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LINK14 愛を呼ぶ鐘
達磨寺から恋人岬は目と鼻の先。
『恋人岬』のヴィジョンを見た事は何かの意味があるのかもしれない。
それに真心が行きたいというのなら、俺に断る理由はない。
「太郎君、君もいくかい?」
「はい。僕も行きたいです」
そう言いながら太郎君はデジカメの電池を交換していた。
車は使わず恋人岬には徒歩で向かう。
ほんの数百メートル。
いつものように真心は俺の左側の裾をつまみながら歩いていく。
夏の陽ざしに海の気配を感じる。
「日傘を買ってきたらよかったかな」
「大丈夫。右手に白杖、左手に日傘を持ったら、月人さんを見失っちゃうから」
136号から枝分かれするように『恋人岬』の看板に導かれるまま中へ入る。
入ってすぐの駐車場からは、さっそく俺が見たメロイックサインを模した像を確認することができた。
「真心、あった。これだ。俺が見た映.... 痛い。頭が割れそうだ....真..心....」
**
「 ..人さん! 月人さん....」
俺の手を握るのは....誰だ?
なんで....何も見えない。
手は動くようだ....
「月人さん。 目を覚ました?」
「ああ。俺はどうした?」
「恋人岬の駐車場で倒れたの。太郎君が達磨寺に知らせに行ってくれて、お寺の方々がここまで運んでくださったの」
「そうか。救急車は呼んだりしてないよね?」
「それが.... 救急車の番号が通じなくて....」
「よかった。もう呼ばないでいいから」
緊急の番号が使えないなんて何とも日本が不安になるような話だが、今回に関しては幸運だった。
病院などに運ばれようものなら、俺は東京に戻され、最悪、国土衛星省と厚生環境省の連中に真心の存在までばれてしまう。
それだけは避けなければならない。
「ところで困った。俺も真心と同じになった」
「どうしたの?」
「いま、何も見えないんだ」
「何も見えない? やっぱり救急車で病院へ行ったほうがいいよ」
「待ってくれ。たぶん、これは予兆だ」
自分でもおかしいくらいに落ち着いている。
でも、これが予定されていた事のように俺には思えたのだ。
「予兆って?」
「何となくそんな気がするんだ。今は少し休ませてくれ.. 真心、心配かけてごめん」
「大丈夫だよ、月人さん..」
涙声か.... 真心は泣いてるんだな。
泣かなくていいよ、真心、もうこれ以上。
しかし、俺が『ごめん』だなんて謝ったのは久しぶりな気がする。
社会の中で生きていくためにいくつも嘘の言葉を重ねてきたが、今の『ごめん』は一片の曇りもない素直なものだった。
そんなことを思いつつ、睡魔に身をゆだねた。
・・・・・
・・
何だ。これは。
草?藁?
大きな藁の玉....入口に吊るしている。
いや、これは杉玉だ。
飲み屋で似たようなのを見たことがある。
酒蔵で吊るしているものだ。
街並みが見える。
古都の街並み?
江戸時代か何かみたいだ。
そしてこれは仏像か。
顔が... ないのか....
手に子供を抱いている。
・・
・・・・・・
映像が途切れると同時に目が覚めた。
俺の視覚は回復していた。
寝ているときにまるでスライド写真のように鮮明なヴィジョンが見えた。
「ホテル葉桜」で見た時よりも鮮明な映像に見えたのは俺が慣れたせいなのだろうか....
いや、違う。これは真心の中のAIが意図的に俺の脳へ直接映し出したものなのかもしれない。
その影響で俺の視覚は一時的に失わているに違いない。
真心の中のAI.... つまり、これをやったのは....
全身の毛穴が全て開いたような身震いがした。
俺が目を覚ました気配に気づき真心が近づいてきた。
「月人さん」
手探りで俺を探す。
探すその手を取ろうか....
いや差し伸べる手を探していたのは俺だ。
俺はこの手を取るべきなんだ。
その小さな手を両手で包み「大丈夫だよ」と自然と優しい声が出た。
「月人さん、気が付いたの?」
その様子を見た太郎君は達磨寺の和尚に知らせに走った。
「さて、真心行こうか」
「どこに? それにまだ動いたらダメだよ」
「いや、大丈夫だ。もう一度、恋人岬に行こう」
今はもう夕刻の日の入り....
丸一日つぶしてしまったが、俺が倒れたのも、映像を見たのも、そして今、この時間に目が覚めたのも、すべて予定された事であったなら、その先には何があるのだろうか。
そして俺の中にこの恋人岬に行くことが正解のような気がした。
今はそれに従ってみよう。
真心と太郎君を連れて、再び恋人岬に着く。
メロイックサインのオブジェ。
俺が次に見た映像は『鐘』だ。
「真心、ここに座って待っていてくれ。ちょっと案内図を探してくる。」
オブジェ横のベンチに真心を座らせる。
恋人岬はこの20年間、管理会社の撤退で施設のすべてが潮風で傷んでいる。
探し当てた案内図も絵が薄くなり、よくわからない。
他に案内図はないのだろうか。
「月人さん、真心お姉ちゃんが大変だ!」
太郎君の言葉にベンチを見ると真心の姿が見当たらない。
ベンチには白杖だけが残されている。
まずい、白杖だけが残っているということは!
どこだ! どこに行った!
「月人さん、あっちにいるよ」
太郎君が真心の後姿を確認した。
「呼びに行こうか?」
「 ..待て、太郎君。しばらく、このまま付いて行こう」
真心の足取りは完全に健常者のそれだった。
その長い階段は岬の先にある展望デッキに続いている。
**
展望デッキに到着すると夕日に染まる朱色の空と海の光に真心は包まれていた。
真心は後ろ姿だった.... だが、あれは『燐炎』なのだろう。
「月人さん、真心お姉ちゃんは目が見えているのかな?」
「わからない....」
太郎君は何も理解できないまま、真心の隣にいく。
夢中でデジカメでその美しい夕焼けをおさめていた。
「お姉ちゃん、凄く綺麗な夕日だね。」
「 ..そうね。」
彼女はそう言うと、おもむろに展望デッキに置いてある鐘に近づいていく。
それは、『ホテル葉桜』のロビーで映像として見た鐘だ。
鐘に付けられたロープに彼女は手を伸ばし、その鐘を揺らした。
コン.コン.コン.
まるで響くことのない、こもった錆びついた音色だ。
鐘を3回鳴らすと彼女は紐を掴んだまま、崩れるように膝をついた。
そしてこう言ったのだ。
「月人さん、私にも見えたよ。この素晴らしく綺麗な夕日が....」
その声は燐炎ではなく真心の声だった。
開いたままの瞼。
その奥に見えたのは、潤いのある褐色の瞳だった。
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