消えた1憶円(嘘だよ1500万だよ)の謎

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 …おなかがすいた。ご飯を食べないといけない。 「お母さんご飯は? お母さん? 」  呼んでも母さんは見当たらない。店が忙しいのだろうか?  店、そう店だ。  父は金物屋を営んでいる。一人では配達に行けないし休憩時間も取れないから家事の合間に母も手伝っている。 「ご飯くらい自分で用意したら? 」  幸ちゃんが冷ややかに言った。  幸ちゃんは三つ編みもんぺ姿の戦争中みたいな格好の少女だ。暴風頭巾をつけていたら完璧だ。本当に戦争映画にでてきそう。 「何か失礼なこと考えてない? 」 「べ、別に」  僕は目をそらす。幸ちゃんはあれで結構お洒落だから自分がモンペを着せられていることを結構気にしている。本当はスカートをはきたかったらしい。あまり乙女心を傷つけることを言ってはいけない。 「それよりお母さんが…て、お客さん来てるんだっけ? 」  母さんがお客さんの相手をしているのならご飯の為に呼ぶのは悪いだろう。僕も商売をしている家の子供だ。そこらへんは承知している。僕は母さんにご飯を用意してもらうことを諦めて自分でご飯を作ることにした。といってもご飯は炊いてすらいないのではカップ麺でも食べるしかなかったけれど。  カップ麺…カップ麺か… 「カップ麺もない…」  私は戸棚を開けて唖然とした。母さんはカップ麺には否定的だ。カップ麺は体に悪いという。でも父はわりと気に入っているから買い置きがあるのが常なのだが今回は運悪く切らしていたらしい。 「お米はあるわよ? 自分で炊いたら? 」  幸ちゃんが米びつを指して言った。 「今から炊いてたらいつ食べれるかわからないよ」  仕方なく私は買い物に出かけることにした。財布には確か10万円くらい入っていたはずだ。これだけあれば足りないということはないだろう。 「…? 」  ところが念のため財布の中を確認するとお金はほとんど入っていなかった。誰かが使ったのだろうか? 私は月一回家族サービスでお寿司をおごることにしている。お金は勝手に抜いておいてと言ってあるからその時に抜かれたのかもしれない。 「仕方ないな…」  私はついでにお金も引き出そうと通帳を手に取ってそして… 「どうしてこんな大金が…いや」  違った。 「お金がない」  俺は預金通帳を見ながら愕然とした。  1億円あったはずの貯金が1500万円しかなくなっていた。  0を1個抜かして数えたのかと何度も数え直したが間違いはなかった。だいたい0が1個増えたら1億5千万だ。どっちにしろあっていない。 「泥棒? 」 「でもこの家にはケンちゃん一人しか住んでないよ? 」  幸ちゃんがそう言って首をひねった。とはいえお金がないのは事実なので誰かが家に侵入して盗んだのは間違いない。 「昔、母さんに聞いたことがある。台所の窓からこちらを眺めていた人がいたって。あそこは鍵が壊れているから…」 「昔は店をやっていたものね。1年に1回くらい夜中に泥棒が入ってた。でも通帳の中からお金を盗むんだったら身近な人でないと無理なんじゃない? 」 「失礼な…今も店はやっているよ。お客は誰も来ないけどな」  金物屋が流行っていたのも昔の話、両親がまだ若かりし日のことだ。今はもう大型店に駆逐されてホームセンターにけちょんけちょんにされて100円ショップにバラバラにされてインターネットに消滅させられた。  私は金物屋を継がず学校の先生になった。公務員は安定しているからね。仕方ないね。  私は預金通帳にもう一度目を移した。  それにしてもなんで預金通帳に1500万も入っているのだろう? 1000万超えているから他の口座に移さなくてはならない。1000万を超えると銀行が破綻しても補償してくれなくなる。1000万までは補償してくれるから小分けにして預けなくてはならない。そこまで考えてゆうちょ銀行は2000万まで補償してくれるということを思い出した。