泡沫候補…じゃねぇよ!

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まえがき  本書は、通常「泡沫候補」と蔑称される、しょむ系候補(諸派・無党派系候補)の紹介本である。  政治・選挙に関する本ではあるが、気軽に緩~い気持ちで読んで頂きつつ、各候補者の「泡沫候補じゃねえよ!」という心の叫びを感じ取って頂ければ幸いである。  尚、将来選挙出馬を目指している読者の為に、政治を学ぶのに役立つ情報も掲載したい。 目次 ◎複雑に絡み合うしょむ系政党の系譜 ◎名士たち ◎勝利者たち ◎求道者たち ◎ニート(?)な議員たち ◎目指せ政治家!?な資格・検定・派遣制度など ◎目指せ政治家!?な学校・講座 ◎オタク議員誕生!? ◎取り敢えず、連絡先は載せような。 ◎複雑に絡み合うしょむ系政党の系譜 ○新自由クラブ  新自由クラブは1976年、「保守政治の刷新」を訴え結党された保守政党である。1979年大平内閣で自民党との連立が持ち上がり、1983年の中曽根内閣で自民党との連立が実現。1986年に解党を宣言した。主な所属議員・党員としては河野洋平、山口敏夫、西岡武夫、柿沢弘治、中川秀直、鳩山邦夫、甘利明、上田清司、西川太一郎、山田宏、下村博文、松原仁、田中秀征、水野晴郎、榊原英資、宇都宮徳馬、大石武一、田川誠一、円山雅也、野末陳平、海江田万里、柴野たいぞう(柴野多伊三、武野義三、柴野実)らがいた。  保守派少数政党として立ち回った新自由クラブの周辺では、多くのミニ政党が生まれている。 ◆税金党  野末陳平(野末和彦、放送作家)、海江田万里(経済評論家、「フロント(社会主義同盟)」活動家を経て野末の秘書)らを中心に、1983年結党。不公平税制の是正や納税者番号制度導入などを訴えた。秋山肇(元都議、税理士)、横溝克己(早大理工学部教授)らを輩出するも、1990年に代表の野末が離党、自民党へ移籍し批判を浴びた。  横溝は1990年死去し、星野朋市が繰り上げ当選。星野は野末と共に自民党に移籍した。秋山は1992年に落選し、ここで事実上税金党の活動は止まった。海江田は1993年に日本新党に移籍し衆院選に出馬、当選。その後、新党「市民リーグ」代表を経て民主党に入党している。  野末は新生党、新進党、自由連合、自由党、保守党、保守新党と政党を渡り歩き、1999年には東京都知事選へも出馬の意欲を示した。星野もほぼ野末と行動を同じくした。 ◆進歩党  新自由クラブ解党後、大半の議員・党員は自民党に復党した。しかし田川誠一は「自民党には死んでも戻らない」と、1987年進歩党を結党。同年の神奈川県議選で、推薦候補の松沢成文(元神奈川県知事、松下政経塾出身)が当選した。「クリーンな政治の実現」を訴え、代表の田川はJR無料パスを返上し、交通費を自己負担していた。但しこれについては、田川が首都圏内の神奈川県を地盤としていることや、田川家が大地主だったからこそ可能だったパフォーマンスだという指摘もある。国会議員は田川のみで、社会民主連合と統一会派「進歩民主連合」(進民連、代表は江田五月)を組んでいた。  1989年参院選で、比例区の名簿順位が党への献金額で決められていたことが発覚。若手党員が党内グループ「進歩党をまじめに考える会」(機関紙:「進歩維新」)を結成し、会と田川らとで互いを告訴し合うなど、党内不和が生じた。1992年には依田米秋(進歩党都連代表)らが離党し、進歩自由連合を結党した。  1993年に田川は引退、92年に結党された日本新党の永井英慈を後継指名し解党した。松沢は小沢一郎らの率いる新生党に移籍している。 ◆新自由クラブ(清水・チアリ派)  1986年の解党後、党員の清水三雄らは自民党へも進歩党へも行かず、引き続き「新自由クラブ」を名乗り活動。本部は清水の住む京都市に置いた。