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元にもどっただけだ。
何事もなかったかのようにふるまえばいい。
何事もなかったと思えばいい。
あれから約1ヶ月。
僕はバックヤードで返本処理に忙しくしている。
文字どおり、売れなかった本を返す。
本をジャンル分けして、それぞれを段ボール箱に詰める。
冷静に考えたら、大した量だ。かわいそうな本たち。
どのように並べれば1冊でも多くの本を詰められるかは数年でもう学習済みだ。機械的に入れていく。
唐突に思い浮かぶ。
部屋に残された、マイナーなゲーム機の充電器。湿布。カフェオレボウル。
廉はそれらを取りに来ることもしないと決めたらしい。スマホに事務的なメッセージすら、送って来なかった。確かに海外留学に必要とは思えない物ばかりだった。
低く柔らかい声、のんびりとした、ときどき単語だけ放り投げてくる話し方。
何よりもーーー。
僕は自分の唇に手をやって、離す。首を横に振る。
この本たちみたいに、箱に入れてどこかに送ってしまえればいいのに。
物も、思い出も記憶も。
僕はガムテープを思いきり強く押し当てて箱を閉じる。
「送って、なかったことにできれば楽なのに」
出力した発送伝票を持って、篠岡くんが近寄って来た。
「…何をですか? どうかしたんですか」
やばい、聞こえていたらしい。
篠岡くんの眼差しは興味と心配が半々になっている。
「…もう会えないんだ」
「もしかしてこないだ言ってた人ですか?」
「…うん」
「何でですか? 遠距離になっちゃうとか?」
「会わない方が、いいんだ」
僕が黙ると、篠岡くんはそれ以上追及してこなかった。
「…事情はわかんないですけど、会いたくない、じゃなくて会えないなんて、イマドキそんなことあるんですか」
明治時代ですか、と言う。まるで僕の代わりに怒ってくれているみたいに。
代わり? 僕は怒りたいのだろうか?
誰に。何に対して?
「田中さん自身は、どう思っているんですか?」
「…僕?」
僕は。
「もう、そうやってぼうっとしてるんだから田中さんは!」
篠岡くんは頭をかきむしる。
僕は、あれ以来からっぽだった。
「田中さんの言うとおりだとしても、俺だったらお礼とか最後に言いたいですね」
「お礼?」
「楽しかったこととか、あったわけでしょ? そういうのまでないことにするのは…何て言うのかな、裏切りですよ。自分に対しても相手に対しても」
「…楽しかったこと…?」
楽しかったことしかないよ。
はじめて会った日から、最後になってしまった日まで。
たくさん笑ったし、食べたし、話した。
怒りの感情は、心のどこを浚ってみても、見当たらなかった。
たださみしかった。廉が僕の生活から急にいなくなってしまったこと、留学の件を話してくれなかったこと。
「…今日、何日だっけ?」
廉が同じ気持ちじゃなかったとしても。僕に別れすら告げないことを選んだのだとしても。
僕は。
「え? えと、今日は…」
篠岡くんは僕の唐突な問いに戸惑いながら、バックヤードの壁掛けカレンダーを見ながら答えてくれた。
明日だ。廉が出発する日。
「ごめん、今日早退する!」
「えっ!?」
エプロンを外しながら走る。
「…よくわかんないですけど、店長にはうまく言っときますからねー!」
背後から声。
「…ありがと!」
振り返らずに答えた。
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