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第三話「星団」
時は戻り、現代……
赤務市にそびえる美樽山は、それ自体が丸ごと改造された政府の秘密研究所だ。
その地下深くに設置されたメンテナンスルームで、マタドールシステム・タイプSの黒野美湖は覚醒した。
棺桶型の調整ボックスの蓋が展開すると、機体のあちこちに配線をつないだまま半身を起こす。ほんのり冷気のもやを帯びるのは、着用した美須賀大付属の学生服だ。
かすかな着信音を耳にし、アンドロイドの瞳孔は拡縮した。手首に巻いた組織特製の腕時計が鳴っている。精緻な指先で銀色のそれに触れ、ミコは応答した。
「はい、黒野です」
〈ぼくだ、メネス・アタールだよ。きみが再起動する信号を受け取ってね〉
通信機越しに、メネスはミコにたずねた。
〈もう動いて大丈夫なのかい? デクスター伯爵から浴びたダメージは?〉
端正な手足をすみずみまで眺めて検索し、ミコは返事した。
「若干のエラーは残っていますが、ほぼ問題ありません。機械を支配下に置く能力には驚きましたが、呪いの根源は絶たれたようですね?」
〈エリーの功績さ〉
「捜査官エリザベート・クタートに感謝します。彼女はいまどこに?」
〈それが問題なんだ〉
メネスは口ごもった。
〈エリーは封印されてしまった。ホーリーの〝断罪の書〟にね。交戦したフィア91はかろうじて無事だが、人間化の影響できみと同じくメンテナンス中さ〉
「とうとう本格的に動き始めましたか、ホーリーが。すみやかにエリーを救出しなければなりません。いえ、それより……」
OS内のスケジュール表を確認し、ミコは指摘した。
「横槍の入る危険があります。三世界会議は延期するべきでは?」
〈中止はぼくも提案したんだが、駄目だった。異星人の穏健派の女王、ズカウバはすでに地球に到着してしまっている。異世界のクラネス王も、組織のティロン長官も赤務市に集結する予定だ。情けないが、会議を計画した発起人のぼくでも、もう単独で三者の行動は止められない〉
「非常に難しい立場ですね、あなたも。では」
全身の配線を外し、ミコは棺桶から立ち上がった。かたわらの装置に差されて充電中の機械剣〝闇の彷徨者〟を、優美な孤を描く鞘ごと手に取って続ける。
「各代表を守る強い護衛が必要です。会議のスタートまでおよそ十時間……私を含め、戦えるカラミティハニーズは何人いますか?」
〈久灯瑠璃絵と江藤詩鶴は現在、日本を離れている。この時間軸のダムナトスに拉致された伊捨星歌を助けるためにね。エリーは行方不明。フィアは機体の調整中。動けるのはきみと、染夜名琴、そして井踊静良ということになるな〉
「拳銃使いのナコトと、結果使いのセラ、そして私……やるしかありませんね」
〈頼んだぞ。会議の護衛には褪奈英人を始めとし、組織の日本支部も総動員でつく〉
会話の途中、ミコの個室の自動扉は開いた。
暗色のスーツに身を包んだ青年が、ちょっと慌て気味に入ってくる。組織の一般捜査官だ。ノックもなしにレディの部屋に踏み込むとは、社会人として少し無礼ではないか。
しかしアンドロイドのミコは怒りもせず、穏やかに挨拶した。
「エージェント・鈴木。お疲れ様です。どうしましたか、そんなに血相を変えて?」
「た、たた大変です……」
舌をもつれさせ、鈴木は訴えた。
「し、侵入者です!」
「侵入者?」
長刀を握る手にやや力を込め、ミコは聞き返した。
「私のセンサーは施設のセキュリティとも連動していますが、いまのところ異常は見受けられません。その侵入者はどこに?」
「つ、捕まえました……」
「はい? 敵は能力者の類ではないのですか? 失礼ですが、呪力使いでもないあなたがいったいどうやって?」
「幸運にも、呪力を食らう前に先制できたようです……」
それまで廊下の壁に隠していた人影を、鈴木は引っ立てた。
手錠をかけられ、口をテープで封じられるのは一人の少女だ。その制服はどう見ても美須賀大付属のそれで、外見年齢もミコとさして変わらない。
「~~~ッ!」
頑丈な口封じのせいで、少女は必死にうめくのが関の山だ。しきりになにかを訴えかける彼女の瞳と、ミコは目線を合わせた。脳内のデータベースを検索するや、ミコのAIにはありえない結果がヒットしている。
「そんな馬鹿な、ありえません。この少女は樋擦帆夏。過去、精神交換の呪力を駆使して悪事を働いた末、ナコトに完全に討伐されたと記録にあります。鈴木さん、あなた、こんな強敵を相手にどんな立ち回りを……」
轟いた銃声が、答えだった。
ゼロ距離で触れた銃口からの発砲は、さしものマタドールでもどうにもならない。放たれた弾丸そのものも、対機械用の特殊電撃弾頭に変更されている。体中に激しい稲妻をまたたかせ、ミコは床に叩きつけられた。