1989年にはクロード・チアリ(智有蔵上人、ミュージシャン)らを立てて参院選に出馬するも、当選者を出せなかった。  その後「平成竜馬の会」と改名。2000年代前半頃まで活動を続けた。 ◆進歩自由連合  1992年、依田米秋、斎藤寿々夢、佐々木信夫(ただお)ら、進歩党離党者を中心に結成。「憲法改定による自衛隊の海外派兵」など、進歩党より右派・タカ派的政策を訴えたが、支持は集まらず全員落選、直後に活動を停止した。その後依田は交通事故で急死、斎藤は文化党を結党、佐々木は上田哲の「護憲新党あかつき」や徳田虎雄らの自由連合を経て、「新党地球の福祉」を結党している。 ◆文化党  進歩自由連合の活動停止後、斎藤寿々夢(斎藤進、演歌歌手)により結党。1995年参院選に出馬し、文化庁と環境庁を統合・昇格させた環境文化省の設置、文化の振興、文化遺産の保存、歴史的文化景観の保護、職人文化の振興と職員の育成、環境保護と文化の調和などを訴えたが落選した。その後斎藤は歌手と平行し不動産コンサルタントとしても活動。参院選や栃木県議選などに出馬し、選挙広報では自身作詞による演歌を掲載した。  95年参院選に出馬し、大平シローらの所属した「文化フォーラム」は、志良以榮らの右派政党「国民党」「新しい政治の風」の友党であり、文化党とは無関係。 ◆新党地球の福祉  元「進歩自由連合」党員で税理士の佐々木信夫(ただお)により結党。主に山口県で活動している。  佐々木は共産党、社会党、社民連、憲法みどり農の連帯、護憲新党あかつき、自由連合などにも所属歴があり、「護憲、軍縮、政治倫理確立」を訴えるなど、政策は比較的ハト派といわれている。  他には、大石武一が環境政党「みどりといのちのネットワーク」(元「革命的共産主義者同盟」幹部の太田竜(太田龍、栗原登一)らにより結成された「日本みどりの党」「日本みどりの連合」などが合併して出来た政党)の推薦人になったりしている。 ○社会民主連合  1978年、日本社会党の左派的政策や自民党への批判路線に反発し離党した2つのグループ「社会市民連合」(江田三郎ら)と「社会クラブ」(田英夫ら)を中心に結党された中道政党。社市連結成直後に江田三郎が急死すると、息子の江田五月(元裁判官)が跡を継ぎ、中心的役割を果たすようになる。更に党の政策スタッフとして、路線対立で共産党を除名された安東仁兵衛らを迎える。  リベラルな政策と強固な反共主義(いわゆる社公民路線)を掲げ、非自民反共産政権の樹立に力を注いだ。新自由クラブ(新自由クラブ民主連合)や進歩党(進歩民主連合)との統一会派や、サラリーマン新党の青木茂を自党の上位候補者として擁立するなど、他党との統一会派や選挙協力に積極的だった。同時に、自党の会派をあえて作らず民社党や二院クラブなど他党の会派に分散して所属させるなど、自民・共産の政治的影響力を削ぐと同時に保守・中道勢力の合従連衡のために目まぐるしく動いた。また、党員を「会員」と呼ぶなど、緩い連合体を志向する独特の党組織を形成していた。  1992年、江田は社会党右派の若手議員と政策集団「シリウス」を結成、政権交代を呼びかけた。1994年、日本新党との統一会派結成を経て解散。党所属議員は細川護煕非自民非共産連立政権を形成する各党に散っていった。 ◆新自由クラブ民主連合  1981年、社会・共産両党を除く中道野党による統一会派構想が持ち上がり、先行で新自クと社民連の統一会派「新自由民主連合」の結成が合意された。直前で新自由クラブの以降により、会派名は「新自由クラブ民主連合」となった。  1983年参院選で、現職の田英夫や大石武一、新人に水野晴郎(映画評論家)や長谷川保(聖隷福祉事業団会長、元社会党衆院議員)らを擁立するも、当選者は田ただ1人にとどまった。その後2党とも「自党の独自性を出すべき」との意見が相次ぎ、社民連党員の秦豊は統一会派構想そのものに抗議し社民連を離党、民社党に移籍。統一会派は解消された。 ◆ピース・スタジオ  1986年衆参同日選の直前、宇都宮徳馬(参院議員、「宇都宮軍縮研究室」創設者、ミノファーゲン製薬創業者)、山本コウタロー(山本厚太郎、フォーク歌手、TV司会者、後に白鷗大学教授・環境学者)、國弘正雄(通訳)、片岡勝(社民連副書記長・東京都連書記長、現「市民バンク」代表・「NPO法人政策学校一新塾」代表理事)らにより、平和運動を主体とする政党の構想があった。しかし三木武夫からの批判や小杉隆の説得を受け、構想は頓挫。宇都宮は新自クからの出馬となる。  後に、山本は1989年環境政党「ちきゅうクラブ」を結成。北沢杏子(作家、性教育活動家)や円より子(ジャーナリスト、現民主党副代表)、田嶋陽子(英文学者)らとともに選挙を戦うが落選。「ちきゅうクラブ」は大田竜や大石武一らの「みどりといのちのネットワーク」、小田々豊(農業)らの「原発いらない人びと」と共に、藤本敏夫(農業、加藤登紀子の夫、元「共産主義者同盟」幹部)らによる環境政党「希望」の母体の1つとなった。  國弘は1992年、社会党から参院議員に当選。後に田英夫らと新党護憲リベラルを結成。小沢一郎らを中心に新進党が結党されると、「反新進党・反小沢」を掲げ、自民・社会・新党さきがけ・自由連合による連立内閣支持を表明。その後、田らと「平和:市民」から再選を目指すも落選した。なお、余談だが、國弘の弟の國弘正彦は、川田龍平(みんなの党参院議員)の政策秘書を務めている。 ◎名士たち  タレント議員・候補は現在も決して珍しくないが、その中でも際立って強烈な個性を放っている人物をピックアップ。 ○山本有三  本名山本勇造。「路傍の石」などで知られる作家。新思潮派の1人として活躍する。第2次大戦敗戦直後、貴族院議員に就任。その後1947年参院選に当選し、保守系無所属議員の会派「緑風会」に所属する。 緑風会の名称は山本の提案で、憲法公布や緑風会結成の時期が初夏だったことや、緑色が虹の中では中央に位置し左右に傾かない色であること、そして名称のイメージが爽やかだからだとしている。 ○中野重治  プロレタリア文学の中心人物の1人。小説や詩の分野で活躍。1934年に一旦転向を表明するが、戦後日本共産党に再入党。1947年から50年まで参院議員を務める。  1964年に親ソ連系党派「日本共産党(日本のこえ)」(通称「こえ派」)を結党。「日本のこえ」は中野の命名によると言われている。67年に「こえ派」を離党。しかし、主流派には戻らず、同じく「こえ派」を脱党した神山茂夫(元代議士)と共に、共産党批判を展開し続けた。  文学運動においても、「新日本文学会」結成に参加し、「こえ派」結成以降は共産党主流派に党籍のある文学会会員の除名・追放・放逐に尽力した。排除された会員は「日本民主主義文学同盟」(後に「日本民主主義文学会」に改名。機関誌「民主文学」)を結成。後に新日本文学会は解散したが、民主主義文学会は現在も「文学フリマ」などの同人誌即売会にサークル参加するなど、活動を続けている。 「こえ派」は人権団体「部落解放同盟」の主流派にも影響を与え、解放同盟の多数派が「こえ派」と呼ばれることもあった。反主流派は放逐され、「部落解放同盟正常化全国連絡会議」(後の「全国部落解放運動連合会」及び「全国地域人権運動総連合」)を結成するに至った。更に「こえ派」は、学生運動団体「民主主義学同盟」(民学同、現「民主主義的社会主義運動(MDS)」などの母体)とも共闘した。「こえ派」は「平和と社会主義」への改名を経て現在は事実上活動を停止しているが、民学同系諸団体は現在も活動中である。 ○今東光  小説家、天台宗僧侶。作家としては「新感覚派」に属し、一時期はプロレタリア文学にも関心を示したが、後に転向。1930年出家。中尊寺金色堂改修などに携わった。1968年、自民党から参院全国区に出馬し当選、1期務めた。選挙事務長は川端康成(小説家)が務めた。  