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「…いただきます」
その場面では当然の言葉だったのかもしれない。けれどなぜか僕は意表をつかれた。
あまりにも平らで、普通で、するっと入り込んできたから。
スプーンですくって、口元に持っていく。
「…あったかい」
それは、吐息だった。
彼がやっと呼吸をし始めた、と思った。
けれど僕は反対に、胸が詰まって息ができなくなりそうになる。
何も言えなくなる。
すい、すい、と一定のリズムで、彼は卵粥を食べる。
伏せたまつ毛が無防備だ。
僕が作った食べ物を、体に取り入れていく。
ただそのさまを見守る。
そう長くない時間。けれど時間が止まったみたいに長い。
「…ごちそうさまでした」
まるで儀式のように、僕は空になった器を受け取る。
彼は立ち上がる。
今度は緩慢にではなく、すっと。
やっぱり長身だ。
それに、がっちりした体型ではないけれど、ひょろりと細いのでもなかった。
何と言うか、存在感が、ちょうど良い。過剰でもなく、薄くもない。
ぴょこりと頭を下げる。
頬に髪がひとすじ張り付いて、それを取ろうともしない。
つられてこちらも頭を下げる。
「…よく休んで下さい」
彼はもう一度ありがとうございましたと言うと扉の向こうに消えた。
シンクにおきざりにされた卵の殻。
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