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「もういいだろう。やめさせろ」
上総は言った。八丈に聞こえよがしに。苦い声だ。顔も苦い。
「ようし。いったんやめろ」
日向は頷き、声を張り上げた。
チンピラふたりが動きを止めた。ふたりとも肩を上下させて呼吸を荒くしている。チンピラの足下に這いつくばりながら、八丈巡査は悔し涙に頬を濡らしていた。もちろんチンピラふたりには手加減するようにあらかじめ言ってある。八丈に与えるのは痛みではなく、屈辱と恐怖だけでいい。本気でぶん殴ってノックアウトしたら元も子もない
「もういっぺん訊いてみろ」
上総は日向の背中に言った。日向は上総に背中を向けたまま、申し訳程度、ほんの微かに頷いた。
日向は靴音を鳴らしながら八丈巡査の元に歩み寄って行った。八丈巡査のすぐそばで立ち止まり、身を屈めた。
「おい八丈。てめえ、貯金なんぼほどあるんだ。今のうち正直に白状しておいたほうが、後が楽ちんだぞ」
「僕は警察官だぞ。警察官にこんなことをしたらどうなるか、君たちはそんなこともわからないのか。暴力団というのは、どこまでも馬鹿だよな」
涙声を震わせながら、八丈巡査は苦し気に咳き込んだ。
「格好つけてんじゃねえこの野郎。俺さまが訊いたことにだけ答えろ。てめえの貯金は、いくらあるんだ」
「僕は警察官だ」
「てめえ、越坂部列樹の連帯保証人のくせしやがって、てめえがいま置かれてる状況がまだわかってねえようだな」
日向はチンピラを見上げた。日向は言葉に出さず、目線でうながした――道具をよこせ。
「兄貴、どうぞ」
チンピラが畏まりながら、鋼鉄製のペンチを、持ち手を前にして差し出した。日向はそれを引ったくるようにしてつかみ取った。
「なあ八丈くんよ。こっちも暇じゃねえんだよ。てめえごときクソ警察官にあんまり時間もかけてらんねえんだわ。というわけで、そろそろ闇金の怖さを本気で体感してもらわなきゃな。手っ取り早く爪剥がしと行くか」
八丈は目に見えて動揺している。
「両手と両足の爪は全部で二十枚。一枚ずつ剥ぎ取ってゆくぞ。果たして何枚目でギブアップするんだろうな」
日向はペンチをガチャガチャ鳴らしながら、ぐふぐふと笑って見せた。その背後、上総惣一郎は直立して貧乏ゆすりをしながら、ため息をひとつついた。
上総は床に唾を吐き出し、声を上げた。
「もういい。その辺にしておけ――あとは俺が訊く」
上総は前に進み出て、代わりに日向を脇に下がらせた。日向とポジションを入れ代わりながら、上総は日向にだけわかるように片目を閉じて見せた。日向は坊主頭をランタンに光らせながら、ほんの一瞬だけ恵比寿顔を覗かせた。見た目のまんま悪どいヤクザ役の日向に代わり、一見すると良いヤクザだが実はイカれポンチ役の上総の登場である。今のところ、すべては台本の通りに事が運んでいた。
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