「エロクソ坊主」等とも称され、若い頃は喧嘩に明け暮れ、TVや雑誌の人生相談では相談者を毒舌で滅茶苦茶に罵倒するなど、破天荒な言動が人気だった。 ○横井庄一  愛知県出身の元日本兵。階級は伍長。洋服の仕立屋を経て太平洋戦勝に召集、グアム島に配属されていたが、1945年8月15日の太平洋戦争終結を知らず、敗戦後もグアム島内に地下壕を掘り、サヴァイヴァル生活を送っていた。敗戦から約28年後の1972年1月、現地の住民に発見され、2月に日本へ帰国した。帰国の際に発した「恥ずかしながら帰って参りました」や、起き上がる時や荷物を持ち上げる時のの掛け声「よっこい庄一」(「よっこいしょ」と横井の名前を掛けた駄洒落)等の言葉は、当時の流行語となった。  帰国後は名古屋市に在住し、サヴァイヴァル研究家、耐久生活評論家として全国で講演活動を展開。1974年参院選に全国区から出馬し、落選した。選挙後はメディアに出る事も少なくなったが、細々と生活を続けていたという。帰国後生活していた自宅は、現在記念館として毎週日曜日に公開されている。 ○鬼頭史郎  元裁判官。大学在学中より草葉隆圓(自民党参院議員、僧侶)の私設秘書となる。厚生省職員、名古屋市職員、大学院進学等を経て、1964年司法試験合格、67年に裁判官となる。  学生時代より自民党に接近し、司法修習中も革新的な法曹団体「青年法律家協会」攻撃に明け暮れるなど、一貫して右派的立場を堅持。京都地裁在任中、宮本顕治(日本共産党書記長、当時)の身分帳をコピーし、自民党に手渡していた事が発覚。職権濫用罪で有罪判決を受ける。1976年には、三木武夫(首相、当時)に対し、当時の検事総長を騙ってロッキード事件への指揮権発動を促す電話をかけるという謀略事件を起こす。鬼頭は参議院で証人喚問されるも証言を拒否。その後弾劾裁判により罷免判決が下され、法曹資格を剥奪される。謀略事件に関しても、軽犯罪法違反として拘留刑を受ける。  法曹資格喪失後の1977年、参院選全国区に出馬するも落選。街頭演説中に聴衆から暴行されたという。79年には映画「白昼の死角」に出演。85年に法曹資格を回復し、複数の弁護士会や弁理士会に登録申請を出しているものの、現在に至るまで申請は認められていない。  弁護士となる資格を持つ者(司法修習修了者)は弁理士、税理士、海事補佐人、社会保険労務士、行政書士への登録が可能であり、職務経験如何では公証人になる資格もあるが、鬼頭は現在に至るまでどの資格への登録も認められておらず、それを不当だとして民事訴訟を起こすも敗訴している。キャリア官僚出身の法曹経験者で、大学院博士後期課程出身という輝かしい経歴にもかかわらず、現在は生活保護を受給し生活しているという。 ○新間正次  高校卒業後、NHK名古屋放送劇団に入団。1960年代からラジオ番組のレポーターとして活躍。その後はラジオで冠番組を持つなど、愛知の人気ローカルタレントとなる。  1992年参院選愛知県選挙区に、民社党愛知県連副委員長の肩書きで公認候補として出馬し、当選。しかし、「明治大学出身」「中学生の時公費でスイス留学」など、当選直後から数々の嘘が発覚。公職選挙法違反で在宅起訴され、1994年に当選が無効となった。起訴された時、民社党を離党した。  議員失職後はタレントに復帰。現在も名古屋市内でラジオパーソナリティとして細々活動中。  尚、スポーツ平和党元幹事長・新日本プロレス元専務の新間寿は従兄弟。声優の高山みなみも遠縁に当たる。 ○小野ヤスシ  コミックバンド「ザ・ドリフターズ」初代メンバー。当時リーダー代行だったいかりや長介と対立し脱退、ジャイアント吉田や祝勝らとドンキーカルテットを結成。  1992年、相澤英之(代議士、元官僚)の妻である司葉子(女優)の出馬要請により、自民党推薦の無所属候補として出馬したが落選。その後もタレント・司会等として活動していたが、2012年死去。