そうだった。ゆうちょ銀行は他の銀行と違って複数の口座を持つことはできないかわりに2000万まで補償してくれる。だから1500万のお金は移さなくてもいいのだ。 「移さなくてもいい…ああ、そうか。別の口座に移したのか? 」  そういえばそんな記憶がある。私は10の口座を持っていた。5つの銀行に2つの口座を持っていた。10の口座にそれぞれ1000万づつ敬億円を目指して頑張っていたのだ。そして私は…いや俺は1億円貯金を成し遂げた。 「ケンちゃんもすっかりボケちゃって」 「そういうこと言うなよ。呆けてる人に呆けてるっていうと呆けが加速するんだ。認識させない方がいいんだ」  俺は別の通帳を探すとすぐに別の通帳を見つけることができた。1000万近く残高のある通帳を3つ残高のほぼない通帳を6つ見つけることができた。これで約4000万。 「やっぱり盗まれたのか? 」 「通帳のお金を盗むってことは通帳と判子を盗んでお金を抜いてまた元あった場所に返したってことよね。無理じゃない? 」  幸ちゃんが苦笑いしながら言った。 「クレジットカードをネットに登録すると盗まれることがあるんだ」 「ケンちゃんはネットにクレジットカードを登録したの? 」 「してない…とは思うけどしてないとも言い切れない。だって…」  人間は90歳を超えると6割が認知症になると言われている。  2人に1人以上は認知症。つまり認知症であることが正常な状態。認知症じゃないのは異常な状態。 「灯台下暗しというかなんというか。もっと確実で明確な答えがあるんじゃない? 」  幸ちゃんはやれやれと肩をすくめながら言った。  俺は今年90歳になった。認知症であってもおかしくはない。だからネットに登録したけど忘れている可能性はなくはない。それどころか使ったこと自体忘れている可能性もあった。 「どうみてもこれって自分で使ってるでしょう? 通帳から抜かれた金額を見てみなさいよ。こんな小刻みに100万円ずつ」  なるほど…確かに残高のない通帳には小刻みに抜き取った後があった。  認知症の初期症状として怒りっぽくなったり、物が盗まれると主張したりするものがあると言われている。感情のコントロールができなくなるのだ。俺自身は怒りっぽくなったという自覚はないが晩年の父は確かに怒りやすくなっていた。自分の中に正しい事の固定概念がありそれを犯されることに反応できない。盗まれていると主張するのも自分が正しいという絶対の自信があるのに物がなくなるから盗まれたと思い込んでしまうのだ。でも俺は自分に絶対の自信はないから自制できる。 「これは盗まれたのではなく使ったものなのか? 」  俺は自身に問いかけるように呟いた。  確かにそう考えると生活費となくなったお金はだいたい一致している、ような気がする。60で仕事を辞めて30年、1年に200万くらいずつ使って6000万使っていることになる。1億-6000万だと残高は4000万になる。丁度4000万だ。そう考えれば納得がいく。 「いやいや、まてまて年金は年に100万入る。俺は75歳から15年もらっているから1500万たりないぞ」  というか最初に見つけた通帳の1500万は年金の1500万だった。国から振り込まれた記載がある。  1500万ぽっちしかもらえないのは現代では年金制度が崩壊したからだ。国民年金と厚生年金が統合された。それでも貰えるだけましかもしれない。そんなことをしたものだから現代の若者の年金未払いが深刻な社会問題となっている。近い将来年金自体が維持できなくなるかもしれない。まぁそれはともかく今はなくなっていないので1500万はどこかにあるはずだった。 「家とか車とか何か大きな買い物しなかったの? 」 「家はこの家じゃないか。僕が子供のころからずっと。床なんてべこべこのところもあるけどリフォームしてないし。車だって何千万もする車なんか買うわけないよ」  ちょっと鍵を治すくらいならいざ知らず、床を治したりすればそれなりに金がかかる。