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僕、泥棒になります
「先生、僕、泥棒になります」
多田は好きな色はブルーですというくらいのトーンで、とんでもないことをいいだした。
「はあ? お前、何をいってるんだ?」
わたしは怒るよりも呆れてしまった。こんな冗談をいう生徒ではないと思っていたが。
「驚かせてしまってすみません。でも、真面目な話なんです。正確にいうと泥棒ではありませんが、それに近い仕事なもので」
「ふざけている訳じゃないんだな? なんだかわけが分からんが、とりあえずどんな仕事か説明してみろ」
わたしは怒鳴りつけたくなる気持ちを押さえて、先を促した。
話も聞かずに怒鳴ったら、モラハラだパワハラだと責められる。面倒な世の中になってしまった。
多田本人は「泥棒」などといっているが、仕事の中身をよく聞いてみないことには教師としての判断ができない。大袈裟ないい方をすれば生徒の一生を決めるかもしれない選択なのだから。
それから始まった多田の説明は、わたしの教員生活で遭遇したもっとも不思議なものだった。
「泥棒に近い仕事というが、そもそもの話、犯罪はダメだろうが」
わたしの最初の反応はそれだった。教師でなくとも、誰でもそういうであろう。
教え子から犯罪者とか反社が出たということになれば、わたしの経歴にもマイナスとなる。そんな評価点をつける制度は存在しないが、記録が残されなくとも人の記憶に残るのだ。
生徒は3年で学校を去るが、教師はこの先何年も生徒の影を引きずらなければならない。考えてみれば不公平な立場だ。
「犯罪というのは、法によって禁止された行為を行ったことが公に発覚した場合始めて認識されます」
あらかじめ答えを用意していたのか、多田は滑らかにいった。
「いや、バレなくても犯罪は犯罪だ。見つからなければ良いということにはならんだろう」
「僕が対象とするのは、闇カルテル、反社、犯罪グループなど社会的に悪とみなされる集団の裏金です」
「何をいっているんだ? お前、正気か?」
生徒が教師にする話とは思えなかった。こいつは頭がどうかしてしまったのだろうか。
宿題の回答を述べるように、淡々としているところが不気味だった。こいつは自分が犯罪者になるといっていることに気がつかないのか?
「そもそも、持ち主がいない資金なんです。被害者でさえ特定できない」
「だからってお前……」
「そのままにしておけば、次の犯罪資金となるだけですよ」
「まあ、裏金だったらそういうこともあるかもしれんが、それは警察だとか国税庁の仕事じゃないのか?」
ここまで聞いてもわたしは多田を頭から叱ることができない。それをやると、多田は自分の殻に閉じこもってしまうかもしれない。
そうなると、生徒の悩みに耳を貸さなかったとわたしが責められることになる。
まったく、理不尽な世の中だ。
わたしは苦労して声を平静に保ち、多田を諭そうとしていた。
すると、多田は体の前で両手の指を組んで目を落とした。
「それでは間に合わないから、僕の両親は首を吊りました」
わたしは息が詰まった。
そうだった。多田の両親は小さな工場を経営していたが、手形詐欺に遭って多重債務に陥り、最後は2人で自殺したのだった。
小学生だった多田誠を残して。
詐欺は偶発的なものではなかった。常習的詐欺グループが計画的に行ったものであり、その背後には暴力団の存在が噂されていた。
多田の両親を追いつめた闇金融はある暴力団が仕切っていたのだ。
結局、警察は末端の構成員2名を逮捕しただけで、事件全体を明るみに出すことができなかった。逮捕者でさえ、罰金刑で終わっている。
「多田、お前……」
多田は、伏せていた顔を上げた。
「先生、僕は復讐を考えているんじゃありませんよ。社会的に不足している自衛機能を果たそうとしているだけです」
「自衛機能って。訴えられたらどうするつもりだ?」
動揺して、思わず多田のいう「泥棒のようなこと」を前提とする質問をしてしまった。
「訴えませんよ。そもそも『存在しない資金』を狙いますから」
いいですかと、多田は頭の悪い子にドリルを教えるような口調で説明を続けた。
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