第一話「惑星」

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「でたね、フィア・ドール……」  ホーリーが敵視するその女子高生もまた、カラミティハニーズの一員だった。  人型自律兵器(アンドロイド)黒野美湖(くろのみこ)が格闘特化型のタイプSであるのに対し、フィアは中~遠距離戦に秀でたこれもマタドールシステム・タイプFだ。少なくとも、ホーリーの記録上ではそうなっている。  しかし、ホーリーの秘める呪力センサーが捉えたフィアの反応は、おびただしい異常を知らせていた。ずば抜けた第六感までもがホーリーに訴えている。  このフィアは危険だ。以前のちっぽけなロボットなどではない。  十歩ぶんの間合いは大切に堅持したまま、ホーリーはたずねた。 「この気配にその機体……ずいぶん思い切った改造をしたじゃないか?」  へたをすれば一瞬で万事を灰燼に帰す力を、ホーリーはその身に宿している。  そんな最強の敵を前にしながらも、フィアの返事は冷静そのものだった。 「わかる?」 「ああ。きみは異星人(アーモンドアイ)強化装甲(パワードスーツ)〝ジュズ〟の素材で構成されてるね。この時代のいったいどこに星外複合金属(ジュズチタニム)を加工する技術が……そのうえこの想定外の呪力だ。これもきみたちの指揮者、メネス・アタールの仕業かい?」 「そうよ。ホーリー、あなたの現在への干渉が、本来は存在しないはずの、あたしのこの機体を生んだ。あなたを倒すだけの武装も積んできたわ」  鈴の鳴るような声で、フィアは再確認した。 「ホーリー、あなたの狙いは人類の絶滅、らしいわね?」 「ちょっと語弊があるな。わたしが駆逐するのは未来戦争の原因、つまり現実と異世界に巣食う呪力使いのみだ。なにも全部の人類を目の敵にしてるわけじゃない。殺すのはそのおよそ、たった〝半分〟()()さ」 「()()、ですって? やっぱり狂った虐殺主義者(ジェノサイダー)だわ」  眼差しを強め、フィアは聞いた。 「そのホーリーが、なぜ大地を浄化なんてしてるの?」 「大地だけじゃない」  魔導書を握るホーリーの手は、かすかに力を増した。 「大地も、空気も、海も、そして人類もだ。すべて汚れ、呪力に侵されてる。じきに襲来する過激派の侵略者(エイリアン)どもを迎え撃つためには、あらかじめ、ありとあらゆる事象を綺麗に清算しておく必要があるんだよ。浄化装置の燃料にするため、まずはエリーを断罪の書(リブレ・ダムナトス)に封印させてもらった」 「エリー?」  あたりの証拠物へ、フィアは順番に視線を移した。  丸焼け(ベリーウェルダン)の状態で浅く呼吸だけはするデクスター伯爵、倒れたレーシングバイク、そしてホーリーの提げる大辞典……素早く状況を把握し、フィアが通信を入れたのは手首に着けた銀色の腕時計だ。 「メネス。急いで駆けつけたけど、エリザベート・クタートがいない。これってもしかして……」  銀時計のスピーカーから応じたのは、異世界の幻夢境(げんむきょう)にいる召喚士の青年だった。 〈大地の浄化は、どうやら幻夢境(こっち)にまで及んでいるようだ。エリーは断罪の書(リブレ・ダムナトス)に取り込まれてしまった可能性が高い。ここはいったん退け、フィア91。ホーリーと戦うには、きみはまだ未完成だ〉 「了解……いえ」  戦いの火蓋が切って落とされるのは、唐突だった。  忽然とかき消えたホーリーの姿が、フィアの背後に現れたのだ。棒立ちのフィアへ、ホーリーはそっと耳打ちしている。 「逃げられると思う? よくぞノコノコおいでなすった、フィア。きみのその莫大な呪力も、ありがたく頂くよ」  引きつけた拳を激しい呪力の重圧で歪め、ホーリーは告げた。 「〝超時間の影(シャドウ・オブ・タイム)〟……五十倍」  だが、引き金の呪文を言い返したのはフィアだ。 「マタドールシステム・タイプF91〝赤竜(レッドドラゴン)基準演算機構(オペレーションクラスタ)擬人形式(ステルススタンス)から炎人形式(エンジンスタンス)変更(シフト)……発動段階(エンジンレベル)(ワン))」  振り返ったフィアの掌に、ホーリーの拳は衝突した。常人の五十倍以上の速度と威力で放たれたホーリーの一撃を、フィアは見事に受け止めてみせたのだ。本来なら機械ですら対応できない超絶のそれを、いったいどういう原理で? 「ふぅん?」  後方に飛び退り、ホーリーは感嘆符を浮かべた。  たったいまフィアに触れた拳は、奇妙な稲妻と薄煙を漂わせている。