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悩み、そして、私は選ぶ
東京メトロ、押上駅。
私は、一人ホームに立ち、いくつもの電車を見送った。人々はどんどん私を追い越し、電車に乗り込む。それでも、私はその場に立ち尽くしていた。
私は、時間を確認しては、ため息をついた。私がこの駅についてからかなりの時間が経っていた。もういい加減に決断しないと駄目だろう。
頭では分かっているのに私は、また一本電車を見送った。
私が、足を踏み出す事が出来ない原因は、携帯に届いた2つのメッセージだ。
一つ目のメッセージは、仕事の休憩中に届いた。
『今晩、イルミネーション見に行こう。俺はこのまま直帰だから、表参道の駅前に19時で待ち合わせはどう?』
それは、外回りにいっている同僚の彼からだった。彼は私に愛される幸せを教えてくれた人だった。そのメッセージを読んだ時、彼の優しい笑顔が浮かんで、自然と表情が緩み、私は、温かい気持ちになった。
『分かった。仕事が終わったら向かうね』
彼にメッセージを返して、携帯をしまおうとした時だった。私の携帯がもう一度メッセージを受信した。彼から返信がきたと思った私は、もう一度携帯を見た。そして、その送り主を見て固まった。
『今晩19時に、渋谷のいつものバーにいる』
そのメッセージは、私に愛する事を教えてくれた人からだった。
メッセージを読んだ私は、浮かんだ彼の顔に心がざわついた。もうすっかり消えていたと思っていた彼への思いは、まだ私の中に残っていたのだろうか。こんなにも心が揺らぐなんて思ってもみなかった。
2つの行き先は同じ半蔵門線にある。私はどちらに向かうべきなのだろう。そんな自問自答を繰り返し、時間だけが過ぎて行く。
しかし、もう次の電車に乗らなければ、約束の時間に間に合わないだろう。私は、答えが出ないまま電車に乗り込んだ。
私の心が決まらなくても、電車はどんどん進んで行く。そして、電車が駅に止まるたびに私は、思い出す。それぞれの思い出を。
私に愛する事を教えてくれたのは、大翔だ。
大翔は、5つ年上の大人の人だった。彼は、大人の時間の過ごし方やたくさんの事を私に教えてくれた。お洒落なバーや夜桜を見ながらのディナー。夢のような時間を見せてくれる素敵な彼に、私は、すぐに恋をした。
しかし、彼のそばにいるのは私だけではなかった。愛を分け、他の人にも愛をささやく事が出来るそんな彼のそばにいるのは辛かった。
「澪、愛してる」
それが彼の唯一の愛でなくても、彼が私に向けてくれる愛の言葉に、私はますます愛を募らせた。
やがて、報われない愛をひたすら募らせた私は、愛する苦しみを彼から学んだ。
「澪、愛してる」
「私も大翔が好きだよ。でもね...」
私は抱きしめていた彼の腕の中からすり抜け彼を見る。
「好きすぎて辛いの」
「澪?」
「だから、バイバイ」
私は傷を抱えたまま、彼に別れを告げた。彼の部屋を出ると溢れる涙をそのままに私は歩き出した。
彼との別れは、私から色を奪った。見るものすべてはグレーになった。何をしても楽しくないし、気を抜くと大翔を思い出しは、いつまでも心の傷が癒えず苦しんでいた。だって、彼との恋は、辛い日々もあったはずなのに、思い出すのは決まって幸せだった日々ばかりだったから。
そんな時、会社に中途社員がやってきた。
「桐谷蒼です。よろしくお願いします」
それが蒼だった。
蒼は、穏やかな日だまりのような笑顔の人だった。年下の彼は、いつも一生懸命でそんな姿を見ているだけで、心が癒されるようなそんな気がしていた。
蒼は、すぐに部内の同僚に受け入れられ、気がつけば、みんなでよく飲みに行くようになった。そしてそんな飲み会の日々に、私達は同じ駅を利用していることが分かり、飲み会の後は毎回一緒に帰った。
そうして、毎回帰り道でいろんな事を話するうちにどんどん仲良くなった私達は、しだいに彼に誘われ、二人だけで飲みに行くようになった。
彼と飲みに行くのは本当に楽しかった。
彼の話はいつもおもしろくて、それに、彼の優しい笑顔に、私の心の傷はしだいに癒えていった。穏やかに流れるこの時間は、私の大切な時間になっていた。
いつからだろう。私を見る彼の視線に熱を感じるようになったのは。彼の目は昔の私と同じだった。
そして、告げられた彼の気持ちに私は頷いていた。
「澪ちゃん、大好きだよ」
彼は、いつでも真っ直ぐに私に気持ちを伝えてくれる。そして、年下だけどしっかり者で、仕事だけでなくプライベートでも、抜けている私を助けてくれた。私は、愛される事、守られる事の幸せを彼から知った。
私は、まだ彼に同じだけの愛を返せていない。でも、いつか。そんな風に思っていた。
窓の外を見ると、電車は大手町に着いていた。リミットは、15分。私は決めないといけない。渋谷か表参道か。
幸せな恋をするなら表参道で降りるべきなのだろう。今は愛を返せなくても、蒼の側にいればきっと穏やかで幸せな時間を過ごす事が出来る。それは分かっている。
でも、あのメッセージを見て、私の心をいまだに掴んでいるのは大翔なのだと知ってしまった。あのメッセージがなければ、こんなに心を揺り動かされる事はなかった。
やっぱり彼は、ずるい人だ。今さらメッセージを送ってくるなんて。きっと今も彼にとって私は唯一ではない。それが分かっているのに、まだ彼への愛が消えていないなんて。
目の前をどんどん駅が過ぎていく。もう時間がない。
私は、選ぶ。
身を焦がす愛する恋か、心穏やかな愛される恋か。
電車が、ゆっくりと表参道のホームに着き、ドアが開く。
私は、恋を選んだ。
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分かれ道
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