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 コンビニで買ってきた冷やし担々麺で昼食を済ませると、時間に空きができた。  今日の時間割だと、昼休み直ぐ後の五時間目には授業が無くて、六時間目にダメ押しのように化学の授業一コマが押し込まれている。  学生各自が受験する大学に合わせた授業を選択できる進学校ゆえの時間割の組み方に、文句を言ってもしょうがない。  僕は校舎の北の端にある図書室で時間を潰すことにした。  七月上旬の気温はすでに真夏と云ってもいいほど高く、廊下は蒸し暑い。エアコンの効いた教室から出て階段を上り、遠路はるばるこの図書室まで来る学生はほとんどいない。  五時間目の始まりを告げるチャイムを他人事のように聞きながら図書室に入ると、貸出コーナーの向こうに座っている司書の安井先生が、あら、とこちらを見て微笑んだ。 「ちょうど良かった! ちょっと事務室に行ってこなければいけないの。少しの間だけ、ここ、代わって貰ってもいいかしら?」  学校の図書室に通い慣れていると、こんなことも頻繁にある。 「どうぞ」  僕は、今月入架した本、と書かれた棚から一冊、本を取って貸出コーナーの内側に回った。 「ありがと!」  気軽に片手でこちらを拝む仕草の後、安井先生は花柄のスカートを翻して図書室を出て行った。  僕以外誰もいなくなった図書室の中は、しん、として、エアコンの吹き出し音だけが低く聞こえている。僕は持ってきたばかりの本を開いて読み始めた。  ページをめくる音。  閉め切ったガラス窓の向こう、プールの水音と歓声が時折聞こえるのは、体育の授業中なのだろう。  僕と空間を共有して、けれど僕とは関係のない世界。  しばらく本を読んでいると、図書室の扉が開いた。安井先生ならば勢いよく開け放つところだが、開け方に少し遠慮が感じられた。  学生だろうな。  そう予想して顔を上げると案の定、水色の半袖シャツの制服が目に入った。校則で決められている濃緑色のネクタイがルーズな結び方で首に引っ掛かっている。 「やっぱりここにいた」  三年F組の佐藤優希。緩やかに弧を描くはっきりとした眉の下、二重の瞳が人懐っこく笑っている。 「授業は」 「数学。けど、課題が早く終わったから抜けてきた」  優希は理数系の大学に進学するクラスにいて、この時期はほとんど受験の演習問題を解くことが授業の内容になっていると前に聞いていた。 「なに読んでんの」  優希が本と僕の顔の間に、自分の頭を割り込ませてくる。猫みたいだ。 「じゃま」  手の平でその頭を押してどかす。どかそうとした。どかそうとして、手首を掴まれた。 「ね、どうして昨日、会えなかったの」 「用事があったんだ。こっちはお前のように暇じゃないんだ」  ふうん、と云いながら優希は身を引く。その動作に油断して目を落としたままだった本から顔を上げた瞬間、キスされた。 「……学校では止めろって」 「学校の外で会えなくて、学校でもダメなんていわれたら困るんだけど」  キスしてから唇を離しただけの距離で優希に睨まれる。目を離そうとするけれど、僕は魅入られたように動けなくなる。  長い睫毛。  実際、こんな状況で優希に見惚れている自分をどうしようもないと思う。けれど、だからこそ、僕たちは。  優希が掴んだままの僕の手首を引き寄せて、そのまま僕の中指を口に咥えた。 「……なに」  優希の熱い舌が中指に絡む。くち、と微かに濡れた音がして、根元からゆっくりと先端まで、舌が柔らかに纏わりついた。  指の先が喉の奥にまで呑み込まれる。指の股に唇が触れて、粘膜の感触に指全体が包まれる。熱を持った肉に圧されて、吸われ、捏ねまわされる。  こんなの、まるで。  優希の目がいたずらな笑みを浮かべながら僕の顔を見ていることにそこでようやく気付いて、顔に血が上った。 「気持ち、良いんだ」  咥えていた僕の指を口の中から出して、優希が言う。僕の指と優希の唇を繋ぐ唾液の糸が図書室の蛍光灯の光を映して鈍く光った。 