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些細な衝突を繰り返しながら進む、未央との二人暮らしが戻ってきて1ヶ月が経った。おしゃべりな未央がその日は朝から無口だった。朝食を取りながら、携帯電話の画面に表示された文章をずっと読んでいた。
その日の夕方、私は小学生のにぎやかな話し声とすれ違い、朗らかな気分でスーパーから帰った。
リビングに入って違和感を覚え、手に持った買い物袋をテーブルに置き、部屋の中を見回す。預金通帳や印鑑を入れた引き出しが少し空いている。
私は文字通り、その引き出しに飛びついた。
やはり、通帳と印鑑がなくなっている。持ち出したのは未央だろう。
そして、それを頼んだのは元夫だろう。
テーブルに置いたバッグの中から携帯電話を取り出して、未央に電話をかける。
「もしもし、未央。通帳と印鑑を持っていったわよね。何してくれてるの」
なかなか返事が聞こえない。耳を澄ましていると、騒々しさの中から「まもなく電車がまいります」と聞こえてきた。駅にいるのだろうか。
未央は場所を移動したらしく、電話の向こうから聞こえるざわめきが小さくなった。
「ママ。ひどいじゃない。離婚したとはいえ、パパがお金に困っているのに貸してあげることすらしないなんて。おかげでパパはすっごく貧乏な生活をしてるんだよ」
「そう思うなら、どうして私に先に文句を言わないの。黙って通帳を持っていくの」
「だってママと話したら、パパにお金を貸さないために、パパの悪口いうじゃない。嘘ばっかりの悪口。そうパパが言ってた」
ため息しか出てこない。
どうして未央は、誰よりも自分の一番近くにいて、一番世話をしている私よりも、おばあちゃんやパパの言うことを信じてしまうのだろうか。怒りも悲しみも湧き上がらない。
私はゆっくり瞬きをして、緩く口角をあげた。
「そう。じゃあ、その通帳、パパにあげてね」
通話を終了し、携帯電話をテーブルに置いた。
その通帳には残高500万円と印字されているが、最後に記帳したのは1年前だ。今は500円しか入っていない。
「まあ、お金が入ってないってわかったら、あの人に追い出されるか、自分で見切りをつけるでしょ」
未央は勝手にどこかへ出ていくが時間が経てば必ず帰ってくる。綱をつけた覚えはない。帰巣本能のようなものだろうか。
傾きかけた日差しが差す窓を見る。その外ではカラスが1羽、力の入らない鳴き声を響かせていた。
(了)
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