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錆びたフェンスは、彼の重さには耐えられないように見えて、思わず駆け寄ろうとした。
「来るなっ!」
小早川くんは、普段の余裕のある感じとは違って、ギラギラした切羽詰まった瞳をしている。研ぎ澄まされたナイフのようだ。
「なんでお前が来るんだよっ!?」
「あの、お、落ち着いてよ」
「……お前、なんでここに来てるんだよっ!」
「えっと……」
「ひょっとして、お前もここから身投げしようと思って来たのか?」
「……」
「んなわけねぇよな。だっていつも幸せだって顔してるし!」
「僕が……?」
顔から血の気が引く。僕が幸せだって?
カチャン、とフェンスのしなる金属音をさせて、小早川くんは登りかけていた足を下ろした。
「お前が、佐藤が、なんでこんなとこに来る必要あんだよ?」
僕に対して真っ直ぐに向く。
「こ、小早川くんこそ。どうして……」
「悩みなんかねーだろ!? なんでだよっ!」
「ぼ、僕にだって悩みはある……」
「俺はな、もう生きてるのが嫌になったんだ。酒ばっかりの親父に泣いてばかりで病気の母親。大学に行きたいって言ったら高校やめて働けってっ……! くそっ! しかもまた闇金に手出してさっ! 俺が苦労して貯めた金にまで手をつけやがったんだ!」
ガチャガチャっと小早川くんはフェンスに蹴りを入れた。ヤケクソにフェンスを叩く。僕の中での小早川君が崩れ去っていく。
まさかそんな家庭不和だったとは知らなかった。
「あいつらの元で暮らすなんてゴメンだ。そう思ったら……ここで……ここに来て、お前が来た」
彼の声は今にもコンクリートの底に埋もれてしまいそうだ。
「そか……」
僕は一言だけ発する。
「帰れよ」
「いやだ」
こんな時でも泣いている彼の顔はとても綺麗だ。いつもの白い肌から少し赤みがかって、乱れた服もとても僕にとっては完璧だった。彼を一人にするなんて出来ない。今まで燃え盛っていた僕個人の感情はまるで引っ込んでしまった。
「そんなに見んなよ。てか、お前はなんでここに来たんだよ?」
「………………見回り」
「はあ?」
「…………危険がないか点検にきた」
「は? なんだよそれ」
完全に気が抜けた様子で小早川くんは冷たいコンクリートの上に座り込んだ。
僕がどうしようかとモジモジしていると、「座れよ」と促してくれる。
「なんかお前の顔みたら気ぃ抜けたわ」
はあーっとため息をつく彼。
「僕ね」
僕は冷えた空を見た。横には小早川くん。惨めな思いは消えないけれど、やっぱり彼のことを想うと切なくなる。
「僕、同性愛者なんだ」
月が雲間に隠れて少し光を失う。小早川くんはすぐには返事をくれなかった。
「だからここに来た」
「なんだよそれ……」
「生きてるのが辛いんだ。合コンとか、女の子と付き合うとか僕には無理でさ」
「佐藤……」
風の音もなく、遠くの方でかすかに車のクラクションが聞こえる。立ち上がってフェンス越しに見てみると、綺麗な夜景が広がっていた。煌びやかなネオンの色は有色。黄、赤、白。
「でもこの前、合コン行ったじゃんか?」
「それは……みんなに合わせるためだよ。バレないように全部演じてた」
君が好きだから傍にいたかった。
「まじか? お前がそんな悩み抱えてるなんて思わなかった。いつも真面目で空気読むのが上手い奴って思ってたからさ」
冷えた風に乗って小早川くんの低音ボイスが届く。なんて耳障りが良いんだろう。
「……僕も君がそんな悩みを持ってるなんて知らなかったよ。常に完璧で上位にいる人だと思ってた」
「互いに嘘ついてたんだな……」
「生きるために演技してた」
この世は嘘に満ち溢れている。
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