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先陣を切って襲いかかった半透明のサメを、フィアの一撃は瞬時に分解した。
素粒子である結果呪の呪力まで、その時間を逆行させられたのだ。
だが、一番槍のサメはただの囮にしか過ぎない。ほんのわずかに停滞したフィアの左右から、新たな二匹のサメは絶妙のタイミングで飛びかかっている。
たちまち、怪物ザメの一匹は胴体から真っ二つになった。フィアの繰り出した神速の回し蹴りは、もはや蹴りの域を超えて斬撃そのものだ。強烈な呪力キックで、まずは一匹を両断。同時に走ったフィアの手は、残る一匹の人食いザメの鼻先を掴んで止めている。
それすらもトウコの罠だった。
隙を突いてフィアの背後に忍び寄るや、トウコみずからの放った拳から、ありえない四匹めのサメが現れたのだ。この素早く力強い結果呪の錬成と巧みな戦略……殺人鬼〝食べ残し〟には、以前とは違うホーリーの邪悪なバックアップが施されている。
この卓越した連携は、さすがにフィアの想定にはない。計算外のサメの体当たりを避けきれず、フィアはあっけなく地面に突き飛ばされた。倒れたそこへ、まとめて降下したのは追撃のサメ二匹だ。嬉しげに身をくねらせる幻影の肉食魚の奥底、その咬合力が大量に掘り返す土砂にフィアは消えている。地獄のような歯列の連続に噛まれ、ばらばらに食い散らかされるフィアの姿は想像に難くない。
ゾンビみたいに白衣の背中は丸めたまま、看護師は口端に涎を輝かせた。つごう四匹の下僕を使って計画どおりに獲物を仕留め終え、この意思のない傀儡も条件反射で喜悦と満足を覚えたらしい。
いや、まだだ。
トウコは目を剥いた。またもや爆発した粉塵の下から、勢いよくフィアが飛び出したではないか。フィアの両手は機械の馬鹿力で、なんと二匹の巨大ザメの喉首を掴み上げている。苦しげに魚体をよじるサメどもを吊るした格好で、フィアは特別製の攻撃システムを顕現した。
「〝赤竜〟!」
呪力のサメどもを時間減退で粉砕するなり、フィアは灼けた残像をひいてトウコに肉薄した。巻き戻しの次は、アンドロイドの桁外れな超加速だ。必殺の手刀が、猛スピードで薙ぎ払われる。
腕を振り切って止まったフィアの眼前、トウコに異変は訪れた。
フィアの一閃したダメージにそって、古影の肉体はみるみる崩壊していく。それまでトウコ自身を構成していた本のページと化してだ。ふたたび断罪の書の紙片に戻ると、夜風に吹かれて盛大に舞い散る。トウコの姿は完全に消滅し、もはや跡形も残っていない。
「炎人形式、一旦解除……」
つぶやいたフィアの学生服は、そこかしこから放熱の蒸気を噴いた。
油断せず、注意深くあたりを見渡す。いつどこからホーリーが不意討ちしてくるかわからない。ひとまず敵性反応がないことを確認し、フィアは重苦しく嘆息した。
「結果使いの古影。思わず殺られるところだったわ。ホーリーはいったい何人分、あんな秘密兵器を断罪の書に隠し持って……痛た!」
フィアは顔をしかめた。
痛い?
損傷を数値でしか計測しない人型自律兵器が〝痛い〟と言ったのか?
それも致し方ない。フィアが真剣にかばう指先には、なぜか、作り物のそれではない確かな生身の色艶が宿っている。そこを始点にわずかに通うのは、本物の人間の神経だ。それを経由し、いまの戦闘のダメージはフィアへ明らかな痛覚を訴えた。
フィアが時間を巻き戻りすぎたら〝人間化〟すると念押ししたのは、主人のメネスだ。
そう、マタドールは、亡くなった人間の部位を呪力で強化し、加工して機体の素材としている。なので時間を遡る〝赤竜〟を乱用すると、死体がある種の蘇生を遂げるのだ。
つまりフィアは、力を使えば使うほど、か弱い少女に近づく。
痛がるフィアへうながしたのは、腕時計のメネスだった。
〈やはり来たか、能力を使った反動が。帰ってくるんだ、フィア。精密検査して、人間化した箇所を取り除く必要がある〉
これも人間さながらの冷や汗を浮かべ、フィアは聞き返した。
「やっぱり機械のままがいいの、メネス?」
〈……なに?〉
「いえ、ね。この戦争が終わったら、あたし、人間になってもいいのかな、って。普通の人間にさ。そしたらメネス、機械好きのあなたは嫌いになる、あたしのこと?」
〈…………〉
メネスは逡巡した。目先の戦いにばかり気をとられ、考えもしない質問だったらしい。
〈無駄話はあとにして、さっさと戻ってきたまえ。無事なカラミティハニーズたちに情報共有し、対ホーリーの態勢を立て直す必要がある。三世界会議のときも近い〉
三世界会議?
すなわちそれは、地球の政府、異世界の幻夢境、そして宇宙人の穏健派という三つの代表で執り行われる和平協議のことだ。本来の時間軸ではついに実現しなかったそれを、耳の早いホーリーが知らないはずはない。世界の別け隔てなく呪力を忌むホーリーは、必ずこの邪魔な会合を潰しにくる。
痛みを我慢し、フィアはせいいっぱいメネスへ笑った。
「あ、照れた? もしかしてメネス、いま照れちゃった?」
〈うるさい、黙れ……〉
ああだこうだ言い合いながら、フィアは帰り道へ踵を返した。フィアが身振り手振りで誘導したのは、まだ息のあるデクスター伯爵を収容しにきた政府の特殊車両だ。
……その光景を遠く、山林の陰から見つめる人影がある。
「これは、骨や筋肉が〝若返った〟?」
深刻げに、ホーリーは自問自答した。
そっと開け閉めする拳には、まだ奇妙な違和感が残っている。どうやらフィアの呪力に触れたあの一瞬に、鍛え上げた利き手が柔な少女時代のそれに戻ってしまったらしい。積み重ねた修練をもゼロに減衰させるとは、恐ろしい異能だ。
「わたしも時間を巻き戻すのは得意だけど、いくらなんでも、若返るというこのダメージをどうこうするのは無理ね。また歴史上に想定外が生まれたようだわ」
そういうわけで、あの専用改造されたフィア91とやらは相当に手強い。ホーリーの記憶にあるどの戦士よりもだ。天敵さ加減が別次元である。さすがに対未来型アンドロイドなる通り名は伊達ではない。
「あのフィアは危険すぎる。これではわたしの目的に支障がでるわね」
手もとの魔導書を無造作に繰り、ホーリーはささやいた。
「わたしもチーム戦に移るとしましょう、カラミティハニーズを見習って。メネス・アタールが世界線の移動に特化してるなら、時間軸の移動はわたしが有利だわ。古影にスカウトするのは……」
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