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ニコラ、アイラ、ハンナと、これで古影は三名……
四人めを勧誘するためにホーリーが目指したのは、こんどは過去ではない。
そこは、西暦二〇七〇年代を迎えた未来の地球だ。異星人との宇宙戦争に疲弊しきった惑星は、マイナス七十度以下の氷河と喪失感にまんべんなく覆われている。
ここはどこだろうか。風速百メートル超の猛吹雪が荒れ狂う雪原には、ぽつぽつと一人分の足跡が穿たれていた。生命維持装置のシェルター都市も見当たらないのに、どこへ向かおうとしたのだろう。
その人影は、なぜか満身創痍だった。もとは仕立てのよかった女物のスーツはいまやぼろぼろに破れ、滲んだ鮮血さえも凍ってしまっている。いったいなにと戦っていたのだろうか。
大量の雪粒をまとい、彼女は地面に倒れ伏していた。かろうじて彼女の生存を知らせるのは、不定期に唇から漏れる白い吐息だけだ。
風鳴りだけが耳朶を弄する世界は、ふと輝いた。ひざまづいたホーリーが、傷だらけの戦士の肩に触れたのだ。吹雪さえも停止した時間の中、ホーリーは彼女にささやいた。
「ダリオンハーフ、ハン・リンフォン……」
「……?」
人型に沈んだ雪面から、ハンは半身を起こした。すでにその負傷は衣服ごと、ホーリーの呪力によって回復されている。大いなる時間停止の影響で、生命を蝕む冷気も感じられない。
眼前にたたずむ少女の顔を一瞥し、ハンは息を呑んだ。
「あんたまさか……ホーリーなの?」
「うん、久しぶりだね。とは言ってもここは、わたしさえも知らない未来の結末。いったいなにがあったの、ハン?」
「組織で色々あってね。いまのあたしゃ、殺し屋に追われる身さ」
へたり込んだまま、ハンは首を振った。
「消え去ったはずのホーリーがいきなり雪道に現れ、しかも子どもだったのがいい歳まで成長してる。これはいよいよ、あたしは野垂れ死んだんだね。きっとあたしは今頃、最後の体温まで失くしながら幻と喋ってるんだ。ぜんぶ夢さ」
「夢という認識でもいい。その力を貸してくれないかな、ハン。わたしの古影として、邪悪な過去と戦うんだ」
「邪悪? 敵かい?」
「敵には腐敗した呪力使いと、あなたがもっとも嫌うダリオンも含まれてる。ぜんぶ絶滅させて、幸せに人生をやり直すんだ」
「ダリオンの絶滅……そりゃ名案だね。でも」
自嘲げな笑みを、ハンは浮かべた。
「ここしばらくの間に、あたしも考えを変えてさ。この体に流れるダリオンの血も、やっぱりあたしなんだ。あたしは自分の否定をやめた。ダリオンと一生、ともに暮らすことを受け入れたんだよ。皮肉なことに、それが組織の怒りを買う原因になったんだけどね。そういうわけで、あたしはあんたの望みを叶えられない」
「そんな……!」
悲痛に顔をゆがめ、ホーリーは訴えた。
「あなたは誓ったはずだ。アーモンドアイと、地球人の裏切り者、そしてダリオンを徹底的に根絶やしにすることを。お願いだから、わたしに協力してよ。約束したよね、わたしを守ってくれるって?」
「あたしごときが守らなくたって、あんたはもう一人前さ」
「この絶望的な状況下で、いったいこれからどうするつもり? 血も涙もない政府から切り捨てられたんでしょ?」
「怪我を治してくれて、ありがとね。これならなんとか自力で歩いて、組織に投降できそうだ。ちょっとしたすれ違いでこんな場所に放り出されたんだが、必死に謝ればまだチャンスはある。いったん檻にぶち込まれるのは確かだけど、あたしはまた捜査官として働くことにするよ、人類のために」
「清算しなくてもいいのか、誤った過去を!」
珍しく怒鳴ったホーリーを、ハンはぎゅっと抱きしめた。少女の温もりは、とても幻覚とは思えない。
柔らかさと感情の波に押され、ホーリーの頬に伝ったのは涙のしずくだ。ホーリーの鼓膜に、ハンは優しく耳打ちした。
「正解も不正解も、ぜんぶがあっての現在さ」
「すべてを肯定しながら、わたしは否定するの? 悪を討伐するこの旅が愚かだと?」
「いいや、あんたは正しい。戦争自体を止めようとするその目標は立派さ」
「いえ、おそらくわたしは、新たな戦争の火種を起こそうとして……」
「振り返らなくていい」
ホーリーを包むハンの力は強まった。
「うしろなんて見ず、とことんまで突き進みな。この銀世界から応援してるわ、あんたのこと。必ず全滅させるんだよ、ダリオンを。その結果、将来にあたしが生まれてこなくなろうと構やしない」
「そこまで腹を括ってるんだね、ハン……わかった」
ハンの腕の中、ホーリーはうなずいた。
「わたしも覚悟を決めた。あなた抜きでも絶対に勝つよ、この戦いに」
ダイヤモンドダストの嵐は、ふたたび動き始めた。
豪雪に叩かれるハンを残し、もはやホーリーの姿はない。
開けていられずに瞳を細め、ハンは虚空へ親指を立てた。
「いってらっしゃい。風邪ひかないでね」
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