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「…ちょっと待って。邪魔って?」 肩を、つかまれた。 「村西…、マネージャーに言われた?」 あ、まずい。 僕はあわてて首をぶんぶんと横に振る。 「村西さんは廉のために、これからを考えて、僕に離れて欲しいって…僕を悪く言ったりは、一切されていないよ」 この選択をするのはだから、村西さんのせいでも、廉のせいでもない。僕が決めたことだ。 「…ごめん。俺のせいだ。俺のせいで、晴を追いつめた」 「………え?」 思いがけない言葉だった。 「晴といっしょにいるのが楽しくて…ロンドンに行くって言い出せなくなってた」 僕の肩に手を置いたまま、うつむいて目をそらしている。僕と同じように。 「しばらく会えなくなるって思って…晴の気持ちも考えずにあんなことをした。挙げ句、嫌われたと思って、はっきり何かを言われるのがこわくて顔、合わせられなくなった。留学しちゃえば忘れられるかなって思って、何も言わず勝手に行こうとした」 頼りない、すごくちっちゃな声が降ってくる。 「俺がちゃんと村西さんにはっきり伝えてれば、晴のところに行くなんて暴走させることもなかったし」 いっしょにいるのが、楽しくて。 嫌われた。 忘れられるかなって。 聞いた言葉が、信じられない。 廉は僕と同じ気持ちだったの? 「…嫌いになるわけ、ないだろ…」 廉は、ふっと笑った。胸がしめつけられて泣きたくなるような笑い方だった。 「…触ってもいい?」 「え…うん」 廉はひとさし指と親指で僕の袖をひっぱると、そのまま引き寄せた。 わっ。 いい匂い、今日も、する。 思考がなぜか片言になる。 僕はとてもおそるおそる、ほとんど悪いことをするみたいに、廉の、僕よりすこし広く、身長のわりに華奢な背中に腕を回す。 なんだかほっとする。 照れや緊張よりも先に、安心した。 廉も同じだったのだろうか、廉の背中からも力が抜けていく。 「俺も会いたかった」 本当に? 「残った仕事片付けたり、準備や挨拶やら、忙しさにまぎれれば晴のこと忘れられるかなって、思った。でも、逆だった」 「うん…。僕も」 僕も廉と同じ気持ちだった。 同じだってことが、確かなものとして腕の中にある。 「…行くの、やめちゃおっかなー」 僕の首筋に向かってそんなことを言う。 僕だってロンドンなんて遠い場所に行ってほしくない。 けれど同じくらい、行ってほしいと思えた。 願わくば、それをいちばんに応援するのが僕だったらいい。そうありたい。 だから何も言わずに廉の背中をぽん、ぽんと叩いた。 すると廉は両腕にいっそう力を込める。 痛いくらい。 けれど心地良い痛みだ。 「選んでくれた本、持って行くから」 「うん。感想聞かせて」 「…晴」 廉が体をそっと離して、僕の顔をのぞき込む。伏せたまつ毛。かたちのよい唇は、けれどやっぱり今日もすこし荒れていて、近づいてくる。 僕は絡めとられたように、顎を上げて目を閉じーーー。 ごほん、と咳払いが聞こえた。 廉と僕の目が、ばちっと合う。 それから2人して、ゆっくりとそちらを向いた。 「…村西、さん」 エレベーターの前で腕組みをしながら僕たちを見ている。怒っているような、ばつの悪そうな表情をして。 僕ははっとして廉の背中から腕を離す。朝のマンションの通路だ、ここは。 「もう、行かなくちゃ」 「…うん」 廉の腕をくぐるようにすり抜けて立ち上がる。いまさら、ほのかに頬が熱い。 廉は僕の手をつかんだ。 そうっとにぎり返した。 僕の方がむしろ先に立って、村西さんのところまで数メートル歩く。 「時間だ」 村西さんは僕たちのつないだ手から目をそらすと、前を見据えて、言った。 「じゃあ…な」 「…うん。体に気をつけて頑張って」 「晴も。連絡するから」 「うん」 本当にもう、離れなきゃ。 そう決めて離そうとした手を、ふいに強くひかれた。 それは、はじめてのふいうちのときより意志を持っていたように感じられた。 廉は僕の唇に自分の唇を重ねた。 熱くて、廉の匂いがした。 「帰って来るから。ここに、晴のとなりに」 返事の代わりに、廉の手をぎゅっと握って、それから離した。 「…3ヶ月なんてすぐだ」 エレベーターに乗り込みながら、背中で、村西さんは言った。 僕はその背中に頭を下げる。 閉まりかける扉の向こうで、廉はいつものいたずらっ子の笑顔になって、ひらひらと手を振った。 僕もつられて笑う。 待ってるから。
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