握ったり開いたりして手の感触を調べながら、ホーリーは原因不明の事象を推理した。 「これは……大したものだね。わたしの時間の〝加速〟に時間の〝逆流〟で対抗したか」  そう。  ホーリーの〝超時間の影(シャドウ・オブ・タイム)〟は未来の自分の活動を今に前借りし、猛加速と高威力を叩き出す荒業だ。それに上書きする形でフィアが発揮した異能は、限定的ながらその場の時間を〝巻き戻す〟という奇跡である。加速と逆流はお互いに相殺され、予想された破壊を打ち消した。  手首の腕時計に、ふたたび囁いたのはフィアだ。 「メネス。このまま倒しちゃってもいいんでしょ、ホーリーを?」 〈よせ! 巻き戻りすぎたら〝人間化〟するぞ、フィア!〉  メネスの制止を振り切って、フィアは跳躍した。  バックステップしたホーリーを外し、フィアの繊手は地面に刺さる。刺さるや否や、おお。霧と化して爆散したのは、時間を遡って元素まで分解された土壌だ。こんな代物が直撃した日には、生身の人体など細胞から粉微塵にされるのは避けられまい。  そのプロセスは一見すると幻夢境(げんむきょう)水呪士(すいじゅし)の治癒能力に似ているが、違う。これは狙った獲物の猛烈な減衰と退行……純然たる破壊行為だ。  フィアの魔手を精緻なステップで躱しながら、ホーリーはつぶやいた。 「わたしの何百倍速まで追いつけるか興味はあるけど……これ以上は不毛ね」 「逃がさない!」  たくみにフィアの射程圏から離れ、ホーリーは手もとの断罪の書(リブレ・ダムナトス)を開いた。とあるページで止まって、読み上げる。 「ついに出番だよ、わたしの古影(ミメット)?」  モニターで波形を描くフィアの聴覚は、ふいに乱れた。  センサーがとらえたのは、見知らぬ呪力と、かすかな水の音だ。 「!」  とっさに回避していなければ、フィアは容赦なく食いちぎられていただろう。地面を突き破って夜空へ跳んだのは、巨大な……サメの魚影ではないか。どう考えてもここは陸なのに、こんな脅威がどこからどうやって現れたのだ?  月光に影絵と化した一瞬、人食いザメは飢餓に歯を打ち鳴らした。その魚体が半透明なのは、存在自体が呪力でできている証拠だ。現れたとき同様、ありもしない幻の水しぶきを散らして再び地面に飛び込む。  おぞましい背びれの数は、一匹ではない。少なくとも三匹はいる。それらは、波濤の軌跡を残して戻った。フィアの前方、突如として現れた主人のもとへだ。  ホーリーを守って佇むのは、白衣を着た人影だった。蠱惑的な体つきの女だ。  ただ、女の表情に意思はない。いったいどんな想像しがたい責め苦に遭ったのか、その瞳は魂が抜け落ちたように虚ろだ。断罪の書(リブレ・ダムナトス)という監獄に封印されていた彼女は、ホーリーの手駒(ミメット)として現世に解き放たれた。幻影の肉食魚どもを手懐けて操作するのも、彼女で間違いない。  おぼつかない舌使いで、女はこれだけは打ち明けた。 「結果呪(エフェクト)魔性の海月(ヴーゾンファ)〟……」  女の正体を見破り、呼んだのはフィアだ。 「結果使い(エフェクター)片野透子(かたのとうこ)……指名手配犯の殺人鬼〝食べ残し〟ね。行方不明だったのは、断罪の書(リブレ・ダムナトス)に封印されていたからか。まさかホーリーの操り人形になっていただなんて」 「せいぜい注意することだ。トウコの牙は、星外複合金属(ジュズチタニム)すら容易く噛み砕く」  そう言い放ち、ホーリーはトウコの肩に手を置いた。 「じゃあ後は任せたよ、トウコ。そのお手並み、とくと拝見させてもらうね、フィア……〝超時間の影(シャドウ・オブ・タイム)〟百倍」 「待ちなさい!」  フィアが叫んだときには、もう遅い。常人の百倍に達する逃げ足で、ホーリーはその場から消え去ってしまっている。  追おうとして、フィアは気づいた。トウコの周囲を旋回する人食いザメたちが、地面という名の海中へいっせいに潜ったのだ。この野蛮な魚類に特有のそれは、獲物に襲いかかる寸前の予備動作である。  悔しげに、フィアは銀色の腕時計へ問うた。 「メネス、承認を?」 〈穏便な撤退は無理だな……やむを得ん、迅速に片付けろ〉  あちこちで噴出する水柱の中央、フィアの腕はゆるやかに持ち上がった。指先に灼熱の呪力を走らせ、おそるべき呪文を口ずさむ。 「術式(システム)赤竜(レッドドラゴン)発動段階上昇(エンジンレベルリライト)……段階(レベル)(ツー))」  真っ赤なサメの(あぎと)と、フィアの手は激突した。
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