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私の婚約者である矢田さんがベッドに私を座らせてくれた。 「ごめんね、飲み過ぎた。」 「お酒を飲むようになったのかと驚きましたけど、数分でテーブルに突っ伏していましたね。」 矢田さんが慣れた様子で、私だけの屋敷にある小さな冷蔵庫を開けた。 矢田さんがこの屋敷に入るのは初めてなのに、慣れた様子で。 1Kの屋敷、キッチンに置いていたコップにお茶を注いでくれ、持ってきてくれた。 「ありがとう。」 「いえ、すみません。」 矢田さんが“すみません”と謝る。 色々と謝らないといけないのは私の方なのに、矢田さんが謝る。 コップに注がれたお茶を一気に飲み込む。 「じゃあ、帰ります。」 「ありがとう。」 私がお礼を伝えると矢田さんが右手を私に差し出してきた。 見てみると・・・私だけの屋敷の鍵を差し出してきた。 その鍵に付いている桜の鈴が揺れ、チリン─...とまた儚く小さな音が鳴る。 それを眺めながら、聞きながら、矢田さんに言う。 「もうすぐ結婚だね。」 「そうですね。」 矢田さんが私に右手をもっと近付けてくる。 桜の鈴から矢田さんへ視線を移さないまま、聞く。 「子作りとかちゃんと出来るかな?」 「今は進歩していますし、色々な方法がありますから。」 その答えには笑ってしまった。 「矢田さんって37歳だけど、どのくらい女性経験あるの?」 「それは答えないとダメですか?」 いつまでも鍵を受け取らない私の隣に、矢田さんがソッと鍵を置いた。 その鍵を見ながら、その桜の鈴を見ながら、矢田さんに言う。 「私、何も経験ないんだけど。」 「そうですか、今は色々と方法がありますからね。」 「そうだよね、色々と方法があるからね。」 「じゃあ、戸締まりはちゃんとして下さいね。 おやみなさい。」 「おやすみなさい。」 私だけの屋敷、その短い廊下を矢田さんが歩いていく。 短い短い廊下、すぐに小さな小さな玄関に辿り着いた。 「あ、お父様からの伝言なんですが。 “秋の夜長には必ずよく眠るように。”だそうです。」 父親が矢田さんにそんな伝言を頼んだ。 あの父親がわざわざ私の睡眠を気にしている。 少し眠っては起きて、また少し眠っては起きて、それを二十歳からずっと繰り返している。 「眠りたくなくて。 私、眠りたくなくて。」 「病院で睡眠薬も処方してくれますから。」 矢田さんがそう言って、革靴を履いてから私だけの屋敷の扉を開いた。 そして、扉を開けてから私を振り返った。 「俺は寝ることが好きですけどね。 幸せな夢を見られるかもしれませんし。」 そう言いながら優しい顔で笑っている。 それを見て笑ってしまった。 「幸せな夢、見たいんだ?」 「そうですね、見たことはないですけど。」 「私は見たくない。 そんな無駄な夢なんて見たくない。」 「無駄ですか・・・。 どんなに無駄でも、俺は見てみたいですけどね。」 矢田さんが優しく笑いながら私だけの屋敷から一歩外に出た。 「おやすみなさい、良い夢を。」 .
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