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「でたね、フィア・ドール……」
ホーリーが敵視するその女子高生もまた、カラミティハニーズの一員だった。
人型自律兵器の黒野美湖が格闘特化型のタイプSであるのに対し、フィアは中~遠距離戦に秀でたこれもマタドールシステム・タイプFだ。少なくとも、ホーリーの記録上ではそうなっている。
しかし、ホーリーの秘める呪力センサーが捉えたフィアの反応は、おびただしい異常を知らせていた。ずば抜けた第六感までもがホーリーに訴えている。
このフィアは危険だ。以前のちっぽけなロボットなどではない。
十歩ぶんの間合いは大切に堅持したまま、ホーリーはたずねた。
「この気配にその機体……ずいぶん思い切った改造をしたじゃないか?」
へたをすれば一瞬で万事を灰燼に帰す力を、ホーリーはその身に宿している。
そんな最強の敵を前にしながらも、フィアの返事は冷静そのものだった。
「わかる?」
「ああ。きみは異星人の強化装甲〝ジュズ〟の素材で構成されてるね。この時代のいったいどこに星外複合金属を加工する技術が……そのうえこの想定外の呪力だ。これもきみたちの指揮者、メネス・アタールの仕業かい?」
「そうよ。ホーリー、あなたの現在への干渉が、本来は存在しないはずの、あたしのこの機体を生んだ。あなたを倒すだけの武装も積んできたわ」
鈴の鳴るような声で、フィアは再確認した。
「ホーリー、あなたの狙いは人類の絶滅、らしいわね?」
「ちょっと語弊があるな。わたしが駆逐するのは未来戦争の原因、つまり現実と異世界に巣食う呪力使いのみだ。なにも全部の人類を目の敵にしてるわけじゃない。殺すのはそのおよそ、たった〝半分〟だけさ」
「だけ、ですって? やっぱり狂った虐殺主義者だわ」
眼差しを強め、フィアは聞いた。
「そのホーリーが、なぜ大地を浄化なんてしてるの?」
「大地だけじゃない」
魔導書を握るホーリーの手は、かすかに力を増した。
「大地も、空気も、海も、そして人類もだ。すべて汚れ、呪力に侵されてる。じきに襲来する過激派の侵略者どもを迎え撃つためには、あらかじめ、ありとあらゆる事象を綺麗に清算しておく必要があるんだよ。浄化装置の燃料にするため、まずはエリーを断罪の書に封印させてもらった」
「エリー?」
あたりの証拠物へ、フィアは順番に視線を移した。
丸焼けの状態で浅く呼吸だけはするデクスター伯爵、倒れたレーシングバイク、そしてホーリーの提げる大辞典……素早く状況を把握し、フィアが通信を入れたのは手首に着けた銀色の腕時計だ。
「メネス。急いで駆けつけたけど、エリザベート・クタートがいない。これってもしかして……」
銀時計のスピーカーから応じたのは、異世界の幻夢境にいる召喚士の青年だった。
〈大地の浄化は、どうやら幻夢境にまで及んでいるようだ。エリーは断罪の書に取り込まれてしまった可能性が高い。ここはいったん退け、フィア91。ホーリーと戦うには、きみはまだ未完成だ〉
「了解……いえ」
戦いの火蓋が切って落とされるのは、唐突だった。
忽然とかき消えたホーリーの姿が、フィアの背後に現れたのだ。棒立ちのフィアへ、ホーリーはそっと耳打ちしている。
「逃げられると思う? よくぞノコノコおいでなすった、フィア。きみのその莫大な呪力も、ありがたく頂くよ」
引きつけた拳を激しい呪力の重圧で歪め、ホーリーは告げた。
「〝超時間の影〟……五十倍」
だが、引き金の呪文を言い返したのはフィアだ。
「マタドールシステム・タイプF91〝赤竜〟基準演算機構を擬人形式から炎人形式へ変更……発動段階(火)」
振り返ったフィアの掌に、ホーリーの拳は衝突した。常人の五十倍以上の速度と威力で放たれたホーリーの一撃を、フィアは見事に受け止めてみせたのだ。本来なら機械ですら対応できない超絶のそれを、いったいどういう原理で?