大きな家で一人で全部使うわけじゃないから床の痛みを放置している個所もあった。 「親戚に家でも買ってあげたとか? 」 「いくら親戚でも100万単位で買ってあげることはないよ。俺は子供いないし」  結婚もしなかった。現代では未婚化も少子化も加速して日本人の2人に1人は独身だし出生率も1を大きく割り込んでいた。子供につける名前トップ1がグエンとなっているのだがグエンはベトナム人の名字のはずなのでなんで名前の1位になっているのかは謎だった。 「骨董品とか趣味で散財したとか? 」 「僕にそんな趣味はないよ。しいて言えば野球が趣味だけど好きな選手は地味な選手ばかりだったからグッズにお金はかからなかったし」 「株で損した。もしくは店で赤字をだした? 」 「俺は株なんてやってない。両親は痛い目にあってたけどね。店だって食べ物を扱っているわけでもない金物屋だ。赤字なんて出ない」 「儲かりもしないけどね。辞めてしまいなさいよそんなもの」 「余計なお世話だよ」  俺は先生を定年で辞めて金物屋を継いだ。継いだと言っても客はほとんどというか全く全然これっぽっちも来ないからただの趣味みたいなものだったけれど。商品は父の代から何十年も前の物が値引きもせずに置いてあるものだから売れることはないが別に損をするわけでもなかった。 「じゃあ銀行がつぶれたとか? 」 「1000万しか貯金してないんだから潰れたら1000万は帰ってくるはずじゃないか? 」  そこは抜かりはないはずだ。実際潰れた銀行があったので1000万まで保証されるというのはニュースになり世間に広く知られるところとなった。 「心当たりはないと…」  幸ちゃんは腕を組んで何事か考える。いったい誰が犯人なんだろう… 「しょうがないわね。じゃあさっき言ってた台所の窓を見に行きましょう」 「泥棒がいても通帳からお金を抜き出すなんて無理だって幸ちゃんが言っていたじゃないか? 」 「確かに無理だけど…一応ね」  幸ちゃんはそういうとウィンクをした。  ・・・  記憶の整理をしよう。覚えている記憶だ。俺は最高で1憶円以上の貯金があった。もともとお金を使わない性格だったのでお金は年に200万くらいは貯めることができた。それで40年ほど働いた。200万×40=8000万円。退職金が2000万ほど。計1憶円。まぁだいたいそんなもんだろう。お金を貯めれるってことはつまりぱっとしない地味な生活だったので結婚はできなかった。おかげでお金を使う機会もなかったけれど。それから30年。生活費が6000万。年金が1500万。1憶-6000万+1500万=5500万。やはり1500万足りない。何かに1500万使ったか盗まれたということになる。 「なるほどね。台座を使えば入れるかな」  幸ちゃんは実際に窓からの侵入を試みている。幸ちゃんは小柄なので窓から侵入することも余裕だが大人の男がやるとなるとかなりきついだろう。 「ここから侵入した泥棒は金庫のところへ。金庫といってもお菓子のカンカンにはいっているだけだから鍵なんかいらないし、きよちゃんもかなりおおざっぱだからお客さんが見えるところで両替とかしてたもんね」  きよちゃんとは父さんの事だ。父さんはかなり几帳面なイメージがあるのだが幸ちゃんから見るとそう見えたらしい。  幸ちゃんは当時お金の入った缶のあった場所を眺めつつ懐かしそうに言う。 「私は岡田さんが怪しいと思っていたけどここをくぐるのは年寄りには厳しいわね」 「ご近所さんを疑うのか? 」  岡田さんは隣の家のお婆さんだった。 「岡田さんかなり癖がある人だったもの。土地の境界線を勝手にいじったりしてね。きよちゃんが注意したら謝ってたけどかなり大着者よね」  土地の境界線を弄って自分の土地を増やそうとしたらしい、それは普通に犯罪な気が… 「俺は100円もらったことあるからそんな悪い印象ないけどな」 「げんきんねぇ」  幸ちゃんはくすくすと笑う。  当時は1970年代。100円あればラーメンの一杯も食えたものだった。 