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俵が器用に片方の口角を上げ、あからさまに鼻で笑って出て行った。
くそっ――!
人ごとだと思って面白がって!
俺はノートパソコンを少し乱暴に閉じて、立ち上がった。
足早に廊下を闊歩し、エレベーターを待たずに階段を使う。
目的の階のドアを開けようとノブに手をかけた時、スマホが鳴った。ジャケットのポケットから取り出す。
【調子が悪いから、帰ります】
梓からのメッセージ。
すぐに電話をかけると、最初の呼び出し音の途中で止んだ。
『もしもし?』
小さくて、低い声。
「梓? 調子悪いって、大丈夫か? 熱は?」
『大丈夫』
「大丈夫じゃないから早退したんだろ? まさか、電車で帰るつもりじゃ――」
『――タクシー、乗った』
余程つらいのだと思う。
「俺もすぐに――」
『――会食があるって言ってたでしょ? 私は、ほら、いつものことだから、大丈夫。薬もあるし、寝てれば治る』
言いにくそうなところを見ると、生理痛か。
そういや、月末か……。
「早めに帰るから、買い物あったらメッセージ入れといて」
『うん』
これは、言えそうにないな。
俺はドアに背中を預け、今下りてきた階段を見上げた。
「愛してるよ、梓」
『なに!? どうしたの?』
誰に聞かれているわけでもないのに慌てる梓が可愛い。
思えば、結婚してからはベッド以外で愛を囁くことが減った。
結婚前が必死だったとも言えるのだが。
「なにも? マジで、早く帰るから」
『……うん?』
帰ってから話すか。
会食の相手が元カノだなんて、体調が悪い妻に言うことじゃない。
お決まりの展開だが、その判断が間違いだったと知るのは、後のことだった。
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