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第一話「惑星」
そこは、見渡す限りの砂漠だった。
気温は恐ろしく暑く、陽が暮れる気配もない。この熱波の下では、頭上に広がる雲ひとつない青空さえ死の色に思える。かんかん照りの太陽が生むかげろうの果てには、いつまで経っても人の住む建物等は見当たらない。
熱風が吹き流す砂丘に、点々と続く足跡はあった。
ふたりぶんだ。
顎に伝った汗をぬぐう人影は、この場に似つかわしくない格好をしている。
すなわち、日本にある美須賀大学付属高校の制服だ。
制服は、女子高生の着るそれだった。
ひとりの名前は、伊捨星歌。
ふたりめは江藤詩鶴という。
その雰囲気はともに、世間でいうところの〝ガラが悪い〟〝不良〟諸々の部類に属するものに他ならない。おまけにふたりは奇遇にも、とある悪の組織に人体を改造されて生み出された〝魔法少女〟でもある。そう、ふたりともが魔法少女だ。
だが、彼女らの超常的な特殊技能である〝呪力〟も、この謎の熱砂を乗り越える役には一切立たない。むしろ、拷問じみた大自然の猛威は、この特殊能力者たちの強靭な生命すら刻々と蝕みつつある。
つまりふたりは、死にかけだ。
靴の中からなにから砂まみれになりつつ、少女たちは酷暑の下をふらふら歩いた。
枯れた声で切り出したのは、ホシカだ。
「なあ、シヅル……」
「な……なんや?」
応じたシヅルの口調も弱々しい。彼女の言葉遣いには、生まれ育った地方特有のなまりが含まれている。
襲いかかった高温の砂塵から顔を守り、ホシカはたずねた。
「ここ、どこだ? 鳥取県か?」
「あほ言いな。鳥取の砂丘がこないに広いわけないやろ」
「なんでこんな場所で迷子になってんだ、あたしたち……?」
「うちが聞きたいわ。いや……」
唾液に混じった砂粒を、シヅルはいまいましげに吐き捨てた。視線を伏せ、過去の記憶に思いを馳せる。
「さっき、うちらは負けたんや。来楽島の砂浜で、ホーリーにな」
「やっぱそうか……」
悔しげに、ホシカは拳を握りしめた。
太平洋に浮かぶ自然豊かな孤島……来楽島で、とある戦いが生じたことは記憶に新しい。
きっかけは悪性の呪具〝欠片〟と、それを生み出す魔人・ダムナトスだった。
わずかでも素質を秘めた人間に、シャードは束の間の魔法能力を与える。代償として犠牲者から吸い取るのは、致命的なレベルの呪力だ。シャードを経由して呪力の枯渇した犠牲者は、狂気のモンスター〝死魚鬼〟への変貌を遂げる。
一連の過程は、麻薬の反動に近い。
そんな悪質な手法で徴収した呪力を、ダムナトスはいったいなにに使おうとしたのか?
答えは簡単だった。完全無欠の呪力戦士を製造しようとしたのだ。未来から訪れた脅威の超存在〝ホーリー〟と戦うために。それだけの理由で何人の尊い命が失われ、凶暴な死魚鬼が発生したか見当もつかない。
ただ、ダムナトスの悪事は指をくわえて見過ごされるものでもなかった。多難な試練を乗り越えて来楽島に集結したのは、人類の味方側に位置するこの三名だ。
久灯瑠璃絵、江藤詩鶴、伊捨星歌……
彼女らは命がけでダムナトスを討伐し、その野望を阻止した。
しかし、想定外はここからだ。
ほんらい立ち塞がるはずだったダムナトスの超戦士はいない。そんな中、最強最悪のホーリーが、ホシカたちの前に現れたではないか。
正義の三人は消耗しきっていたが、果敢にもホーリーに立ち向かった。そして、たちまち瞬殺される。正確にはダムナトスの真の姿〝断罪の書〟の呪力により、ホシカ・ルリエ・シヅルは魔書の内部に封印されてしまったのだ。
それぞれが変化したページの内訳はこうである。
ホシカは〝イステの書〟に。
ルリエは〝ルルイエ異本〟へ。
シヅルは〝エルトダウン断章〟に成り果てている。
現代最高峰の呪力を我が物とし、ホーリーはついに行動へ移った。
なんと、汚れきった世界の浄化を開始したのだ。まずは空気、つぎに大地、さらには海ときて、最後には呪力に汚染された人類の粛清……要するに、全人類の半分以上を占める呪力使い、および無自覚の呪力潜在者の抹殺を企てていると聞く。
と、ここまでが本になりかけながらホシカたちが知ったホーリーの画策だ。いまどの程度まで計画が進行しているのかは、この地獄の砂漠からは窺い知れない。
道を閉ざす砂山を這い登りながら、ホシカは当然の疑問符を浮かべた。
「封印されたあたしらが、なんでこんなトコにいるんだよ……」
ホシカが手を伸ばしたときには、もう遅い。深い砂に足を取られたシヅルは、地面に倒れ伏している。
砂埃の入った咳を連発し、シヅルは苦悶した。
「もしかしたらここが〝断罪の書〟の本の世界なんかもしれん……」
無慈悲な砂嵐だけが、びょうびょうと二人を痛めつけた。
シヅルはもう歩けそうもない。呪力も体力も限界だ。遅かれ早かれ、ホシカも脱水症状で倒れるだろう。
(これはマジぃ……死んだ)
砂山の頂点で、とうとうホシカは膝をついた。先の見通せないの砂の突風へ、むなしい怨嗟をつむぐ。
「くそ、日陰と水さえありゃ、呪力も戻るのに……だれか助けろ!」
砂の竜巻が行き過ぎたそのときだった。
「!」
ホシカの瞳は、にわかに輝いた。
砂山の下に広がるのは、小ぶりだが確かな水の池だ。水たまりの周囲には、お情けとばかりにヤシの樹木も実っている。どう考えても蜃気楼の類ではない。仮に幻覚なら、今度こそアウトだ。
渾身の力でシヅルを砂山に引き上げ、ホシカは事実を知らせた。
「シヅル! あれ見ろよ!」
「……オアシスや!」
最後の命の火種を燃やし、ホシカとシヅルは砂山を駆け下りた。こけつまろびつ、砂粒まみれになりながら水辺へ向かう。
「動くでない」
「止まりなさい」
木陰から現れたのは、異口同音の警告だった。
同時に、ホシカとシヅルの喉首には、二振りの鋭い刃物が触れている。
ひとつは研ぎ澄まされた高分子素材の片刃の剣……極薄の長刀だった。
もう片方の凶器は、紅蓮の流体を獰猛なチェーンソーのごとく回転させている。それが血液そのもので形成された長剣であることを、ホシカもシヅルもまだ知らない。
冷汗を流してホールドアップし、ホシカは引きつった嘆きをこぼした。
「こ、ここで敵さんのご登場か……終わった」
そう。
異次元の貴重な水源を守る存在は、人間ではなかった。
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