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 俺たちは高校生になった。同じ学校で、同じクラス。同じ美術部を選んだ。その春に着任した美術教師は、ガチな奴だった。部員に毎日デッサンをさせた。来る日も来る日も、デッサン、デッサン。鉛筆、木炭、画用紙、木炭紙。絵の具も筆も触れなかった。別にあたし画家になりたいわけじゃないし。ゆるい部活って聞いてたから選んだのに。そう言って、部員はどんどん減っていった。教師は一度も俺のデッサンを褒めなかった。いつも渋い顔をして、どこが悪いか指摘されるばかりだった。くやしくて、コンクールで入賞したことをぽろっと漏らしちまったら、それがどうしたと言わんばかりに目を眇められた。俺は部室に通うのを止めた。それでも絵は止められなくて、誰にも内緒で隣の市の予備校に通い始めた。  その一年間、あいつは美術部を辞めなかった。授業中もB5のスケッチブックを隠し持って、ずっと鉛筆を動かしていた。その手はいつも灰色だった。 「洗っても洗っても落ちないんだ」  あいつはそう漏らしていた。  俺たちが二年に進級した春に、教師は学校を辞めた。  市内で画塾を始めたらしく、あいつはそこに通いだした。 「東も行かない?」  俺は誘いを断った。新任の美術教師に替わっても、俺はもう部室には戻らなかった。あいつも画塾が忙しいみたいで、美術部を辞めた。 ◆  予備校も厳しかったけど、ダメ出しばかりじゃない。デッサンは、壁にずらりと点数順に張りだされる。右下のほうが多かったけど、真ん中、たまに左上に貼って貰えることもあった。そんなときはコンクールで入賞したときの気持ちを思い出した。  二年の秋、俺は公募に出品した。予備校仲間にも親にもダチにも言わなかった。あいつにだけは話そうかと思ったけど、なんとなく言えないまま時間が過ぎた。  ひと月後、ネットで結果を見たら選外だった。  その代わり、そこにはあいつの名前があった。  次の日、担任が誇らしそうな顔で、あいつの絵が受賞したと発表した。教室がどよめいて、すげえじゃん、やだあたしサインもらっちゃお、なんて言いながら、クラスの奴らがあいつの机に群がっていった。俺は頬杖をついて、ずっと窓の外を眺めていた。冬の重暗い雲がじっとりと流れていって、うんざりして教室に顔をむけたら、あいつと目が合った。俺はその目から逃げた。  放課後になって、下足箱であいつと鉢合わせた。まわりに何人かが集まって、あいつの肩をたたいていた。そいつらに笑いながら、あいつはこっちに向かってきた。  おい、来るな。頼むから、来ねぇでくれ。 「東」 「ああ」  呼ぶな。俺の名前。 「僕」 「すげぇじゃん、おまえ、才能あったじゃん。俺たち凡人とは違うっつーか。俺、おまえみてーにそんな真剣に絵、描けねぇわ。はは、悪いな、このあと予定あっから。じゃーな」  見るな。俺の顔。 「東」  顔中の筋肉を無理やり動かして、俺は『直人のダチの東』の笑顔をつくった。筋肉痛になりそうだった。背中にあいつの気配を感じたけど、一度も振り返らなかった。
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