「そのお金でお菓子買ってしげちゃんに怒られてたっけね」 「何の理由もなく他人からお金なんかもらうな。返せって母さんに言われて怒られたな」  しげちゃんは母さんの事だ。あれはまだ俺が小学生のころだった。もはや何もかもが懐かしい。 「家の構造を知っていたのは1年に1回くらい盗みに入っていたからだろう。ご近所さんである理由はない」 「いつもそういう結論に落ち着くわね。まぁ別にいけどね」  幸ちゃんはそういうと嘆息した。もしかしたら幸ちゃんは泥棒の正体を知っているのかもしれない。だって幸ちゃんはずっと昔からこの家に住んでいるのだから。  どっちにしろその泥棒が今回の通帳を盗んだ犯人である可能性はない。その泥棒であれ仮に隣の岡田さんであれ生きていたのは何十年も昔の話なのだ。だいたい鍵が壊れていたのに放置されていたのはお金がない時代だったからだ。今はもうとっくの昔に鍵は直っている。今は2050年。高度成長期バブル氷河期アベノミクス米国のインフレ…一周回って日本は貧乏になってしまったけれどあのころに比べたら大分ましだ。 「だいたい思い出せたじゃない」 「…? 」  俺は気が付くと散らばった通帳の前に座っていた。傍には誰もいない。ただくたびれた90の老人がいるのみだった。  年を取るということは高性能のパソコンから旧式のパソコンに変わっていくことだと思う。以前は苦も無くで来たのに今は手間をかけないと出来なくなる。でも旧型のパソコンでも手間をかければできなくはない。  俺はようやく思い出した。今が2050年であること。俺は90歳であること。1億円あった貯金は生活費でかなり目減りしてしまったこと。一人暮らしで身寄りは誰もいないこと。ゆうちょ銀行は1000万以上貯金していたこと。年金は振り込まれ続けていたこと。銀行の通帳は100万ずつ減っていたこと。財布には10万円いれるようにしていたこと。ゆうちょの口座は一つしか作れないこと。でも5つの銀行に2つずつ口座をもっていたこと。僕は通帳を探す。普段使う用に他の通帳とは別の場所にあるゆうちょの通帳を。 「やっぱり」  俺が持っていた通帳は10個ではなかった。ゆうちょの通帳を含めて11個だったのだ。  ゆうちょの通帳には1500万の金額が入っていた。定期的に10万円ずつ引かれ時々100万の振り込みがある。10万は生活費。100万は他の銀行から移動している。これが消えた1500万円だ。最初に見ていた1500万入った通帳はゆうちょ銀行の通帳ではなかった。年金が振り込まれていたのは他の銀行の通帳だったのだ。でも俺は1000万以上はいっていたからてっきりそれがゆうちょ銀行の通帳だと思い込んでしまっていた。  久しぶりに頭の中がクリアになった気がする。いつもは何か思い出の中で位しているみたいでぼんやりとしていた世界が久しぶりにはっきり見えた。家の中は大分痛んでいた。壊れているということはないが経年劣化でどこか汚らしい。  俺の背中はすっかり曲がってしまい背むしのようだ。曲がり始めてからは何とか伸ばそうと努力していた気がするがいつの間にか忘れてしまった。顔を上げると仏壇があり壁には家族の写真が飾ってあった。祖父母と両親。そして戦後すぐに外国人の兵隊にひかれて中学生でなくなってしまった父さんの姉の写真。 「何とか戻ってこれたみたいね? 」  写真の中の幸ちゃんはそう言っている気がした。果たして戻ってこれたことがいいことなのかは分からないけれど。  ・・・  時々ある頭がクリアな時、俺は考える。これからどうなるのかを。どう死ぬのかを。一人暮らしの僕は体調が急に悪くなっても見てくれる人もいない。心臓発作で急に死ぬのならまだいいが転んで足の骨が折れたりとかしたら生殺しにもなりかねない。お金はあるのだから施設に入るのが一番いいのだろう。しかし家族と暮らした思い出の家を出ることもはばかられた。嫌だ。ずっとこの家にいたい。この家で暮らしたい。この家で死にたい。しかしどう考えてもそれでは俺は苦しみながら死ぬだろう。 