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 隣の席のⅠ崎さんが「うっ」と呻いて、腹をおさえて部署を出ていった。数十分後、額に脂汗をうかべながら編集長と会話して、デスクで荷物をまとめだした。 「いいか、(ひがし)。見切り品の寿司は、その日のうちに食わなきゃだめだぞ」  俺は引出しを開けて、カイロを彼のデスクに置いた。ぺりぺりと袋を破って、サンキュ、とセーターをまくって腹に貼りつけ、Ⅰ崎さんはリュックを背に小走りで扉に駆けていった。  編集長が横目で俺をみて、あごをしゃくった。デスクの前に立つと、一枚のはがきが顔の前に突きだされた。全面に絵が印刷されている。手渡されたそれを裏返したら、下半分に個展の案内が載っていた。公募で受賞して、今回が初めての個展らしい。ここから歩いて15分ぐらい、台東区にある画廊だった。 「今日の午後。Ⅰ崎の代わりに行ってくれ」 「…………俺が、ですか?」  一重のまぶたをぐっと上げて、編集長は部署を見渡した。書類や本が積まれて雪崩が起きる寸前のデスク、パソコンまわりが付箋だらけのデスク、塵ひとつ落ちてなさそうなデスク、観葉植物と推しの写真の圧が半端ないデスク。編集長と垂直に四つ並んだデスクは、どれも空っぽだった。六人だけの社員は、俺(と、さっきまでいたⅠ崎さん)をのぞいて全員席を外していた。 「了解です」  強制的に両頬の筋肉を持ち上げて、俺は笑顔をつくった。  昼飯を食ってから取材にむかうと言って、通りにでた。分厚い灰色の雲は、見てるだけでぶるりと震える。ダウンのポケットに指先を突っこんだ。冷え性には辛い季節だ。俺が務める小さな出版社は、美術書と美術雑誌を専門に手がけている。六階建てビルの二階がフロアで、部署ごとにパーテーションで仕切ってある。この春から、俺はここの編集に籍を置いている。入社から八か月経ったのに、まだ企画は一本も通らない。コラムの代理なんて喜んで引き受けるとこだろうけど、正直、憂うつでたまらなかった。  磯谷直人(いそやなおと)。  こいつにだけは絶対、会いたくなかったのに。
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