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 二人は向かい合って、二人だけの食事会を始めた。  ローレルの香りがする。  魚は真鯛だ。お刺身でも鯛は大好きだが、こういう形ではなかなか食べないので、雪和のお手柄だった。  それから生ハムとルッコラのサラダ、小さなカップに入ったラタトゥイユなど、けっこう見映えが良い。  おもむろに雪和が立ち上がった。 「あ、飲み物だね。私が出すよ」 「いや」  そう言うと、雪和はキッチンからグラスを二つ持ってきた。それから、黒っぽい色に赤リボン柄のボトルと、赤茶色のボトル。 「シャンパン?」 「そう、それと」  咳はおさまったようだが、どうも声がカスカスだ。   「もうひとつは、リコリスのお酒」 「えっ――。ホント!?」  完全に予想外で、水希は思わず声を上げた。  パスティスを用意してくれたのか。 「それを、カクテルにするよ。ヘミングウェイの」 「ヘミングウェイ?」  何のことか分からなかったが、雪和の説明では、あの大作家ヘミングウェイが考案したカクテルがあるらしい。本来そのカクテルは、ペルノーやアブサンなどのリキュールとシャンパンを、2対3の割合で注ぐ。  しかし、ペルノーはパスティスで代用することもあるそうだ。 「そのカクテル、売ってなくて」  モヒートやダイキリみたいに一般的じゃないのだ。買えないなら作るしかない。パスティス単体なら買えるという。 「すごいね、いろいろ調べてくれて。ありがとう」  素直にお礼を言うと、雪和は少し照れたような表情を見せた。  それから水希は、雪和が作ってくれたカクテルを飲んだ。 「味は…まあまあ」  やはりハーブの香りが強い。すっきりと飲みやすいが、それよりも、アルコールの強さに驚いた。 「このカクテルは、30度くらい。パスティスだけだと、45度だから」 「強いね。雪ちゃんは体調よくても飲めないでしょ」 「無理だね」  悲しそうな顔をする雪和を見て、水希は笑った。  水希も、頭がぼわんと熱くなって、酔いがまわっているのがわかる。 「このカクテルの名前が、面白いんだ」 「ヘミングウェイ・カクテルじゃないの?」 「正式には『午後の死』っていう名前」 「何それ、縁起悪い」  二人は笑った。昔は黒色火薬を入れていたという逸話まである、恐ろしいカクテルだった。 「パスティスのカクテルって他にもあるでしょ。何でそんな怖い名前のヤツを選んだのさ」 「だって水希、シャンパン好きでしょ」  そう言うと、雪和はクリスマスツリーを目で示した。 「電飾は、あの色じゃなきゃイヤだって言ってた」 「あぁ、シャンパンゴールド」  それは色の話だけどなーと思ったが、しかし、その理由なら怖い名前のカクテルでも納得する。  それから二人でケーキを食べて夜を過ごした。  翌日談として。  朝起きると、水希は頭痛がひどくて、とても会社に行ける状況じゃなかった。  ただの二日酔いだったのだが、雪和はそれを「風邪だ」と決めつけて譲らない。ちなみに雪和の風邪はすっかり治って、元気になっていた。 「水希こそ風邪ドロボーだ!」  水を得た魚のように、勝ち誇った顔でそう主張する雪和。  水希は「あんたねえ」と言ったが、頭が痛くてその後が続かない。  今年も、あと一週間で終わる。  小さな夢が叶った、そんな年だった。
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