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オアシスの水で顔を洗い、ホシカとシヅルは砂の汚れを落とした。
存分に水分補給も済まし、かろうじて体力も快方に向かっている。
では呪力はどうか?
水面を鏡の代わりにし、ふたりはそれぞれ片目のまぶたを剥いた。肩を並べて、いわゆる〝あっかんべー〟のポーズだ。そのまま、魔法少女の呪力をわずかに発揮する。
水鏡に反射するふたりの片目には、呪力の〝五芒星〟が復活していた。
星印は、きれいに五角そろった状態だ。魔法少女は呪力の奇跡を振るうたび、この星形が一角ずつ失われていく。我が身に寄生して異能を与える〝星々のもの〟に、生命力と同意義の呪力を食われるのだ。その図形をすべて使い果たすことを〝時間切れ〟と呼び、それは同時に魔法少女の崩壊をも意味していた。
現実と異世界をつなぐ扉と化した魔法少女は、呪力の解放度合いに応じてその武器や形態を変化させる。強く呪力を行使するほど魔法少女の姿が異様を極めるのは、出入り口としての彼女たちが磨り減っているためだ。その限界を認識するため、魔法少女には片目の五芒星が設定されている。
お互いの視線を見合わせ、ホシカとシヅルは疲れた苦笑を浮かべた。ぐうっと鳴った鳩尾をさすり、ささやいたのはホシカだ。
「腹ァ減ったな。呪力はしっかり回復したみたいだが」
「同感や。この砂漠、コンビニは見当たらんし……池に魚でも泳いでへんやろか?」
うなずいて、シヅルはオアシスの水たまりに瞳を凝らした。
水中には、生命の気配はない。
いや、あった。
水底を泳いできた小さな影が、いきなりシヅルの眼前に鼻先を浮上させたのだ。
「はァ!?」
思いきり仰け反ったシヅルをよそに、謎の生命体は水しぶきを残して跳躍した。
砂漠へ降り立った存在に仰天し、ホシカは声もない。
それは、毛のツンツンした掌サイズの野獣……イノシシの子どもだった。驚くほど短い手足を震動させ、子イノシシは全身の水滴を払い飛ばしている。
子イノシシのつぶらな瞳を覗き込み、ホシカはうなった。
「このうり坊、たしか駅前のゲーセンで見たことが……」
ホシカの喉はごくりと鳴った。
状況がまともであれば、女子高生たちは子イノシシを〝かわいい〟等ともてはやしたはずだ。だが、いまは環境が違う。この修羅場に天の恵みのごとく現れた動物の姿は、情愛を通り越して〝おいしそう〟に変わっていた。
わずかに腰を浮かせ、シヅルへ耳打ちしたのはホシカだ。
「シヅル」
「なんや?」
「逃げ道をふさげ」
「可哀想やけど、これも弱肉強食やな。火は起こせるんけ?」
「あたしの呪力のロケットエンジンでどうにかなる……カウントするぞ、三」
「二」
「一」
「アルコール度数が高めだぜ、俺は! 未成年禁止!」
突如の大音声に、ホシカとシヅルはひっくり返った。仲良く腰を抜かしたまま、どちらともなく震える手で子イノシシを指差す。
そう、怒号の根源は、この子イノシシだ。子イノシシが、かん高い口調で人語を叫んだではないか。不意打ちに刮目し、シヅルはあえいだ。
「う、うり坊がしゃべりおったで……」
後ろ足で耳をかく子イノシシへ、ホシカは誰何した。
「何者だ、てめえ!?」
豚鼻をひくつかせ、子イノシシはたやすく返答した。
「俺様はナイアルラソテフ……〝這い寄る混沌〟〝強壮なる使者〟〝暗黒のファラオ〟とまあ、異名は色々だ。それよりメスガキども、感謝しろよ」
沈黙したホシカとシヅルを前に、ナイアルラソテフは貴重なオアシスを示した。
「この灼熱の地獄に回復の泉を湧かせたのは、俺と久灯瑠璃絵だ。本来なら一方的におまえらの呪力を吸い尽くすだけのここに、まさか治癒の空間を創造するとはホーリーも考えなかったらしい。その時間ももう、限られてるけどな」
