852人が本棚に入れています
本棚に追加
「いるよ、婚約者。」
私が答えると全員が興味津々な顔で私を見てくる。
でも、私が新卒で入社をする前から加賀社長の一人娘には婚約者がいることは知られていたらしい。
それに、その婚約者が次の社長になることも。
だから、私は隠すことなく答える。
研究職の社員達と直接話すのは初めてだからか、私から直接聞けるので全員がこっちを見ている。
「まだ誰が婚約者なのか社内で発表されてないですよね!?」
「そうだね、社内での発表は毎回入籍後の発表になるらしい。」
「どんな人なんですか!?」
「可哀想な人かな。」
私が即答すると全員が不思議そうな顔をしている。
それに笑いながら続けた。
「そこに愛はないから。
可哀想な人だなって思うよね。」
「・・・でも、小町さんめちゃくちゃ美人ですし!!
社長の娘なのに気取ってなくて近付きやすいって噂になってて、性格も良いって言われてます!!」
その言葉に笑いながら生ビールを飲んだ。
苦い苦い生ビールを。
ゴクゴクと飲み込んだ。
“覚悟が足りていない”
父親からの言葉を思い出す。
社員から嫌われる覚悟も足りていない。
古くて大きなこの会社。
“良い社長”とは、きっと“社員みんなから好かれている社長”ではない。
古くから存在しているこの大きな会社を存続させ、製薬業界の頂点に君臨し、日本の製薬業界を引っ張り続けていく・・・。
そんな社長が、父親が求める“良い社長”なのだと分かっている。
その為には武器を選ばない。
刀だろうと弓矢だろうと槍だろう銃だろうと、花だろうと・・・何だって使いこなす必要がある。
一人娘の“花”を、父親は武器にもする。
それで戦に勝利し続けられるなら、あの父親は私も武器にしてみせる。
花は色褪せてきてしまっているけれど。
私の美しさも衰えてきてしまっているけれど。
製薬業界の頂点に、古くて大きなこの会社を君臨させ続けるための社長。
そんな社長の妻となる覚悟が私には足りない。
“支える”なんて甘い覚悟ではない。
“妻として屋敷を守り、妻として戦う”
そんな覚悟が私には足りない。
そんな覚悟、私には出来ない。
したくもない。
私はいらなかった。
私はずっとこんなのいらなかった。
片想いでも、結婚できなくても、好きな人をずっと想い続けていられる暮らしでよかった。
夢の中だけでしか会えなかったとしても、その夢を見るために眠る・・・。
目覚めた時に、“目覚めなければよかったのに・・・”そんな風に嘆きながらも片想いを続ける。
そんな暮らしでよかった。
だって、好きでもない人と結婚なんてしない。
そんなの、しない。
そんなの普通はしない。
しない・・・。
しないのに・・・。
そう思いながら、苦い苦い生ビールを飲み込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!