「……そんなこと、あっ!」  ない、という言葉は、再び深く咥えられた感触に封じられた。   口腔全体で吸い上げながら、舌で強く舐られる。吸いながらまた根元から。   止めろ、という言葉は喉の奥で溶けて、口から出る前に消えた。  優希は僕の指の第一関節に軽く歯を立てて口の中の柔らかな肉と舌で包み込み、くちゅくちゅと音を立てながらしゃぶるように舐めてくる。  指の先端には感覚神経が集まっている、という生物の先生の話を思い出した。指の皮膚に張り巡らされた神経は、優希の舌の温度や質感、感触を正確に、緻密に伝えてくる。 「ね、これ、似ているよね、カタチ」 「……なに、に」 「ここ、アレだと少し出っ張っているけど」  爪の根元を舐められ、指先、爪の先を唇で吸われ、その熱さ、柔らかさ、濡れた感覚を、指先という器官が体のどこよりも鋭敏に感じるということを否応なく思い知らされる。  たった一本、中指の先端を舐められているだけなのに、体全ての先端を熱く舐められているような強い快感に、思わず体が震えた。 「……なんだ、そっちも溜まってるんじゃん」  さっきからずっと優希に一方的に攻められている。けれど抗う気持ちはどこにもなかった。優希がちゅ、ちゅ、と音を立てて、僕の指に絡まる自分の唾液を吸っていく。  先程の指先への快感とは比べものにならないじれったい刺激に、思わず自分で指を優希の舌に押し付けた。 「……なに」  サディスティックな目。僕は既にこの目に従うことに快楽を覚えている。 「もっと、舐めて」 「何を」 「……指」  目だけでなく、優希の唇に浮かぶ笑みも嗜虐的に歪む。 「指で、いいの?」  答えられずに目をかたく瞑る僕の顔を優希はちょっとの間眺めてから、耳元に顔を寄せてきて囁いた。 「目を開けて。自分のが舐められるところ、ちゃんと見てて」  薄く開けた目の前で、優希は口を開け、ゆっくりと僕の指を咥えた。奥まで。そして軽く吸いながら規則的なリズムで僕の指を出し入れし始めた。  濡れた水音がその唇の端から漏れて、唾液が手首まで伝う。  体の別のところに熱が集まるのを感じて急いで指を抜こうとしたけれど、優希は両手で僕の手首を掴んで離そうとしない。 「……もう、だめ、だから!」  ふいに指が解放された。  唾液が熱を失って急速に冷えて行くかわりに、体の中に呼び起こされた熱が行き場をなくす。熱い。 「今日、塾が終わったら部屋に行くから。いいでしょ?」  優希の口元には笑み。唇に残る唾液を舐めとる舌の動きから目を離せない。だけど熱を持ったままのその目はじっと僕を見つめてくる。  その熱が自分の目にもあること、それに優希が気づいていることを知らないふりをすることはできなかった。 「……わかった。でも制服は、止めろ」  止めろって言われても着替えとか持って来てないし、と軽い口調で言いながら優希が立ち上がった。 「六時間目の授業に遅刻しないでよ、センセイ」  軽やかな上履きの音とともに優希が図書室の出入り口に向かう。僕は貸出カウンターの向こうに取り残されて、大きく息を吐いた。  目の前にあるアルコール消毒用のウェットティッシュで指を拭う。その冷たく濡れた感覚に、うっかりまた体が震えた。  図書室の出入り口の扉を開ける音。そのまま出て行くと思った優希の足音が一瞬止まる。廊下の先からこちらに向かって小走りにやってくる別の足音。 「こんにちは」  優希がさっきまでの雰囲気などどこにもない、いかにも今どきの学生らしく挨拶をする声が聞こえた。 「はい、こんにちは。あら、あなた本は借りなくていいのね? すみません加藤先生、遅くなって。図書室のお留守番、ありがとうございました!」  戻ってきた安井先生とすれ違い、優希は図書室を出て行った。  僕も職員室に戻らなければ。授業の準備がある。  六時間目は化学。それは僕が担当する教科だった。
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