量の涙が流れていた・・・。
小野小町は夢の中で愛する人と会いたいと詠っていたけれど、私はそんな虚しいことなんて出来ない。
そんな悲しいことなんて出来ない。
そんな無駄に切なさだけが残る夢なんて見たくもない。
結婚する。
1ヶ月7日後に、結婚する。
もう二度と会うことが出来ないのなら、夢の中でも会いたくはない。
大量に流れてくる涙を拭いながらまたノートに文字を書いていく。
あの人のことを考えてばかりだからあの人の夢ばかり見てしまう。
無駄に幸せな夢ばかり見てしまう。
空っぽだから。
私はこんなにも空っぽだから。
だから、この器全てにあの人を入れたがってしまう。
あの人を入れるために器を空っぽにしてしまう。
どんなに頭の中に会社のことが入っても、器は空っぽのまま。
何も入らないから溜まってはいかない。
あの人はどんな顔をしていたのかもう思い出せない。
12年も前のこと。
あの人がどんな顔で私を見ていたのか思い出せない。
片想いだった。
片想いだった・・・。
だから、あの人はきっと普通の顔をしていたのだと思う。
31歳になった今見たら、それが分かったと思う。
でも当時は・・・
私のことを好きでいてくれていると夢のようなことを思っていた。
夢の中だった・・・。
18歳から二十歳まで、私は夢の中にいた。
幸せな夢の中にいた。
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