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3
放課後になると、俺はショルダーバッグを掴んで、階段を二段飛ばしで駆けていった。扉を開けたら、だいたいあいつのほうが先にいた。硬い木の椅子を引き寄せ、ひとりぶんの距離を空けて、あいつの隣に座る。二、三時間がすぎて、気づいたら外は真っ暗になってた。俺はあいつに声をかけて、ふたりで鍵を返して下足箱にむかった。
街灯に羽虫がちらついて、コンクリートにふたつ、黒く長い影がのびていた。喋ったのは他愛もない話ばかりで、今じゃもうほとんど覚えていない。母親が過保護だとか、それは不注意でアイロンを幼児の手の届く場所に置き忘れたからだとか、そんな話だ。俺の話なんて、ホイッスラーを理解できないラスキンは時代遅れの堅物だなんて知ったかぶりばっかで黒歴史。もう忘れたい。
途中までは同じ方向だった。コンビニの前の三叉路で、あいつは真っ直ぐ、俺は脇道にそれる。羽虫みたいに白い明かりに誘われて、俺とあいつは毎晩コンビニに寄った。夏はソーダとレモンの棒アイス。冬は豚まんとピザまんを買って、駐車場で食べて別れた。あいつがあんまり旨そうに食べるから、俺はいつも笑ってしまった。
◆
その日も、いつもどおりの放課後だった。並んで座ってスケッチをして、ふと隣に人間がいたと思い出して、顔を上げた。いつもどおり眉間にしわを寄せ、小難しい顔をして、ちびちびと鉛筆を動かすあいつがいた。画用紙もいつもどおりぐしゃぐしゃで灰色だった。
「……僕、もう絵、描くのやめようかな」
突然放たれた言葉に、俺はぽかんと口を開けた。
「は? なんで?」
「ぜんぜん思いどおりに描けない。見て、また消して、見て、描いて、また消して……僕の画用紙の汚さったらないよ。なんで東みたいにスラスラ描けないんだろ。自分の下手くそさにうんざりする。せめて先生がいてくれたらいいのにさ、爺さん、ぜんぜん来ないし。最近はもうイライラしてばっかだ。苦しい。やめたい」
西日があたる教室に、辛酸なめたおっさんみたいな顔があった。俺は思わず吹きだして、あいつが目を丸くした。
「え? それ笑うとこ⁈」
「や、悪い。ばかにしてんじゃねえ。なんか疲れた親父みたいな顔してっからさ。別にこんなの、仕事でもなんでもねぇんじゃん? 俺ら、好きで描いてんだから。下手でもいいじゃんか。描いてるうちに上手くなるって。いまは楽しく描ければそれでいんじゃね?」
あいつの大きな黒い目が、極限まで見開かれた。
サバンナの野生動物が頭にうかんだ。
小柄で大人しくて、虫も殺せないみたいなやつなのに。
あいつの目に獰猛な光が見えた気がして、
俺はごしごしとまぶたをこすった。
あいつはぽつりと呟いた。
「…………そっか」
それから卒業まで、俺の隣であいつはデッサンを描き続けた。
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