第三話「星団」

6/7
前へ
/24ページ
次へ
 近には遠を、遠には近を……このカードでなければ状況は打破できない。  あえてそう判断したのは、ナコトの心臓とも呼べるナイアルラソテフだった。愛らしいうりぼうの縫いぐるみに扮していたそのテフもいま、大型の二挺拳銃に変幻してナコトの両手に握られている。  地下研究所の階段室を、ナコトとニコは颶風と化して駆け昇った。お互いを抜きつ抜かれつ、猛スピードで追いかけっこする。  ふたりが死守するのは、およそ五メートルのこの距離だ。ナコトは中短距離を制空圏とし、反対にニコは中長距離を本領とする。その射程がこれ以上伸びるか縮まるかで、勝負の合否は決するに違いない。 「〝嵐の中を進むもの(ブラックドッグ)〟」  おそるべき対多数攻防兵器の名称を告げるや、ニコの頭上に生じたのは黒い砂の渦巻きだった。自然界にあり溢れた砂鉄だ。砂鉄の波紋はそこかしこで瞬時に集束し、凝結して真っ黒な長剣の姿を形成する。 「その焦げた牙で噛みちぎれ、我が猟犬たちよ」  そばを疾駆するナコトめがけ、ニコは腕を振り下ろした。強電磁場の稲妻を引き、黒剣は猛スピードで獲物へ食らいつく。それも一本ではない。十本まとめてだ。  スリップの煙を靴裏から放ち、ナコトはその場に急停止した。走って回避しきれないのなら、ここで迎え撃つしかない。拳銃の一挺は肘ごと背後へ引き絞って溜め、もう一挺はまっすぐ正面を突いて構える。銃格技(ガンカタ)における金剛力士像の佇まいだ。  裂帛の気合いが、ナコトの口をついた。 「やるぞ、テフ!」 「おう、ナコト!」  撃つ。撃つ撃つ。撃つ撃つ撃つ。  ナコトの周囲で、銃火はめまぐるしくその位置を変えた。呪力の銃弾で手前の黒剣を撃ち落とすなり、脇から交叉した発砲は側方の投擲物を破壊。時計の短長針のごとく天地を狙った両腕の銃口は、上下から襲う刃の雨を即座に撃墜する。肉体と拳銃が一体になって繰り出す弾幕の乱舞は、文字通り格闘技の超高速コンビネーションだ。  が……嘆いたのはナコトだった。 「キリがないぞ!」  砂鉄でできた黒剣は、砕けたかと思えばまたニコの足もとで立ち上がった。多角度から撃ち込まれる鋭い固形の砂地獄は、次から次へと止まる気配がない。飛剣を撃ち落とした合間を縫って発砲するナコトだが、ニコの眼前に生じた漆黒のバリアはあっさりと銃弾を阻んでしまう。 「ふはははは!」  高笑いしたのは、腕組みして仁王立ちするニコだ。 「やはり剣をかわし、防ぐので精一杯のようだな?」 「!」  銃撃をすり抜けた一本は、とうとうナコトの側頭部をかすめて切り傷を残した。人並み外れたナコトの平衡感覚が、なんとひどい脳震盪を起こして揺れる。  瞳の焦点をぶれさせ、ナコトはたずねた。 「この切れ味と威力……きさまのエネルギーは無限か?」 「アンドロイドも呪力や電力の限界を避けられない……そう思ったなら残念だ」  現状ではどう考えても、先にスタミナ切れを訴えるのはナコトのほうだった。この無造作かつ無尽蔵の破壊力こそ、ホーリーがニコに与えた新たな異才に他ならない。  激しく打ち交わされる黒刃と弾炎を背景に、ふたりの間合いはじりじりと遠のきつつあった。このままではニコの〝嵐の中を進むもの(ブラックドッグ)〟に軍配は上がるだろう。生成と発射の距離が稼げれば稼げるほど、砂鉄の黒剣は優勢さを強めるのだ。テフの弾頭を含め、へたな飛び道具はいっさい歯が立たない。  なので、ナコトはついに切り札を打った。 「〝冥河の戸口(ゲート・オブ・ステュクス)〟!」  足下にぽっかり開いた次元の亀裂へ、ナコトはみずから飲み込まれた。いままでナコトのいた場所を、機銃掃射さながらに薙ぎ払ったのは黒剣の奔流だ。そのときには、ナコトの影は出口に現れている。すなわち、ニコのすぐ背後へと。燃える蝶と化して舞い踊ったのは、無茶な空間転移に持っていかれたナコトの破片だ。  瞬間移動が通用するのは、この一回きりにしか期待できない。