赤ん坊の小指より細い尻尾を揺らし、ナイアルラソテフはとことこ歩いた。
その進行方向にいたのは、メガネの少女……染夜名琴だ。
ナイアルラソテフこそは深宇宙の彼方より舞い降り、ひょんなことからナコトの生命維持装置として憑依することになった〝星々のもの〟の変わり種である。人間を餌食にする本来は忌むべき寄生体と、宿主であるナコトはなぜか心身ともに共生していた。たまたま気が合ったのかもしれない。
ナイアルラソテフの異才を乱用したナコトの高い戦闘能力は、過去に拳を交わしたホシカもよく知っていた。魔法少女になるための正式な儀式も踏んでいないのに、なかば食屍鬼であるナコトのパワーは瞬間風速的にそれを上回る。子イノシシの愛らしい外見は、いわば会話のための子機のような役回りだ。
ぬいぐるみのように摘み上げたナイアルラソテフへ、ナコトは詰問した。
「水浴びに行く、とか言っておきながら、テフ。さては彼女らを食おうとしたな?」
冷静なナコトの指摘に、ホシカとシヅルはそろって飛び上がった。後ろめたいことがあるホシカとシヅルへ、追い打ちをかけたのはナイアルラソテフを略してテフだ。
「違げぇよ。チャーシューにされかけたのは俺のほうだ。そこの魔女っ子どもにな」
口をつぐんだホシカとシヅルへ、ナコトは座った眼差しでつぶやいた。
「おまえら、気をつけろよ。こいつはわたしたちに飲み水を与える代わりに、かならずや見返りの生贄を要求してくるはずだ。せいぜい取って食われんようにな」
「あ、ああ。菜食主義が一番だぜ。ところで……」
テフの言い残した内容が気になり、たずねたのはホシカだった。
「ここの時間が限られてる、ってのはどういうことだい?」
「ホーリーの〝浄化〟のために、ぼくらの呪力はどんどん吸い取られてるのさ」
飄然と答えたのは、日陰に腰掛ける井踊静良だった。
現実や異世界を問わず、非常に稀有な〝結果使い〟に分類されるのがセラの正体だ。
結果呪は文字どおり、その場が記憶した〝過去に起こった事象〟を呪力で現在に再生する。セラの場合は〝星の記憶〟……過去に到来した〝隕石の衝突〟の結果を自在に呼び起こすのが専門だ。おまけにセラは、組織で過酷な戦闘訓練も修めている。どこまでも特殊で強力な戦士だ。
ボクっ娘は続けた。
「もうお気づきのように、ここは〝断罪の書〟とかいう本の中身だ。この景色も、たぶんホーリーの心象風景を表してる。とても乾いてるね。ぼくたちはホーリーやその刺客である古影に敗れ、この異次元空間に閉じ込められてるのさ」
小首をかしげ、ホシカは聞き返した。
「なんであたしらが狙われる?」
「幸か不幸か〝カラミティハニーズ〟のメンバーは、現代でもトップクラスに呪力が強いらしいよ。いまはそれも、ホーリーの思いどおりに呪力を生むエンジン代わりにされてるみたいだね。もしテフやルリエがこのオアシス状のバリアを張ってくれなければ、ぼくらはとっくに枯れ果てていた」
照りつける太陽とは裏腹に、セラは顔を曇らせた。
悲しげに補足したのは、久灯瑠璃絵だ。
「あたしたち〝星々のもの〟の呪力も決して無限じゃない。表情にこそ出さないけど、ナイアルラソテフも呪力の消耗にはそうとう苦しんでるはずよ。早くなんとかして脱出しなきゃ、全員の命に関わるわ」
久灯瑠璃絵……彼女は魔法少女に取り憑くべき〝外宇宙の脅威〟そのものだ。このオアシスを形成したのにふさわしく、地と水を始めとするルリエの呪力の強烈さは他に比類するものがない。
ルリエのもくろみは依然、地球の支配に変わりなかった。だがその手中に収めるべき地球そのものが、超未来の存在……ホーリーによって破壊されようとしている。現代の平和を追い求める〝カラミティハニーズ〟と、環境保護に務めるルリエの目的はいまのところ同一なのだ。
シヅルは提案した。