「ふぅん?」
後方に飛び退り、ホーリーは感嘆符を浮かべた。
たったいまフィアに触れた拳は、奇妙な稲妻と薄煙を漂わせている。握ったり開いたりして手の感触を調べながら、ホーリーは原因不明の事象を推理した。
「これは……大したものだね。わたしの時間の〝加速〟に時間の〝逆流〟で対抗したか」
そう。
ホーリーの〝超時間の影〟は未来の自分の活動を今に前借りし、猛加速と高威力を叩き出す荒業だ。それに上書きする形でフィアが発揮した異能は、限定的ながらその場の時間を〝巻き戻す〟という奇跡である。加速と逆流はお互いに相殺され、予想された破壊を打ち消した。
手首の腕時計に、ふたたび囁いたのはフィアだ。
「メネス。このまま倒しちゃってもいいんでしょ、ホーリーを?」
〈よせ! 巻き戻りすぎたら〝人間化〟するぞ、フィア!〉
メネスの制止を振り切って、フィアは跳躍した。
バックステップしたホーリーを外し、フィアの繊手は地面に刺さる。刺さるや否や、おお。霧と化して爆散したのは、時間を遡って元素まで分解された土壌だ。こんな代物が直撃した日には、生身の人体など細胞から粉微塵にされるのは避けられまい。
そのプロセスは一見すると幻夢境の水呪士の治癒能力に似ているが、違う。これは狙った獲物の猛烈な減衰と退行……純然たる破壊行為だ。
フィアの魔手を精緻なステップで躱しながら、ホーリーはつぶやいた。
「わたしの何百倍速まで追いつけるか興味はあるけど……これ以上は不毛ね」
「逃がさない!」
たくみにフィアの射程圏から離れ、ホーリーは手もとの断罪の書を開いた。とあるページで止まって、読み上げる。
「ついに出番だよ、わたしの古影?」
モニターで波形を描くフィアの聴覚は、ふいに乱れた。
センサーがとらえたのは、見知らぬ呪力と、かすかな水の音だ。
「!」
とっさに回避していなければ、フィアは容赦なく食いちぎられていただろう。地面を突き破って夜空へ跳んだのは、巨大な……サメの魚影ではないか。どう考えてもここは陸なのに、こんな脅威がどこからどうやって現れたのだ?
月光に影絵と化した一瞬、人食いザメは飢餓に歯を打ち鳴らした。その魚体が半透明なのは、存在自体が呪力でできている証拠だ。現れたとき同様、ありもしない幻の水しぶきを散らして再び地面に飛び込む。
おぞましい背びれの数は、一匹ではない。少なくとも三匹はいる。それらは、波濤の軌跡を残して戻った。フィアの前方、突如として現れた主人のもとへだ。
ホーリーを守って佇むのは、白衣を着た人影だった。蠱惑的な体つきの女だ。
ただ、女の表情に意思はない。いったいどんな想像しがたい責め苦に遭ったのか、その瞳は魂が抜け落ちたように虚ろだ。断罪の書という監獄に封印されていた彼女は、ホーリーの手駒として現世に解き放たれた。幻影の肉食魚どもを手懐けて操作するのも、彼女で間違いない。
おぼつかない舌使いで、女はこれだけは打ち明けた。
「結果呪〝魔性の海月〟……」
女の正体を見破り、呼んだのはフィアだ。
「結果使いの片野透子……指名手配犯の殺人鬼〝食べ残し〟ね。行方不明だったのは、断罪の書に封印されていたからか。まさかホーリーの操り人形になっていただなんて」
「せいぜい注意することだ。トウコの牙は、星外複合金属すら容易く噛み砕く」
そう言い放ち、ホーリーはトウコの肩に手を置いた。
「じゃあ後は任せたよ、トウコ。そのお手並み、とくと拝見させてもらうね、フィア……〝超時間の影〟百倍」
「待ちなさい!」
フィアが叫んだときには、もう遅い。常人の百倍に達する逃げ足で、ホーリーはその場から消え去ってしまっている。
追おうとして、フィアは気づいた。トウコの周囲を旋回する人食いザメたちが、地面という名の海中へいっせいに潜ったのだ。この野蛮な魚類に特有のそれは、獲物に襲いかかる寸前の予備動作である。
悔しげに、フィアは銀色の腕時計へ問うた。
「メネス、承認を?」
〈穏便な撤退は無理だな……やむを得ん、迅速に片付けろ〉
あちこちで噴出する水柱の中央、フィアの腕はゆるやかに持ち上がった。指先に灼熱の呪力を走らせ、おそるべき呪文を口ずさむ。
「術式〝赤竜〟発動段階上昇……段階(炎)」
真っ赤なサメの顎と、フィアの手は激突した。
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