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愛する幸せ(私は、大翔を選ぶ)
私は、表参道駅で静かに閉まっていくドアを電車の中から見つめていた。そして、走り出した電車の中で、携帯を取り出すと、私は、蒼にメッセージを送った。
『ごめんなさい。そっちには行けません』
携帯をしまうと、電車の窓を見た。窓には、今にも泣きだしそうな私の顔が写っていた。
それでも、私は進まなければならない。だって、これは自分で選んだ道だから。
渋谷駅は、人で溢れていた。それでも、行くべき道が私には見えていた。バーに向かって進む足取りは、いつの間にか早くなり、気がつけば駆け出していた。
私は、高鳴る胸の音を落ち着けるように息を吐き、ゆっくりとドアを開けた。
そこには、一人で飲んでいる大翔がいた。
大翔は、私に気がつくと優しく微笑む。
「どうして…」
それが私が彼にかけた最初の言葉だった。彼は、気がついているのだろうか。私の言葉の後ろに隠れている色々な思いを。
「彼女にミモザを」
隣に座ると、彼は、バーテンダーにあの頃によく頼んでくれたカクテルを注文してくれた。目の前に置かれたその鮮やかなオレンジは、一口飲むと一瞬で私をあの頃に戻した。
しかし、胸にチクリとした痛みを感じた瞬間、私の頭には蒼の顔が浮かんだ。
(私は、選んだはずなのに)
「ねえ、教えて。どうして私にメッセージを送ってきたの?」
私は、大翔の顔を見ずに尋ねる。
「一緒に飲みたかったからさ」
私は、その言葉に顔をあげ、大翔の顔を見る。大翔は、優しげに微笑みながら私を見ていた。
(やっぱり、あなたは、私が欲しい言葉はくれないのね)
それでも、私達は会話を続けた。彼に聞かれた事を私が答える。そんな一方通行な会話を続け、気がつけば、私のグラスは、空になっていた。
「同じものを」
彼がバーテンダーに声をかける。
「やめて、もうそんな子どもじゃないわ。ギムレットを」
私は、彼の声を取り消すように強いお酒を頼む。
(もう、あの頃とは違う。そうよ、私は変わったの)
私は、自分の手元を見て、自分に言い聞かせるように、心で呟く。
「こちらを」
しかし、私の目の前に置かれたのは、ギムレットではなく、オレンジ色のカクテルグラスだった。
「バレンシアです」
バーテンダーが、私にカクテルの名前を告げる。私が何かを言おうとすると、それを大翔が止めた。
「澪が大人になったのはわかった。でも、…」
そこまで言った大翔は私の耳にくちびるを寄せた。
「夜はまだ、長い。確認は、後にしよう」
そう言って、大翔は私の頭を優しく撫でた。
(どうして、あなたは…)
目の前のカクテルを飲んでしまえば、彼の事を受け入れた事になってしまう。それが分かっているのに、私は、カクテルから目を離せなかった。
やがて私は、彼の目を見ると、グラスにそっと口をつけた。そして、そんな私を見て、彼は妖しく微笑む。
バレンシアの優しい味は、不思議な事に蒼の笑顔を思い出させる。でも…。
(もう、戻れない。例え、この身が大翔を愛する事で焦げてしまうと分かっていても)
「行こう、澪」
飲みかけのバレンシアを残し、私は大翔と一緒にバーを出る。
ドアが閉まる瞬間に、振り返ってバレンシアのグラスを見た時、私の目から一筋の涙が流れた。
(さようなら、私を愛してくれた人。たくさんの愛をもらったのに、あなたに私はもう何も返せない)
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