「うちとホシカは、魔法の戦闘機に変形できる。ちょっと空を飛んで、高くから確認してこよか? 出口がないかどうか?」
「呪力を無駄遣いするでない。やめておけ」
老けた舌使いで切り捨てたのは、逆吸血鬼のエリーだった。
逆吸血鬼とは、世にも奇妙な〝陽光の下を歩ける〟吸血鬼の呼称だ。地球原産のこの特異な怪物は、なんと人間ではなく吸血鬼の血を常食とする。その引き換えとしてか、エリーは吸血鬼の常識である〝霧やコウモリに化ける〟ことはできない。その肉体が秘めた高い不死性や、自然由来のナノマシンとも呼ぶべき血液武器化の呪力を買われ、エリーは特殊情報捜査執行局〝ファイア〟に古くから席を置いている。
眼帯がないほうの瞳を吊り上げ、そのエリーも怒っていた。
「ナコトの銃撃も、ルリエの重力場も、ミコの抜刀術も、セラの結果呪も、そしてわらわの血晶呪も、この砂漠の結界ではなんの意味もなさぬ。ええい!」
手首に輝く銀色の腕時計は、押しても叩いてもなんの反応もない。ふだんは指示や命令違反だの小煩いのに、盗聴器や自爆装置を兼ねたそれは現在も無言を貫いている。
「くそ、喉が渇いた! 血じゃ! 吸血鬼の血を配達せんかい! ただちに、ダースでじゃ! おら、組織よ、うんとかすんとか言えぃ!」
「落ち着いてください、エリー。私の腕時計も凍結状態のままです」
そうなだめて自分の腕時計を差し示したのは、黒野美湖だった。
呪力と電気でできた最新鋭のアンドロイドが、対異世界兵器のミコだ。無音武装である長刀〝闇の彷徨者〟で斬って峰打ちして生け捕りするのが、このマタドールシステム・タイプSの型番の由来でもある。ミコも立派な組織の捜査官であることは、エリーと同じ銀の腕輪からもわかりやすい。
「みなさん、ここでいたずらに慌てても仕方がありません。どうか冷静に。そこでみなさん、少しですがいいお知らせです。ここにいるカラミティハニーズが、ひとり足りないのはご存知ですか?」
その物腰柔らかな感情は、機械ではなく人間そのものだ。異世界の電子ウィルスの影響を受け、ミコはまさに限りなく人間に近い心を持っている。
指折り数えて反応したのは、ホシカだった。
「ここにいる七人プラス……あとひとり、生き残ってる八人めのメンバーがいるってことか?」
「はい、そうです。彼女はすべての始まりにして終わりの存在……」
傾聴するチームの前で、ミコはその名前を呼んだ。
「彼女はフィア・ドール。私と同じ感情ある人型機兵です。私の計算が正しければ、彼女はいまなおホーリーに対して孤軍奮闘しています。どこまでも低い確率ですが、ここに囚われる七名を救助できるかもしれません」
「だれやそれ。ほんまにアテになるんけ……?」
頼りなさげな面持ちのシヅルの横、エリーは独眼を瞠った。
「フィア。あの高火力のタイプFとな。策士のメネスのことじゃ。またなにかしら、想像も及ばぬ物騒な新兵器でカスタマイズしておるに違いあるまい?」
「はい、そのようです」
同意したミコのとなりで、うながしたのはナコトだった。
「なら脱出と正面衝突のときに備えて、いまのうちに作戦会議をしておくべきだな。この中には、まだ初顔合わせのメンバーもいる」
「じゃ、ここは恥を忍んでだね」
それぞれの顔に視線を馳せ、セラは合図した。
「改めてみんなの自己紹介と、それからホーリーへの負け方を打ち明けようよ。あらかじめシミュレーションして、対策しておくんだ」
「いい考えね。そうしましょう」
首肯したのはルリエだった。とある一人へ右手を差し出し、告げる。
「フィア、でしたっけ。直近で最後に彼女と接触したのは、エリー、あなたね。詳しいことを聞かせてもらえる?」
「よかろう。まず、わらわはじゃな……」
輪になって砂漠に座る七人を、異次元の熱波は歪めていた。
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