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 大学を卒業して地元の大手家具店に勤め出し、七年ほど経った頃のことだ。  安納水希(あんのうみずき)は、大学の友人である朝田あかねの「面白い子がいるよ」という紹介で、県内の総合病院に勤める影山雪和(かげやまゆきかず)と知り合い、同棲を経て結婚した。    純粋で、子どもみたいなヤツ。  紹介するとき、朝田はそう言った。その言葉に、嘘はなかったと思う。  今は2階建ての2階、2LDKのアパートに、二人で暮らしている。  さて、我が家には泥棒がいる。  水希がそのことに最初に気付いたのは、同棲中のことだ。  年末の忙しい時期、水希は会社の社外研修のため、二泊三日で仙台まで出張に出た。  社の方針で高速バスを利用したのだが、帰りのバスの中で、まず喉の痛みを感じた。熱っぽく、やや頭痛もある。もともと疲れも溜まっていた上に寝不足も重なり、あれよあれよという間に、どんどん体調が悪くなっていった。  ふらふらになりながら玄関のドアを開けたのは、22時を過ぎた頃だ。 「水希、お帰り。あれ、大丈夫?」  迎えてくれた雪和は、満身創痍の状態にすぐ気づいてくれた。 「風邪ひいたみたい…。シャワー浴びてすぐ寝る」 「シャワーじゃ余計悪くなるよ、すぐお風呂沸かすから」  そう言って水希をソファに座らせた後、すぐに浴室に走った。基本的にいいヤツである。それは水希もわかっている。  準備してくれている間に、熱を測った。  38.5℃もある。辛いはずだ。  それでも熱いお湯に入浴剤まで入れて、ゆっくりと浸かった。気持ちいい。熱でぼーっとしている中で風呂に入って良いのか分からなかったが、帰ってきてそのまま寝床に入るのはイヤだったので、これは避けられない選択だった。  翌日は木曜で、出張でルーティン業務も滞っているため、休みたくなかった。会社の配慮なき遠征出張の日程に、今さらながら怒りを覚える。  よし、しばらく家事はすべて雪ちゃんに任せて、思いっきり甘えるかな――。  お風呂の中で、そんなことを考えた。風邪をうつしてはいけないので、雪和にはこたつで寝てもらう。  そうして、喉や頭の痛みに耐えながらも、水希は薬を飲んでぐっすり眠ることができた。  空が白み始める時間帯だろうか、すずめがチュンチュン鳴いているのが聞こえてきた。  目を覚まし、布団を出る前に、水希はまず自分の体調をひとつずつ確認した。喉の痛みはまだ残っているが、頭痛はあまり感じない。熱っぽさも改善している気がする。念のため体温計で測ると、37.2℃。  出勤できるな、と判断した。  ところがリビングに行くと、雪和がこたつの中で身体を丸めて、「うーん、うーん」と唸っていることに気がついた。 「雪ちゃん?」  水希が聞いても、「うーん」と言うばかりだ。顔が苦痛に歪んでいる。まさかと思いながら熱を測ると、38℃を超えていた。 「ちょっと! なんでキミが具合悪くなるのさ!」 「…うう、わからないけど…お腹が」  そう言うとこたつから這い出て、トイレに走った。水希の方はもともと腹痛はなかったから、これは雪和の独自調達ではないか。別々に寝た意味がない。  あーあと思いながら、一人にするわけにもいかないので、水希は会社に電話を入れた。一日休むと伝えると、上司は「珍しいな、お大事に」と言った。  トイレから戻った雪和は、再びこたつの中に滑り込むと、「水希は、具合どう?」と聞いてきた。「大丈夫だよ」と答える。  ――あんたが私の心配するな。  そう思ったが、まあ今日は重要な会議があるわけでもなかったし、これはよく休めってことなのかなと思うことにした。 「じゃあ、あれ、飲みたいんだけど」 「あれって?」 「前にお腹が痛くなったときに飲んで、良くなったんだよ。あのお茶」  それで思い出した。ずっと前に近所の雑貨屋で買って来た甘草茶(リコリスティー)である。  漢方薬でもある甘草(かんぞう)には粘膜保護の効能もあるようで、いつだったか雪和が腹痛を起こしたときに飲ませてやると、何だか少し効いたらしかった。影響を受けやすい雪和のことなので、偽薬的な自己暗示なんじゃないかと訝ったが、治ったならまあいいかと思った。  やかんに水を入れ、火にかける。  なんで私が、と思った。  まったくおかしな話だ。予定していた立場が、逆転してしまった。結局のところ、彼に甘えられているのだ。  風邪ドロボーめ!  水希はそう呟きながら、甘草茶のティーバッグを探した。身体の芯から冷える、十二月のことである。
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