第二話「連星」

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 過去の赤務(あかむ)市……  美樽(びたる)山。  森林の夜空には、美しい流星群が降り注いでいた。  たったいま魔法少女の伊捨星歌(いすてほしか)に叩き割られたのは、巨大隕石〝ハーバート〟だ。街に衝突して日本地図さえ書き換えるはずだったそれは、いまや粉々の破片に砕かれ、無害な光のパレードと化して黒天を照らしている。  樹木の一本に引っかかり、その人影は気を失っていた。  はるかな空の高みから落下してきたにも関わらず、運良く命が助かったらしい。さっきホシカの〝翼ある貴婦人(ヴァイアクヘイ)〟の翼刃(ブレード)に貫かれた胸の傷跡は、本能的な呪力の治癒によってなんとか塞がりつつある。  真性の邪悪である彼女は、正義のホシカに倒されたのだ。  足が絡まった木蔦に宙吊りになり、彼女は空中で上下逆さまになっている。  無様なその頬に、気付け代わりに触れたのはホーリーだ。 「〝角度の猟犬(ハウンド・オブ・ティンダロス)〟……魔法少女、雨堂谷寧(めどうやねい)?」  名前を呼ばれ、ネイはわずかに目を開けた。天地反対に視界にたたずむホーリーへ、虚ろげな声で応じる。 「めどうや……ねい?」  そっと周囲を見渡し、ネイは問うた。 「ここは、どこ? 私は、だれ?」  眉根を曇らせ、ホーリーは嘆いた。 「あまりにダメージが大きすぎて、記憶喪失になったんだね。これではわたしの古影(ミメット)をするにも支障がでる。まずは思い出を蘇らせてあげよう……〝断罪の書(リブレ・ダムナトス)〟」  手もとに用意した神秘の魔導書を、ホーリーはぱらぱらとめくった。 「!」  驚きに、ホーリーの瞳は瞠られた。辞典に記されたネイの未来を目の当たりにし、強いショックを受けたのだ。 「まさかこんな偶然が。雨堂谷寧(めどうやねい)あらため、ネイ・メドーヤ。生き残ったきみは将来、あのジェイスやハンを導く〝ファイア〟のリーダー格になる。きみがいなければ、わたしの恩人たちはアーモンドアイの過激派と戦うことはできない。これはおいそれと、ただの戦う操り人形にすることはできないね。さて、どうしたものか……」  考え込むホーリーのうしろで、森の茂みが鳴ったのはそのときだった。  暗闇を切り裂く懐中電灯の投光……人の気配だ。  辞書を閉じ、ホーリーはやむなく後退した。 「ネイの勧誘は無理だ。救助も現れたようだし、次を当たろう」  続いてホーリーが足を運んだ先も、過去の赤務(あかむ)市だった。  時刻はこれも夜……とあるマンションの屋上。  また時間は止まっている。  哄笑したまま石化するのは、ふたたび雨堂谷寧(めどうやねい)だ。その呪力は全開一歩手前である第三関門(ステージ3)まで高まり、まとう衣装も魔法少女のそれに変貌している。肩にかついだ大鎌(デスサイズ)の輝きは禍々しい。だが、彼女がホーリーの古影(ミメット)に適さないことは、とうに調査済みだ。  こんどのホーリーの目当ては、その場にいるいま一名の魔法少女にあった。  美須賀(みすか)大付属の制服姿に戻った彼女は、苦しげに床で四つん這いになっている。とめどなく呪力の溶液を滴らせるのは、ガラス細工のようにひび割れたその片目だ。これは呪力の消耗し過ぎ……魔法少女の明らかな〝時間切れ(トラペゾヘドロン)〟に違いない。  果敢にも彼女はネイに挑み、そして敗れ去った。  瀕死の魔法少女の肩に手を置き、動く許可を与えたのはホーリーだ。 「!」  痙攣した呼吸を漏らし、少女は背後へ飛び退いた。壁面にぶつかって、足もとへ尻もちをつく。ぜいぜい喘ぎながら、片目をかばってホーリーへ尋ねたのは少女だ。 「こ、これは一体……私は時間切れ(トラペゾヘドロン)に襲われて死んだはずじゃ?」  少女の眼前に立ち、返事をしたのはホーリーだった。 「星々のものに食われて息絶えるか、わたしの古影(ミメット)になってラストチャンスに賭けるか……選択するのはきみ自身だよ、〝風を歩むもの(イタクァ)苛野藍薇(いらのあいら)?」  かばった片目から、アイラはそっと手を放した。その瞳に編み込まれた呪力の五芒星には、一角だけ生命の色彩が復活している。それを認識しながらも、なお怪訝そうにアイラはつぶやいた。 「あんたが呪力を分け与えてくれたというわけか。何者?」 「わたしはホーリー。はるか先の未来から、きみをスカウトしにきた」 「未来……この止まった時間を見るに、すべてが嘘というわけでもなさそうね」  肩をすくめて、アイラは続けた。 「でも、おあいにくさま。だれかの指図を受けて戦うつもりは、もう私にはない。悪いけど帰って、ホーリーさんとやら?」 「別に構わないけど、その場合、その五芒星の呪力も返してもらうよ?」 「…………」  歯噛みして、アイラはうめいた。 「選択肢なんてないじゃない。で、この私に、なにと戦えと?」 「カラミティハニーズとさ。もちろん単独でとは言わない。すでに合流済みの仲間と、さらにスカウトする何人かの味方もいる。おまけにきみの呪力は、わたしのバックアップを受けて倍増することになるね」  腰を抜かしたままのアイラへ、ホーリーは手を差し伸べた。 「さあ行こうか、忍者の魔法少女。存分に振るってよ、その氷の暗殺の力を?」  