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そう言われてみれば、私が入社した時には既に彼女は結婚していて、『平井』が旧姓だなんて思いもしなかった。
いや、そもそも皇丞はどうしてそんな回りくどい言い方をしたのか。
平井さんのお兄さんと言われれば、すぐにすっきりわかったものを。
「皇丞のこと、よろしくお願いします。栗山とは幼馴染なので、その友達として皇丞が中学生の頃からの付き合いなんです。女にはモテたけど、自分から好きになったり、別れを惜しむような付き合いをしたのは見たことも聞いたこともない。そんなあいつが、初めて自分から手を伸ばしたあなたを喜ばせたいと、俺に頼み込んできたんです。面倒くさい奴ですけど、どうか見捨てないでやってください」
「そんな、私なんて」と、思わず顔の前で両手をぶんぶん振る。
「バラの花ことばをご存じですか?」
平井さんがテーブルに飾られたバラを見る。
「情熱とか愛情を表現しているのでは?」
「らしいです。私も詳しくないのですが」
平井さんは笑って、今度は皇丞を振り返る。
「じゃあ、切るぞ」と電話を終えるところで、彼もまたこちらを振り返った。
平井さんが少し腰を屈めて、私の耳元で囁く。
「本数の意味を検索してみてください。あ、このバラはお持ち帰りできますから」
「え?」
「おい、晋太! なに、梓にこそこそと――」
「――いや? 俺に乗り換えない? って口説いてた」
気安い口調で平井さんが言うと、わかりやすく皇丞が不機嫌になった。
つかつかと戻ってきて、私の横に立つ。
「てめぇ」
「おや? 可愛い坊ちゃんがそんな言葉を使ってるなんて知ったら、静江さんが泣くぞ?」
「静江さん?」
「こいつの実家の家政婦さん。皇丞の育ての母親も同然なんだけど、特技が泣き落としなんだ」
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