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なぁ直人。なんで俺じゃねぇんだ? スマホの画面に載ってるのが、担任が誇らしそうに見る顔が、みんなの賞賛の目が集まるのが、おまえから祝われるのが、なんで俺じゃねぇんだよ。おまえ、絵止めたいって言ってたじゃんか。才能ねぇって言ってたじゃんか。俺のほうが先に始めて、賞だって先に取ったのに。なんでおまえがそっちにいるんだ?
コンクリートの橋を渡っていると、なにかが目の端に映った。どぎついピンク色。土を溶かしたみたいな濁った川面に、それは場違いにぷかぷか笑うみたいに浮かんでいた。あの川は、工場排水が流れこんでいると噂されていた。そんな生ゴミみたいに腐った臭いがする川のなかに、女子の鞄についてるみたいな、でかいハートのキーホルダー。ベロアみたいな生地は半分泥に沈んで、みじめにどろどろに汚れていた。
なぁ直人。なんで俺じゃねぇんだ? 知ってんぞ。授業中まで隠れてデッサン描いてたの。見えてたよ、斜め後ろの席だから。おまえの手、いつも木炭で汚れてるよな。洗っても落ちねーってぼやいてたもんな。なぁ直人。俺のはずだろ? おまえの机に走ってって、おめでとうって一番に声かけて、肩をたたいてやるのは。しかめっ面したおまえが鉛筆動かしてたの、誰よりも傍で見てたんだから。帰り道にファミレス寄って「なんでも好きなの頼め、でも飲みもんはドリンクバーな!」っつって、目の前で笑ってやりたかった。なのに。なんで俺はこんなとこで、ひとりで汚ねぇ川眺めてんだ?
なぁ神様(別に誰でもいいけどさ)。100%ピカピカで、きれーなハートと交換してくんねぇかな。そしたら今すぐ戻って、直人におめでとうって言ってやれんのに。俺はこの川みたいに臭くて濁ってどろどろで、汚ねえ。おまえの隣にいたら、どろどろの自分に飲みこまれちまいそうだ。俺は汚ねぇから、汚ねぇ自分を見たくねえ。だから、ごめんな。
◆
俺はあいつから逃げた。
距離を置かれているのを察したらしく、あいつも俺に話しかけてこなくなった。高校を卒業して、俺は東京の大学に進学した。史学科を選んだのに結局美術史を専攻して、新卒で小さな出版社に就職した。未練がましさにうんざりしながら、それでも俺は絵から離れられなかった。
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