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小松菜、ピーマン、豚バラ薄切り。卵10個。
冷凍庫に、1膳分をラップでくるんだご飯。
うぅん、これは…。
この状態で他人に食事を作ろうとしている。無謀だったかも、しれない。
いきだおれていた彼は、僕の唐突な言葉に対してイエスともノーとも答えなかった。相変わらず、玄関から一歩上がった狭いフローリングにぺたんと座り込んでいる。
僕はそこから鼻先程度の距離のキッチンに、立っている。さっきはあわてていたから靴下のままだったけれど、スリッパを突っかける。エコバッグから、卵のパックと小松菜を取り出した。
視線を感じる。
当然か。
さっきまでは彼があやしい人物だったのに、今は僕があやしい。
考えてみれば、知り合ったばかりの相手が目の前で包丁を出すって、あまりないぞ。
小鍋に水を入れ火にかけつつ、小松菜を水洗いする。
長めの茶髪の下のおおきな瞳に、この距離からでもまつ毛が影を落としているのがわかる。
頬は若干削げているようにも見える。痩せ型。
すっと通った鼻。薄いくちびるはやや乾燥しているようだ。
骨張った首筋。
窮屈そうに畳んだ、長くて細い手足。
…って、ぶしつけに見過ぎだろ。
僕はあわてて小松菜をひたすら細かく刻む。
沸いた湯に、実家から大量に送られてきたかつおぶしの小袋を投入する。
塩をぱらぱらと入れる。解凍したご飯、続けて小松菜も入れる。
豚バラも入れてもいいけど、消化に悪い気がするからやめる。
適当な汁碗に、卵を割り入れる。
落ちていく黄身に謎の彼の顔が一瞬、映る。
どぎまぎする。
何でだ。
何で。僕がこんな目に。
そう思いながら、しゃかしゃか音を立てて卵をかき回す。
僕が部屋に入れた。マンションの住人だとわかったなら、せいぜい彼の部屋の前に送り届ければいいところを、僕が声をかけて引き止めた。
菜箸はないから普通の箸に、卵液を伝わせて鍋に入れていく。
卵がもやっと浮き上がってくれば、出来上がりだ。
木製のボウルに移す。セットで売っていた、木のスプーンも付けたぞ。
「…どうぞ」
両手ではさみ持って、腰をおとして差し出す。じんわりとてのひらに熱が伝わる。
彼は、その持て余した腕を伸べて受け取った。
長身のわりに細い指で。
「…大したものじゃないですけど」
調子が良くなさそうだから、卵雑炊にしてみた。湯気で僕の眼鏡がすこし曇る。その向こうで、彼がぼやける。
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