日本聖公会(イギリス国教会系)の信徒であり、洗礼名はバルトロマイであった。 ○西川和孝  元子役俳優。「子連れ狼」の大五郎役として人気を博す。物怖じしない性格で、共演の萬屋錦之助にも初対面時に「オー、君がチャンか」と呼びかけるなど、大物振りを発揮したという。高校卒業後は芸能界を引退し、渡米。帰国後は水泳指導員を経てスポーツクラブ経営者となる。  1995年、新潟県白根市議選に出馬し、当選。「大五郎議員」として話題となる。しかし、スポーツクラブの経営が上手くいかず、議員在職中も飲食店でアルバイトに明け暮れるなど、奇行が目立った。更に、既婚者であるにもかかわらず複数の女性と交際していた事も発覚。他の議員から「議会の品位にかかわる」と引退を迫られ、2期目となる99年市議選には出馬せず引退した。  その後スポーツクラブは閉店。雀荘の経営に乗り出すも、金銭トラブルから金融業者を殺害し、タイに逃亡。しかし強制送還され、日本で逮捕・起訴される。無期懲役判決を受け、現在服役中。 ○末広真季子  1960年代から、大阪を中心にラジオ、テレビで活躍。1994年、新間正次失職に伴う参院愛知補選に出馬するも落選。95年、「無党派」「生活者密着」「愛知万博反対・環境保護」等を訴え当選。  しかし、1997年に独断で自民党に入党、愛知万博反対の公約も撤回した。記者会見では「自分の得票は全て自分の物だから、自分がどう扱っても自由」「自分の行なう万博は環境保護の万博だから推進すべき」等と発言した。これらの発言は支援者から反発を買い、辞職勧告運動が展開されたり、元後援会長から民事訴訟を起こされたりもした。  2001年参院選には比例区から出馬。田中真紀子人気にあやかり「浪速のまきこ」と連呼したが下位で落選した。現在は大阪で天むす屋を経営。 ○大平シロー  元漫才師。1980年代には大平サブローと共に漫才ブームに乗り、軽妙な語り口や、本人に非常によく似せた物真似(声帯模写)芸等で一世を風靡する。コンビ解消後、ラーメン店経営等を経て、1995年参院選に文化フォーラムから比例区より出馬。文化フォーラムは志良以榮らの国民党及び「新しい政治の風」の友党だった。  落選後はピン芸人、放送作家等として芸能活動を再開。2012年死去。晩年はサブローとのコンビ再結成を望んでいたが、サブローの意向により叶わなかった。 ○島田洋七  漫才師。広島で生まれ、中学生から8年間、佐賀で育つ。島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成、漫才ブームの牽引役となり、人気を博す。広島出身であることを由来とする「もみじまんじゅー!」のギャグは流行語となった。漫才ブーム終了後B&Bは解散。その後は国分健二(漫談家)と「スティング」名義で漫才をしたり、都内で広島風お好み焼き店を経営したりしていた。  1995年参院選埼玉選挙区より出馬。街宣車で高速道路を走ったり、選挙区外の他県で演説したりするなどのパフォーマンスを行なうが落選。  その後はB&Bを再結成。また、1987年に自費出版した「佐賀のがばいばあちゃん」が2002年に注目を集め、大ヒットとなる。現在は「佐賀県知事選に出れば間違い無く当選するのでは?」とも噂されているという。 ○宮本悦朗  ミュージシャン。前川清や宮内タカユキらも所属した「内山田洋とクールファイブ」及び「サニーアンクル」に所属し、ピアノとキーボード、コーラスを担当。髪の毛の薄い頭にメガネという独特の風貌が特徴で、メンバー中でもひときわ目立っている。  1996年衆院選に新進党より出馬し落選。落選後は芸能活動に復帰している。 ○ガッツ石松  元プロボクサー。俳優としても活動し、ヴァラエティ番組でもトボケた発言で活躍している。「ガッツポーズ」は彼が試合時に取ったポーズが由来と言われている。  1996年衆院選に、森喜朗の誘いを受け出馬。