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「高校に入っても、未練がましく美術部に入った。でも、先生……高校の美術教師だよ。彼のおかげで、僕は技術を知った。技術があれば、頭のなかのイメージを紙に写し取ることができる。僕は没頭した。でも描いても描いても、これはあくまで技術だ。ただのまやかしなんじゃないかって不安が消えなかった。東は本物で自分は偽者のような気がしてた。ある日、学祭で展示する絵を描いてて、腹がへって食堂にいったんだ。ちょうど日暮れ刻で、夕焼けが空いっぱいに広がってた。中学の美術室を思い出した。僕が唯一知ってる、まぶしくて温かな景色だ。完成してびっくりした。あったかいと思ったんだ。ずっとほしかった絵が目の前にあった。この絵が描けたから、僕は画家になれるかもしれないと思った。絵がきらいでも、技術だけでも、自分のほしい絵が描けるんだって。嬉しかった。だから……祝福」
直人は絵を見上げ、夕陽を見るように目を細めた。
絵のなかの俺は、楽しそうに微笑している。
橙色に染まった美術室と俺とスケッチブック。
「ま、温かく見えるのはオレンジ色を基調にしたせいかもね」
冗談めかして直人が笑った。
俺は笑わなかった。
「高校んとき、おまえが受賞したコンクール。俺も出してた」
「えっ……そうだったんだ」
「選外だった」
「……そっか」
「くやしかった。なんで俺じゃなくておまえがって」
「……うん」
「祝いたかったんだ」
「……え」
「おまえのこと、祝いたかった。がんばってんの知ってたから、一番に祝ってやりたかった。でも出来なかった。そんな自分が嫌で、おまえの傍にいたらどんどん嫌な自分になってく気がして…………おまえから逃げた」
「うん、なんとなくね。避けられてるのは気づいてた。でも東がそんな、絵、真剣だって僕知らなくて……」
「予備校にも通ってた」
「ああ……そっかあ。そっか……」
直人はまぶたを伏せた。迷子の子どものような顔になっていた。
「あんとき祝ってやれなかったけど、おまえと過ごした時間が……代わりにおまえを祝ってくれたんだな」
ぱっと上がった顔が、驚いたように俺を見ている。
「祝福か……いい題名じゃん。なんで無題なんて書いたんだ?」
「……恥ずかしいじゃないか」
直人が唇をとがらせた。
俺の目の前にいるのは、新人画家・磯谷直人じゃなくて、しかめっ面した地元の同級生だった。
「火傷のあと、だいぶ消えたんだな」
「ああこれね……大学のときレーザー治療したんだ。僕は別にあのままでも良かったけど、母さんが……パートでお金貯めてたから」
「そうか」
「気が楽になったみたいで。最近は笑ってくれるようになったし。あの暗い目がなくなっただけマシかなって」
そう言う直人の目も、昔よりも柔らかだった。
「夜、空いてっか? 受賞祝いしてやるよ」
「え? まじで? ははっ、やった。ありがと」
直人は八重歯をみせて、顔をくしゃりとさせた。
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