憎らしげにホーリーの掌を睨み、アイラは口を挟んだ。 「条件があるわ」 「うん、言ってみな?」 「仕事を終えたら、私を自由にして。それだけよ」 「わかった。交渉成立だね」  ホーリーの手を借り、アイラは立ち上がった。  アイラの眼光の奥底には〝油断すれば主人でも寝首を掻き切る〟という敵愾心が秘められているし、一方のホーリーにも〝逃げられるものなら逃げてみろ〟という同類のそれがある。  さっそくアイラは、ホーリーのコントロールを外れた。アイラが歩み寄ったのは、時間停止したネイだ。空気の凍る音。アイラの手には、氷でできた鋭い刃が現れている。  ホーリーは制止した。 「ちょっと待った。なにをする気だい?」 「決まってるわ。あの忌々しい雨堂谷寧(めどうやねい)の頸動脈を千切るのよ」 「だめだめだめ。ここでネイが死んだら、世界線がおかしなことになる」 「くそ、放せ!」  嫌がるアイラの腕を掴み、ホーリーは強引に連れて行った。  次にホーリーが訪問したのは、またもや昔の赤務(あかむ)市内だ。  閉館後の夜闇に包まれた美須賀(みすか)動物園……  もちろん時間は止まっている。  人知を超えた大型の拳銃を掲げるのは、血まみれの染夜名琴(しみやなこと)だった。空間ごと硬直した彼女を即座に抹殺するのは簡単だが、ここはホーリーが主体とする時間軸とは違う。この場で邪魔者を葬ったとしても、ホーリーが本来いるべき歴史にはなんの影響もない。  ナコトの銃口が照準する先、悪鬼の形相で飛びかかるのは一人の少年だ。凛々橋恵渡(りりはしえど)と呼ばれるのは外見だけで、精神の内容はまったく別のものに乗っ取られている。 「〝魂変え(ドアーステップ)〟の呪力使い、樋擦帆夏(ひすりはんな)……」  憑依したなにかの正体を看破し、ホーリーは少年に触れた。  同時に、少年だけが動き出す。ホーリーにわずかに攻撃の軌道を逸らされ、ナコトを外した場所に獅子のごとく着地したのだ。そしていまのハンナは、目に映るあらゆる対象を襲う無差別な殺戮マシンに等しい。  唸りをこぼして振り向くや、ハンナの双眸は輝いた。気づいたときには、ホーリーはホーリー自身の姿を眺めている。 「へえ?」  興味深げに、ホーリーは自分の手足を確認した。瞬間的にハンナの精神交換の能力を浴び、ホーリーの魂はエドの体に移し替えられたのだ。  では、ホーリーの肉体を奪ったハンナはといえば……  でたらめに痙攣する四肢は、ろくに自由が効かない。  震えるホーリーの声で、ハンナは狼狽した。 「な、なんです、この体は……?」  エドの表情で、ホーリーはささやいた。 「ボロボロでしょ、なにもかも。よくもまあ、立って歩けるかという具合に。手慣れたわたしの意思で時間を前借りし続けなきゃ、そのボディは動かないよ。今度からは、すり替わる相手の構造はよく確認しなきゃね」  エドの手で、ホーリーは近くの街灯を指差した。  その支柱を背に力なく座らされる姿は、ハンナも馴染みがある。すなわちそれは、ハンナ自身の少女の体に他ならない。あの容器は以前、ナイアルラソテフの銃撃に蜂の巣にされて完全に死んだはずだが……  その答えも、ホーリーはエドの声で明かした。 「事前に回収して新品同様に修繕し、おまけに心身ともに超強化しておいた。エドの格好のままだと、わたしの古影(ミメット)としての仕事も色々とやり辛いからね。さ、早く精神をもとに戻さなければ、先にきみがわたしの肉体の崩壊に飲まれちゃうよ、ハンナ?」 「く……仕方ありません」  ハンナの霊魂はハンナの体に帰り、ホーリーも元来のホーリーのそれへ宿った。その中間地点で、抜け殻になったエドの体は倒れ伏している。  生き返ったように視線を上げたハンナへ、ホーリーは質問した。 「わたしの体を操作したなら、わたしの脳内の考えもきちんと読んだね?」 「ええ、超未来のホーリー。あなたの兵士として協力しろ、とわたしに仰るんでしょう?」  警戒は崩さず、ハンナは首を振った。 「残念ですが、お断りします。わたしのご主人様は、あの方ただひとりです」 「〝名状しがたきもの〟ハスターのことだね。そのハスターに、赤務(あかむ)市で実験を開始するように未来から仕向けたのも、このわたしだよ?」  ハンナの顔は強張った。 「また性懲りもない痴れ言を。信じると思いますか?」 「ハンナは得意だよね、他人の思考を読むのが。許可するから、嘘か真か、わたしの本心を覗いてごらん?」 「…………」  ハンナはじっと、ホーリーの瞳を見据えた。めくるめく双方を飛び交ったのは、不可視の思考の稲妻だ。直後、ハンナの面持ちには悲嘆の波紋が広がっている。  「そ、そんな……」 「見えた?」 「ええ、たしかに目撃しました。染夜名琴(しみやなこと)の、おぞましい黒炎に焼かれるハスター様のお姿を……いったい、いったいどうすれば?」 「わたしなら、運命を変えられる。カラミティハニーズを倒し、きみとハスターの命を救うんだ」  がっくり膝をつき、ハンナは深々と頭を垂れた。 「なんなりとご指示をお申しつけください、ホーリー様。あのお方の尊い命を守るためなら、わたしは手段を選びません……」 「期待してるよ、ハンナ。その顔が、カラミティハニーズのだれかに成り変わることをね」
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