しかし落選し、多額の借金を背負うことになった。  2000年衆院選でも出馬が取りざたされたが、「絶対出馬しない」と主張し、以降選挙には出馬していない。  近年は「しんぶん赤旗」のインタヴューに出演し、共産党を「筋が通っている。野党の中でイニシアティヴを発揮し、小選挙区でも議席を取って欲しい」と評価する発言も見られる。 ○野村沙知代  野村克也(元野球選手)夫人。若い時は「パンパン」(米軍兵士相手の売春婦)として生計を立てていたという。夫の克也とは、共に既婚者同士のダブル不倫状態から交際が始まった。克也が東京ヤクルトスワローズ監督を務めていた辺りからTVへの露出が高まり、タレント活動が活発となる。  1996年、衆院選に新進党公認で出馬するも落選。1999年、「コロンビア大学留学」などの学歴を詐称したとして刑事告発される。その際、舞台共演を通じて確執が生じていた浅香光代(女優)らから批判を浴び、「ミッチー・サッチー騒動」と呼ばれる騒ぎとなった。  騒動の最中、99年衆院選補選に東祥三(公明党・新進党代議士を経て、現民主党代議士)が出馬すると沙知代が繰り上げ当選する可能性が高くなるという事で話題となった。2001年には脱税で逮捕、有罪判決を受けた。 ○沢たまき  女優、歌手。ドラマ「プレイガール」等でのセクシーな演技で人気となる。1996年、小沢一郎の要請で衆院選に出馬。八代英太(自民党代議士、当時)らと激しく争うも落選。その後98年参院選に比例区から出馬し当選。  在任中、週刊誌で「ホストを金品で誘いスカトロプレイを伴う性行為をした」と書かれたが、後に虚偽報道である事が発覚した。2003年、入浴中に心不全で急逝。 ○鬼沢慶一  芸能レポーター。2000年、「オヤジ狩り」といわれる年配男性対象の集団暴行事件に遭い、全治3ヶ月の重症を負う。2001年、保守党公認で参院選比例区に出馬するも落選。政見放送では小指に包帯を巻き、禁煙補助グッズ「禁煙パイポ」のCMの物真似をした。  選挙出馬を決意したきっかけには、同業者の須藤甚一郎が1999年に目黒区議選に当選したこともあるとも言われている。 ○荒木しげる  ドラム奏者、俳優。フォークソンググループ「フォー・セインツ」メンバーとしてデヴュー後、俳優として特撮「仮面ライダーストロンガー」「超人ビビューン」「特警ウインスペクター」「ブルースワット」「ウルトラマンティガ」、ドラマ「特捜最前線」(元社民党副代表・横光克彦も俳優として出演)「ドーベルマン刑事」「うしろの百太郎」「暴れん坊将軍」等に出演。  2007年・2011年目黒区議選に出馬しているが、どちらも落選している。近年は芸能活動と共にスナックでマスターも務めていたが、2012年死去。 ○元祖ムキムキマン  ボディビルダー出身の肉体派タレント。筋肉を活かし、「エンゼル体操」で人気を博した。その姿は漫画雑誌「冒険王」(秋田書店)でギャグ漫画化された。ブーム後も「超人機メタルダー」などTV出演を続けつつ、スナックやホストクラブ、雀荘等を経営。  現在は故郷の青森県で「ムキムキマン津軽農場」を経営。2007年青森県議選、2008年北津軽郡鶴田町議選に出馬するも、いずれも落選。 ○宅八郎  オタク評論家。近年はホストやDJ、とび職等としても活動している。90年代初頭から評論家・ライターとして活動開始。眼鏡に長髪、そして玩具のマジックハンドや森高千里(歌手)のフィギュアを持った姿は、見る者に強烈な印象を与えた。  2007年、渋谷区長選に「オンブズマン渋谷行革110番」公認で出馬。「渋谷を『萌える』街にする」と主張したが、落選した。  他にも、2001年参院選では自由連合が大量のタレント候補を擁立したり、近年では雅(金本真広、ロック歌手、飲食店経営)が新宿区議選、後藤麻衣(後藤展江、AV女優)が東京都議選や杉並区議選に出馬しているが、当選には至っていない。