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モデル兼俳優が僕の部屋に足を踏み入れたからと言って、僕の生活は何も変わらない。 それどころか、むしろーーー。 「だからね、何で古本屋で500円で売ってる本が、ここで1300円なのかって聞いてるの」 「ですから当店は新刊本の書店となっておりますので、お値引等はできかね…」 「そもそもこっちで売ってるやつの方が、手垢とかついてるし」 「でしたら版元か近隣の系列店に問い合わせてすぐにお取り寄せを」 ページをめくってカバーも取って確認した。汚れや破損はないように見えた。 「だ、か、らぁー、そういうことを言ってるんじゃなくて誠意ってもんを」 「それ以上のことは致しかねますので」 クレーム対応はそれなりに慣れている。 社員だから、やらなきゃいけないし。 いちいち傷ついたり、辞めようと思ったりは、しない。そういう段階は、もう数年前に卒業した。 だから、口はなめらかに動くけれどひたすらに無、だ。 けど、なあ。 確実に何かがすり減っていく。 こっちだって人間なんだよって叫び出したくなる。 「だいたいさ、何でこんなちっちゃい本が千円以上もするわけ?」 売られている本が汚れているというクレームから、次は値段へのいちゃもんへと変わる。 客越しに篠岡くんが目顔でサインを送ってくる。僕も目顔で、大丈夫だから、と答える。通り過ぎる他のお客様は、ちらちらと見ながらこの棚を避けて迂回する。 店長を呼ぶほどではない。 結構いるんだ。薄いのに高い、とか、この作家にこんな値段の価値はないから値下げしろ、と言ってくる輩…、いやお客様は。 僕はそのお客様の好きな作家を聞き出したりして、なんとか話をそらしつつご機嫌をとる。 長い時間だ。 初老男性の唾が降ってくる。 「大丈夫でしたかっ?」 なぜだかその男性が意気揚々と、もちろん何もお買い上げにならずに帰って行くと、篠岡くんがあわてて駆け寄って来る。 「うん、大丈夫。病院の時間があるとか仰って帰られたよ」 「じじいめ」 僕を励まそうと、ことさらに悪態をついてみせる。 「何かされたわけじゃないし。それより止めちゃってごめんね」 「本当、困りますよね、ああいうの」 「アルバイトさんは、クレームが来たらすぐ社員呼んでくれていいから。とにかくひとりで対応しようとしないで」 こんなことで、貴重なアルバイトの人材が失われたら困る。 「あの、仕事終わったらごはん行きませんか、他の遅番連中と。就活の話とか聞きたいし」 気を遣ってくれている。年が近いとは言え、バイト君に気を遣われるなんて僕もまだまだだ。 僕はそのお誘いをありがたく受ける。 遅番だから帰宅ラッシュには巻き込まれなかったけれど、電車内には乗客の疲労感が澱のように溜まっていた。僕はよりげんなりする。間隔がところどころ空きながら埋まった座席は皆無口だ。 僕は扉の窓に額を押し付けて立っている。 バス停からマンションまでの距離を、普段の倍近い時間をかけて歩く。体が重たい。 決して篠岡くんや他の仕事仲間のせいではないけれど、食事に行っても気分は晴れなかった。勤務が続いて、疲労がたまっていたのかもしれない。 発泡酒かっくらって、寝ちゃおうかな。普段、家ではほとんど飲まないけれど、ことさらに悪ぶってそんなふうに考えた。
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