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豊田先輩が殿なんて呼ぶのなんか、一人しかいない。
俺は最初、ちょっとイタい呼び名だなと思ったんだけど、何か久我先輩と豊田先輩の間には、先輩後輩って以外にも何かしらの関係があるらしいから、その呼び方なのかも。
見覚えの無い男が運転してる黒塗りの車の後部座席に押し込まれて、両側を挟まれるように座らされた。豊田先輩は助手席に座って、運転手に指示を出してるみたいだったな。
後部座席の窓には黒いカーテンが引かれてて、景色はあまり見えなかった。見えてても、どうせ暗くなってくだけだったけどさ。
それから、どれくらい走ったか…。
体感では30分くらいかと思うんだけど、荷物は豊田先輩に取り上げられてたからスマホも確認できなくて、正確にはわからない。
その内車が停車して、少し間を置いて左側のドアが開いた。横に座ってた男が降りたから俺も続いて降りようとしたんだけど、何時の間にか助手席から降りて来てた豊田先輩が手を差し出してきた。何処までも女扱いなんだよな。
俺は少しの間その手を見つめて、結局取らずに避けて車から降りた。
やれやれ、みたいなゼスチャーをされたけど、知らない。
すっかり暗くなった空を背景に、ライトアップされた高級感のある三階建ての建物。最近よく見るようになった低層階マンションってやつだろうなと思った。場所や造りによってはタワマンより高いらしいなんて話もよく聞く。
そんなところに久我先輩が居るっていうのか?
チラッと豊田先輩を見たけど、先輩はニコッと笑うだけで、俺は男3人に囲まれた状態でそのマンションのエントランスに入った。
カウンターに四十代くらいの男の人がいたんだけど、豊田先輩を見てお辞儀をしてきただけで、後は俺達の後ろから入ってきた運転手の男と何かを話していた。
その間、俺は3人に囲まれたまま、階段を上がった。
三階の廊下を歩いた一番奥の部屋のドアは、俺達が近づくと小さく解錠音を立てた。そう言えばエントランスのオートロックも普通に通過してきたな、ってその時やっと思い至った。
後から知ったんだけど、久我先輩の留守を預かってた豊田先輩は、部屋の管理の為にリモコンキー持たされてたんだ。
大した信頼関係だよな。いっそ久我先輩と豊田先輩がくっつけば良いのにな。
玄関ドアを入った奥のリビングの、そのまた奥に久我先輩は居た。
一瞬、あの頃にタイムスリップしたような感覚になったよ。
服装も場所も全然違うのに。あの頃は薄暗くて少し動いただけで埃が舞う体育倉庫や、空き教室、幹部連中が居るからって滅多に誰も寄り付かない屋上が舞台背景だったけど、今は高そうな革張りのソファがある。高校の制服じゃなくて、一目でブランドものだとわかる黒の上下の部屋着を着てる。
(…つーか…、)
久我先輩の姿を見るのは卒業以来だけど、今見てもやっぱりイケメンではあるなと思った。
学校に居る間の姿しか知らない、私生活が謎だらけの人だとは思ってたけど、こんなとこに住んでのか?あの頃から?
わからない事だらけで、俺は無言で久我先輩を見つめた。
以前より短く整えられた黒髪、少し削げた頬のせいか精悍さの増した顔。男振りは一段と上がってる。でも、それだけだ。何の感慨が湧いてくるでもなかったよ。
俺は久我先輩の事が好きな訳じゃないし、気持ちなんか無いから。
「久しぶりだな、凛。」
俺の姿をたっぷり1分は舐め回すように見たあと、久我先輩はやっと言葉をかけてきた。
「…お久しぶりです。」
ぺこりと頭を下げると、久我先輩が立ち上がって両腕を広げた。
「…なんすか?」
「来ないのか?」
心底不思議そうに言われてドン引きした。
わかってる、その腕の意味は。あの頃はそうされたら腕の中に飛び込むように躾られたし、そうすれば久我先輩は喜んだ。行儀の良い室内犬か猫のように、俺は久我先輩の腕の中か傍で寄りかかって侍っていた。
でもな?
それはあの頃だからだ。
今、この人に同じ事をするメリットがあるかな?
俺は困惑しながら久我先輩を見つめたよ。
周りを不良学生に囲まれてる環境でもないなら、身を守る為に媚びる意味が無いから。
でも久我先輩にはそれがわからないみたいで、はっきりと不服を顔に表した。
「どうした、凛。」
「どうしたもこうしたも…。」
俺だって困惑した。何で昔の関係がずっと継続してると思うんだよ。そもそもこの人、俺にした事全部忘れてんのかな、って苦々しい気持ちになった。
だけど、次に言われた言葉で俺は首を傾げる事になる。
「…凛、怒ってるのか?」
「…は?」
何に対しての事を言われてるんだろ、って思った。
怒ってるのかと言われたら、出足から怒ってるかもしれない。でもその怒りは恐怖と保身に塗りつぶされて、外に出す事はなかった。それに、久我先輩はその辺の事を気にするタイプじゃない。
体育倉庫で俺をめちゃくちゃにレイプした事は、飄々としたこの人の中では、大した事には数えられていないと思う。
結果、お気に召した俺を大事に扱ってはくれたけど、基本的には俺の都合や感情よりも自分優先の人だった。
そんな人が、『怒ってるのか?』なんて気遣わしげに言ってくるなんて…。
考えてもわからなくて答えずにいると、久我先輩は深い溜息を吐いたあと、寒気がするような事を言い出した。
「ちゃんと説明して行かなかったのは悪かったと思ってる。でもあの時は、お前は何も知らない方が良いと思ってな。」
「……はあ。」
いや、別に。そんなのもうどうでも良いけど、と思っていたら。
「俺が任せたからなっつったのを自分に都合よく解釈してお前に手をつけたふたりは処理済みだ。
嫌な思いをさせたな。」
「…へっ?」
何の事だろって、キョトンとした俺に、久我先輩はわかり易く噛み砕いて説明してくれたんだ。
「俺はな、俺がいなくなった後の学校の中で、凛の身辺を守るように下の連中に言いつけて日本を出たんだ。」
「……はあ。」
「ただ、守れとだ。俺が戻るまで、守れって意味でな。」
「久我先輩が、帰るまで…。」
え、それはどういう…
「でも、俺が国外で身動きが取れず連絡もつき難くなったのを良い事に…ヒサ達はお前を好きにしていたらしいな。
ジンの忠告も聞かなかったらしいじゃないか。」
ジンって、豊田先輩の事だ。豊田 仁。ヒサは予想つくと思うけど、久松先輩。
…え、ちょっと待って?
先輩達の呼び方は置いといて、今聞き捨てならない事を聞かされた気がする。
「…俺、おさがりに…されたんじゃ…?」
「誰がするか、そんな事。
ヒサと有沢は溶かしてもうこの世に跡形もないから、安心しろ。」
そう言ってニヤッと笑った久我先輩に、俺の背筋にはゾクゾクゾクッと悪寒が走った。
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