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「臭い!」
それは突然の出来事だった。
強烈な芳香剤のような香りが鼻腔に流れ込む。ほぼ同時に強い苦味とエグミが舌を覆い尽くす。
突然の異変に頭も体も追いつかない。急激な体調の悪化。強い吐き気と倦怠感。立っていることもままならない。
膝を屈めたつもりが、そのまま地面へと倒れ込んだ。
その苦しさは、このまま気絶させてと思うほどにである。
とくに耐え難いのが匂いだ。元々比較的好きな香りだった。しかし凝縮されてしまっては、苦痛以外の何物でもない。
薄れゆく意識の中で金木犀の花びらが舞い始めた。
「ウゲッ、ゲッ、ゴホッ・・・」
そびえ立つ大きな樹木の下に輪に集う数人の子供たちと、蹲る一人の少年。
震える手で花を掬い、徐々に口元へ近づけてゆく様に、囃し立てる声が秋晴れの空に響きわたる。
黄色【とうこうしょく】の絨毯には秋の日差しが公平に降り注ぐ。
少年の足元に散らばる唾液で濡れた花びらは、ひときわ色鮮やかに映えていた。
「ぅっぎぇっ…」
全身の痛みで目が覚めた。同時に爽やかな土や草木の香りが漂っている事実に気づき、無我夢中で呼吸を繰り返す。
どのくらい意識を失っていたのかわからない。頭から足の先までとにかく痛い。しかし今では舌の苦味は消え、あの不愉快な匂いは一切しないことに涙が溢れた。
こんな得体のしれない場所から早く逃げ出したい。その一心で痛む体に鞭をいれ四肢に力を込める。
「たずゔっゔ、げっぅぅゔゔてぇ・・・」
立ち上がろうとする度に、想像を絶する痛み。立ち上がるどころか、数十センチセンチ先の切り株の上に落ちた自分の鞄にすら手が届かない。
数時間前は晴れた空を見上げていたにもかかわらず、今は橙色混じりの赤に染まる空と、切り株を見つめることしか出来ないでいた。
声を必死に上げ続けるも、この声は言葉になって誰かに届くのか。不安ばかりが募りゆく。
静まり返る地で、月が昇り金木犀の切り株を照らす頃、草叢では鈴虫が夜の音を奏でていた。
【完】
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