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「静、起きて。飯できたぞ」
彼の優しい声で目が覚めた。
ものがありすぎることも、なにもないわけでもない新居の寝室。
洗剤や、お日様や、亜朗さんの優しい温もりが混ざった、とても心地良い匂いがする。
「卵焼きうまくできた!…………味噌汁!」
コンロの火をつけっぱなしでいたことに気づいたのか、慌てて亜朗さんはキッチンへ走って行く。
幸せな朝の光景に頬が緩んで、自身の左手薬指を眺めた。
あの日大阪から私のアパートに帰った時、亜朗さんが贈ってくれた結婚指輪。
幾つものダイヤと共に、∞のマークのような輪を二つ描いた美しいフォルムにうっとりする。
本当は旅行の一日目、夜景の見えるバーで渡すつもりだったと後から聞いて、申し訳なく思いつつ彼の優しさを改めて実感したのだった。
「座って。食べたら挙式の相談しよう」
無事に入籍を果たした私達の次の目標は結婚式だ。
……だけどそれがまた、一筋縄ではいかない。
「お色直しは三回しよう!アクセサリーのデザインはもう百近くある。ゆっくり選んでくれ」
「…………もったいない!」
盛大に式を挙げたい彼と、ささやかに家族だけでお祝いしたい私。
早くも意見が分かれつつあった。
「ドレスも一流のデザイナーに頼んである!いやしかし和装も見たいな」
「亜朗さん、そんな大層なのはいいです!私にはもったいないよ」
彼はムッとして私の口に卵焼きを放り込んだ。
強烈な甘さが口の中一杯に広がって、私のより美味しかった。
「もったいなくない。何より俺が見たいから。……あと、親父も喜ぶ」
俯いて顔を赤らめる亜朗さん。
そうなると話は変わってくる。
「でも、一番は静の気持ちが大事だもんな。本当に嫌だったら……まあ、……お色直しは二回で諦める」
一回減っただけだった。
「……一回だけにしてください」
彼はまだ納得いかないように眉を下げつつも、わかったと頷いて笑った。
「ああ、……でも、亜朗さんは三着くらいスーツ着てくださいね。和装も見たい!写真一杯撮らなきゃ!」
「いや俺はいい。もったいないから」
「もったいなくなーい!」
ベクトルは同じようで微妙にズレているけれど、それでも私達はきっとこうして貴重な毎日を共に過ごしていけるだろう。
私達は、豊かさにも貧しさにも、どっちにも負けたりなんかしない。
負けるとしたら、
「お味噌汁美味しい!亜朗さん大好き」
「あああー!」
負けるとしたら、お互いのでかすぎる愛情だけだと悟った。
【おしまい】
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