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1話:邂逅
『あの日、恋を失って』
「好き」だと告げてしまったからなのでしょう?
二度と会えなくなったのは
もし「好き」だと言わなかったら
あなたはまだそこにいて
今も一緒にいられたのかもしれないのに
浅海 悠日は、0組で目にした読み人知らずの詩をふと思い出していた。窓から差しこむ夕陽が、校内をオレンジ色に染めている。がらんとした廊下には、忘れ物を取りに戻ってきた悠日の姿しか見えなかった。
本来なら今頃、男子バレーボール部のチームメイトと、近くのショッピングモールで鯛焼きでも買い食いしているところなのに。自分を置いて先に帰ってしまった彼らに唇を尖らせた。
でも、明日、英語の小テストがあると気づかせてくれたのは、チームメイトでありクラスメイトの木村 誓司だ。部室でユニフォームから制服に着替えている最中にその話題が出なかったら、小テストの存在なんてすっかり忘れていたことだろう。明日の小テストはきっと悲惨な結果に終わっていた。現在かろうじて上位クラスに留まっているが、点数次第では下位クラスに落とされかねない。クラスが落ちるのは絶対にごめんだ。そう、絶対に。
汗ふきシートや制汗剤で、可能な限り身体を清潔にしたつもりだけれど、どうにもまだベタベタする。右手でワイシャツの襟を掴んでバタバタと風を送った。梅雨も明けて、いよいよ本格的な夏が始まろうとしていた。
2年3組――悠日のクラス――に人影はなかった。窓の向こうの大きな夕陽が、チカッと目に映って眩しい。夕暮れの教室は日中の活気ある風景とは違ってどこか寂しげで、なんとも言えないエモーショナルな雰囲気を醸し出していた。ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、パシャッと一枚写真に収める。うん、なかなかエモい写真が撮れた。
教室のド真ん中にある自分の机から、A5サイズの本を取り出す。悠日の忘れ物、英語の教科書だ。お弁当とユニフォームしか入っていないスカスカのスクールバッグに、ポイッとそれを投げ入れる。教科書はすべて置き勉。それが悠日のスタイルだ。
教室を出る。2組、1組と通り過ぎていく。1組のとなりの空き教室――通称0組――に差しかかったとき、足が止まった。窓際、前から2列目の机。強烈な光を放つ夕陽をバックに、女子生徒が立ったまま机の上を消しゴムでゴシゴシとこすっていた。2.0の悠日の視力は、消しゴムがMONO消しゴムであることさえも認識していた。
一見すると異様な光景だが、悠日にはピンときた。あそこに書いてあるのは、学年中で噂が広まっているポエムに違いない。それをあの子が消している? そんなの絶対にダメだ。あのポエムは、悠日自身も、そして悠日の友達も、何より学年中が密かに楽しみにしているというのに!
「おい! 何やってんだよ! 勝手に消すな!!」
ドスドスと荒々しく足音を立てて0組に入る。彼女は一瞬ビクっと身体を震わせたが、悠日のほうに顔を向けることはなく、消しゴムを持つ右腕をよりすばやく動かし始めた。
「やめろって!」
彼女の二の腕を掴んで引っ張り上げた。艶やかなセミロングの黒髪が、反動でサラッと揺れる。ようやく、彼女は顔を上げた。目の上で真っ直ぐ切り揃えられた前髪。楕円系の縁なし眼鏡。大きな黒い瞳は、射貫くような視線で悠日をにらんでいた。
あれ、彼女は――……。
「……中原?」
悠日のクラスメイト、中原 央だった。
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