「どうしたらいいんだろう、どうしたら…」  俺は考えながら買い物を済ませていた。カップ麺を備蓄して1500万を別の銀行に小分けする。今の世の中、銀行も普通に倒産するのだ。やはり1000万以上貯金していてはいけない。 「呆れた人ね」  いつの間にか幸ちゃんがいた。 「また夢の中で何となく生きれるように食べ物の備蓄だけはしっかりして」  もう僕は幸ちゃんの言葉の意味は理解できず何もかも忘れて炊かれたご飯をよそう。 「お母さんはお客さんの相手をしてるのかな。ご飯は用意してくれたみたいだけど…」  スーパーのお惣菜とご飯を食べるが御飯が少し余ってしまう。仕方ないから梅干しを探す。梅干しは母さんの自家製だ。戸棚にあるはず…  どうして僕は梅干しなんて探してしまったのだろう? でもそれは仕方のないことかもしれない。そういう記憶があるのだからいずれそういう行動をとっていた。    そして… 「!? 」  何かに足をとられて僕は転倒した。見れば床が抜けていてそれに足が取られたみたいだった。足があらぬ方向に曲がっていた。 「だ、大丈夫? 救急車呼ばなくちゃ! 」  幸ちゃんが青い顔をして慌てふためく。そんなに慌てなくても僕はそんなに痛みはなかったのだけど、ただ身体は思うように動かなかった。別の個所も骨折したのかもしれない。 ・・・ 「起きた? 」  目が覚めると幽霊がいた。  何故幽霊だと分かったかというと前々から彼女のことを言い聞かされていたからだ。祖父母の3人目の子供。2人は流産だったらしい。やっとちゃんと生きてちゃんと育ってちゃんと戦中を生き抜いて、でも戦争が終わってから外国人の兵隊にひかれて死んでしまった悲劇の子供。その名も幸ちゃん。 「私がその幸ちゃんです! ブイ!」 「…」  僕は黙って布団を深く被った。 「ええ!? なんで!? 」  あーあー何も見えない聞こえない。見えない者は存在しない。  僕が幸ちゃんを最初に見たのは子供のころ1回きりだった。目が覚めた時ニコニコ笑って話しかけられた。でも怖かったから見えないふりをした。それから彼女を見ることは二度となかった、はずだった。けれど僕が呆けて自分自身があやふやになった時いつの間にか彼女は姿を現すようになっていた。 ・・・  あれからどれくらいたっただろう。おなかがすいているような気がする。でもそれも忘れた。ボケるというのも案外便利なものかもしれない。衰えた自分を直視するのは辛い。これも人間の身体に備わった防衛本能の一つなのかもしれない。  これから僕はどうなるのだろう? 何度となく考えていた恐れていたことが現実のものとなろうとしていた。俺は1人暮らし。金物屋をやっているけれどお客なんて何十年も来たことがない。きっと誰も俺の危機には気づかない。それどころか死んだって何年も気づかれないかもしれない。 「ごめんね。ケンちゃん。ごめんね…」  ふと気が付くと幸ちゃんが泣いていた。 「もう私の声が届く人がいないの。私のことを知っている人がケンちゃんしかいないから。ごめんね…」  おかしいな。俺が呆けている時しか彼女は見えないはずなのに。今の俺は正気なはずだ。それなのに彼女が見えるなんて…いや、彼女が見えているのだから僕は今、呆けているのかもしれない。 「ごめんね、ごめんね…」  そんな風に謝らないでほしい。  泣きながら何度も謝る幸ちゃんを見ながら考える。結婚しておくべきだったかもしれない。お金はあるんだし。遺産目当ての外国人でもなんでも。そうして子供がいたら幸ちゃんの言葉を伝えられたかもしれない。きっと子供は僕が死んだって幸ちゃんを忘れないでいてくれる。 「僕の方こそごめんね幸ちゃん」  不思議と思っていたより最悪な最期ではないかもしれない。  もしかしたら彼女はただの幻覚なのかもしれない。けれど今の僕にとって幸ちゃんは最後の家族だった。 「君のお陰で僕は…」
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