呪力の残量からしてナコトが飛び移れる範囲はごく短く、それもたったいまニコに見破られた。しかし二門の銃口に充填した光圧は、黒砂の障壁ごとぎりぎりでマタドールの特殊複合金属(セラミクスチタニウム)を切り裂く。それもここまでの至近距離に肉薄しなければ、たやすく防御されていたはずだ。  振り向いたニコの視界で、ナコトの拳銃は上下に重なって煌めいた。 「〝黄衣の剣壁(ウォール・オブ・エリュクス)〟!」 「甘い!」  耳障りな音が響いた。  ニコの笑顔に斑を描いたのは、ナコトの鮮血だ。刹那にニコの手に硬化した黒剣は、ナコトの胴体を深々と断ち割っている。系列のタイプSの機動性を凌ぐことは、一瞬だけならニコにも不可能ではない。  ナコトが接近戦を欲していることを、ニコはとうに先読みしていたのだ。だからこそニコは敵を胸もとまで迎え入れ、一方では両手持ちの長剣にひそかに全力をチャージした。  渾身の一閃を浴び、ナコトは血煙を巻いて階段に叩きつけられている。派手な刃傷から血溜まりを広げるばかりで、倒れたナコトは動かない。  タイプNは、冷たい微笑を浮かべた。 「こんどの私に油断はないし、忌々しい爆弾もありはしない」  すぐ頭上から、ニコはナコトを指差した。指令を受け取った空中の黒剣たちが、それぞれの切っ先をいっせいに瀕死の獲物へ向ける。 「さあ、大好きなゼロ距離だ。とどめもこの距離から刺してくれよう」  ニコは腕を振り下ろし、浮遊する黒剣はナコトを目指して殺到した。  次の瞬間、長剣どもの先端はニコの体じゅうから無数に生えている。 「!?」  想定外の衝撃とダメージに疑似血液を吐き、ニコは身を折った。黒剣がニコ本人のそれであることは疑いようもない。とはいえ、それがなぜいきなり背後から? 「ま、まさか……」  答えは、ナコトの体表に入れ墨のごとく蠢く蝶の影にあった。その亜空間から転移してきた黒剣が、使い手のニコ当人を襲ったのだ。だが、不明なことはまだある。 「染夜名琴(しみやなこと)……おまえの〝冥河の戸口(ゲート・オブ・ステュクス)〟は、ただの移動用の扉ではなかったのか?」 「そう思ったなら残念だよ」  こちらも血を垂らして起き上がり、ナコトはささやいた。 「その勘違いを誘うために、わたしは上手く立ち振る舞った。きさまが扉の応用法に気づかず、反転してきた自分自身の剣に襲われるようにな。計算通りにきさまは油断し、その動きは封じ込めた」 「そ、そんな。こんどの爆弾は、私そのものだった……?」  細いニコの顎を、真下からナコトの銃口は押し上げた。  肉を切らせて骨を断ち、夢だった理想の至近距離は実現したのだ。尋常ならざる呪力の燐光を拳銃に滾らせ、ナコトは言い放った。  「〝黄衣の剣壁(ウォール・オブ・エリュクス)〟」  轟然……  首から上を失くしたニコの姿は、本の切れ端と化して吹っ飛んだ。  ぼろぼろの格好で階段にへたり込み、ナコトは溜息をついている。 「古影(ミメット)……危険すぎるぞ、この力。セラを助けるまで、とうぶんは休めんな」 「ちょっとは休憩してったら、わたしの砂漠で?」 「!」  拳銃形態のテフが警告したときには、もう手遅れだ。 「よけろ、ナコト!」  ナコトが最後に見たものは、ふたつあった。  ひとつは、首根っこを掴まれてもがく手負いのセラだ。  もうひとつは、ナコトを奇妙な辞典で鞭打ったホーリーだった。未知の紙片と化して分解したナコトは、たちまち〝断罪の書(リブレ・ダムナトス)〟の内部に吸い込まれている。同じく一撃されて爆散したセラも、呪力の輝きとともに本文へ封印された。 「ページ〝ナコト写本〟〝イオドの書〟……さあ、残るカラミティハニーズは?」  空虚な勝利宣言をつぶやき、ホーリーは階段を下り始めた。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

34人が本棚に入れています
本棚に追加