拳銃から硝煙を漂わせつつ、冷静にミコを見下ろすのは鈴木だ。彼の知人からすれば考えられない酷薄な笑みを浮かべ、麻痺して痙攣するミコへ種明かしをする。
「けっこう大変でしたよ。次から次へと警備員の精神を奪って通路の認証を突破し、わたしの体を運びながらここまでたどり着くのは」
誤作動の漏電と煙を噴き、ミコは掠れた声でうなった。
「鈴木さんの魂は、とっくにハンナと交換されていた……?」
「正解です。まあ、すぐにお返ししますがね」
鈴木はハンナを見た。正確には、ハンナの精神に乗っ取られた鈴木が、鈴木の精神の入ったハンナ自身を直視したのだ。
精神の交換は一瞬だった。
あらかじめ細工しておいた手錠を投げ捨て、口封じのテープをはがす。正真正銘、ハンナはもとの肉体に戻ったのだ。
重い音が響いた。ハンナの理不尽なボディブローを鳩尾に浴び、気絶した鈴木はその場に崩れ落ちている。それを尻目に、次にハンナが歩み寄ったのは動けないミコだ。
自分にひざまずくハンナへ、ミコは問うた。
「な、なにをするつもりですか?」
「ホーリー様の古影は、主の命令に従います。あなたのフリーズが解けるまで、あと残り二秒、一秒……」
頃合いを見計らい、ハンナは信じられない行動に移った。
意識のない鈴木の手から鉄砲を引ったくるや、自分めがけて銃爪を引いたのだ。
その全身が電気ショックに蝕まれる寸前、ハンナはミコと己の精神を交換した。かくしてミコにはハンナの魂が宿り、ハンナにはミコの心が封じ込められている。ハンナが自分を撃ったのは、あらかじめミコの受け皿となる肉体を行動不能にするためだ。
ミコの顔で、ハンナは邪悪な笑みを浮かべた。
「ボディの入れ替わりは大成功です。人形の体というのも案外、居心地は悪くありませんね。さて、黒野美湖の機体は持ち帰りますよ、ホーリー……え?」
ふとハンナは気づいた。
ミコの長刀の切っ先が、ミコ自身の腹腔を貫いているではないか。ハンナの精神が憑依する寸前に、ミコの切腹は完了していたのだ。鋭い白刃は背中まで突き抜け、ハンナであるミコの唇からは疑似血液が溢れている。
機械ならではの損傷報告の洪水に圧倒されながら、ハンナは嘆いた。
「そんな、機械が腹切りを選ぶだなんて……」
こちらも電撃の激痛に苛まれつつ、ハンナの姿をしたミコは告げた。
「あなたが樋擦帆夏だと知った時点から、この自刃は計画していました。私には、人工知能を超えた人間の判断力が備わっています。本物の肉体を与えられるのは貴重な体験ですが、ここまでですね。返しなさい、マタドールの機体を」
圧倒的な痛撃に耐えきれず、ついにハンナは自身の体に戻った。入れ違いにミコの精神もみずからの機体に帰り、自傷のダメージで床に膝をついている。
倒れたハンナは身動きしない。体の端々から本の紙片と化し、空気に散っていく。ミコの刀剣に刺し貫かれ、ハンナの魂は生存の限界を迎えたのだ。
自分を奪還したミコも、扱い慣れた機体とはいえ瀕死に近い。痛みを我慢して、長刀を傷口から引き抜く。エネルギーの消耗に荒く肩を上下させつつ、ミコは独りごちた。
「ホーリーの古影が、組織のこんな奥深くまで潜り込んでいたとは……皆に知らせないといけません、この危機を」
「いい仕事をしたね、ハンナ……〝断罪の書〟」
「!」
呪われた辞典の角が、ミコの肩を叩くのは唐突だった。
輝きとともにミコの体は紙片の嵐へ変じ、魔導書に吸い込まれている。本来なら断罪の書はいまの段階では太平洋の来楽島にあるはずだが、ホーリーはこれを別の時空から持ってくることで封印に活用した。
ホーリー?
「このページは〝ネクロノミコン〟だね。わたしの砂漠でしっかり呪力を搾り取らせてもらうよ、ミコ」
ホーリーの口調でつぶやいたのは、なんと、失神したはずの鈴木ではないか。
もしもの際の二段構えとして、ハンナに指示し、ホーリーは事前に鈴木の肉体へ忍び込んでいたのだ。作戦は功を奏し、高感度を誇る組織のセンサーもいまだに敵性反応を察知しない。鈴木が入ったホーリーの本体は拘束され、だれも知らない美樽山の森林に隠されている。
鈴木の格好で、ホーリーは愚痴った。
「このまま組織を内部から破壊したいところだけど、ハンナの呪力もそろそろ朽ちかけているね。すでに、わたしの精神の蒸発は始まってる。いったん隠し場所まで帰って、わたしの体を取り戻さないと」
奇書をぶらぶらさせ、ホーリーはミコの部屋を立ち去った。
「三世界のトップ会談か……楽しみだ」
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