知名度のあるタレントと言えど、全員が当選するとは限らないのである。 ◎勝利者たち  「泡沫候補」と呼ばれ辛酸を舐めさせられながらも、長年の活動が認められ当選を勝ち取る例や、大政党に移籍し当選する例もある。 ○友部達夫  元社会保険労務士。資格を活かし、「日本中高年連盟」を結成し年金関係の相談サーヴィスを行なっていた。  1983年より年金党を結成し各種選挙に出馬するが、全て落選する。1995年、初村謙一郎(当時代議士、元日本新党)に巨額の政治資金を渡し、新進党参院比例区候補となり当選。しかし、友部の運営していた金融団体「オレンジ共済組合」の不正な金集めが発覚。選挙資金や政界工作資金もこの不正な金集めによるものとして問題となった。  その後、友部は詐欺容疑で逮捕。2001年、懲役10年の有罪判決が確定し、失職した。 ○嶋田勝次郎  青果販売業。約40年もの間、福井県内で各種選挙に19回出馬し続ける。19回目となった2003年福井市議選に、79歳で初当選。「泡沫候補」扱いされていた候補の異例の当選は話題となり、毎日新聞や朝日放送等のメディアで取り上げられた。  所属会派は彼1人による「福井フェニックスの会」。まさに不死鳥の如くチャレンジし続け当選を勝ち取った彼にはピッタリの会派名だったと言えよう。  在任2年目に死去。著書に、妻の嶋田豊子(看護師)と共著の「神しろ示す 極秘重要文書公開」(東洋書房)がある。 ○中川暢三  加西市出身。兵庫県立北条高校、信州大学経済学部、鹿島建設を経て、松下政経塾に1期生として入塾。しかし、途中で退塾し、鹿島建設に復帰。退塾の理由として、「高度なビジネススクールを期待していたが、管理されるばかりで思うような活動ができなかった。方針が合わなかった」と語っている。  2001年参院選東京選挙区が初出馬。鹿島建設在職のまま出馬し、有給休暇を取得して選挙活動を行なったが落選。その後長野県知事選、大阪市長選に出馬したが、相次いで落選した。長野県知事選出馬のあたりから、「当選度外視で出馬を続ける泡沫候補」として注目され始める。  2005年、地元でもある加西市の市長選に出馬。現職との一騎打ちで、「相手が泡沫なら現職が圧倒的有利。事実上の現職信任投票」という下馬評を見事に打ち破り当選。「泡沫候補が現職を破った」と話題になった。当選後は市役所職員削減や民間委託推進など、松下政経塾ばりの新自由主義的政策を推し進める。2007年、市長である中川の介入により市職員採用試験で受験者の点数を改竄していたことが発覚。市議会より2回不信任され失職するも、反市長派が新人と前市長に分裂し共倒れとなり、中川が再選している。2011年落選。後に、大阪市長となった橋下徹(弁護士)と連携し、大阪市北区長となった。  自身のサイトは無いが、自身を「泡沫候補っぽい」と評したブログに対して「自分は『一見泡沫に見えるが実はまともな候補』と評するのが正しい」と自ら反論コメントを書き込むなど、ネット活動にも熱心な一面が伺われる。 ○北岡隆浩  小泉純一郎(首相、当時)のブームにあやかり、2001年に「小泉の会」を名乗り各種選挙に出馬する。選挙資金捻出の為、「クイズ$ミリオネア」に出演した事等が話題となる。  その後、党名を「族議員をぶっ倒して構造改革を進める党」に変更。ウルトラセブンのマスクを被った選挙ポスターを作製する等のパフォーマンスを行なった。  2007年、高槻市議選に初当選。党を解散し、「高槻ご意見番」を名乗るようになる。2011年再選。  「泡沫候補」と嘲笑され続けても、たゆまぬチャレンジで当選を勝ち取った候補者は確かに存在している。何事も諦めない事が肝腎と思われる。 ◎求道者たち  かつては大政党所属、もしくはそれに準ずる議員として活動しながらも、自らの信念または周囲の状況により、中々当選出来ない状態に追い込まれる元議員も存在する。そんな状況でも活動を続ける候補者を求道者候補と呼びたい。 ○伊東秀子  弁護士。当初は日本共産党の党員だったが、衆院戦出馬前に離党し、日本社会党に移籍する。当選後は小森龍邦(後に新社会党委員長)らと並び、社会党左派の論客として活躍する。  1993年の細川非自民連立政権成立後は、小沢一郎らに反発し自民党に接近。95年、佐藤孝行(当時自民党代議士、ロッキード事件で有罪判決を受けている)の要請により、自民党・自由連合・「平和:市民」支援の候補として北海道知事選に出馬。対立候補を支援した社会党からは除名処分を受けている。  落選後、暫くは弁護士活動に専念していたが、2010年、亀井静香の要請により参院比例区に国民新党公認で出馬、落選している。 ○柴野たいぞう  本名は柴野実。元実業家、元アナリスト。10代より政治活動を始め、新自由クラブの結党に参加。青年部等で活動する。1985年、東京都議選に出馬、落選。落選後離党し、「武野義三」「柴野たいぞう」等の名義で国際問題に関する著書執筆や、TV討論番組出演等を行なう。  1993年衆院選に、新生党公認で当選。討論番組等に多数出演する。一方で、著書の盗作疑惑が持ち上がり、新宿区議会から退任要求を出される等、物議を醸す。96年衆院選では大幅に得票を減らし落選。  2000年、自由連合や石原慎太郎(東京都知事)との連携を期待し、「都市新党」を結党し衆院選に出馬するが落選。選挙ポスターで石原の写真を無断使用したとして問題となった。  その後暫く政治活動を休止してきたが、2010年、自民党から参院比例区候補として出馬、落選。同年、自身の会社の架空増資と未公開株を巡る詐欺容疑で逮捕。その後首吊り自殺を遂げた。 ○中村力  「大江戸温泉物語」「けんじワールド」「銀河高原ビール」などの経営にもかかわる、「東日本ハウス」創業者中村功の長男。名前の読み方は「なかむら・りき」。  東京大学法学部、郵政省職員を経て、1990年衆院選に無所属で初出馬、落選。93年衆院選では当選し、自民党系会派「自由民主党・自由国民会議」に所属。会派内でも特にタカ派の議員として知られた。90年代前半は父の功が政治家養成組織「漁火会」と、右派政党「青年自由党」を結成し活動していた時期であり、力は事実上それらの推薦候補だった。  96年および2000年の衆院選では自民党の公認・推薦が得られず無所属で出馬し落選。98年参院選は自民党・青年自由党推薦の無所属で出馬するも落選している。2003年ようやく自民党の公認を得るが、またもや落選。2005年以降は選挙に出馬しておらず、事実上の引退状態にあった。2011年、みんなの党に移籍し、岩手県知事選への出馬を表明。しかし直後に撤回し、岩手県議選に出馬、落選した。  逆に、サラリーマン新党や進歩党所属時に落選し続け、自民党に移籍し町田市議選に当選した吉田勉や、上田哲(元代議士、護憲新党あかつき代表、元社会党教宣局長)の信奉者ながら、上田とは正反対の新自由主義的政策を推し進めている池田治夫(東久留米市議)等、思想信条を問わない非常に世渡り上手な議員もいる。世知辛い話だが、当選の為には形振り構ってはいられないのかもしれない。 ◎ニートな(?)議員たち  現在議会で活躍している議員の中にも、浪人や留年、ニートなどを経験した人たちもいる。 ○尾辻秀久  鹿児島県加世田市(現南さつま市)の海軍将校の家に生まれる。防衛大学校に入学するも、3年次に母の死により家計を支えるため退学し、フリーターとなる。23歳で東大教養学部に入学するが、26歳からヒッピーとして約5年間海外77ヶ国を放浪、30歳で帰国し中退。  退学後は青年活動に従事しつつ、旅行家・ライター、鹿児島県議、衆院選落選を経て、1989年参院選で比例区から初当選。総務政務次官、沖縄開発政務次官、財務副大臣、厚生労働大臣、参院予算委員長、自民党参院議員会長等を歴任。  厚生族・国防族議員として、障害者自立支援法成立や後期高齢者医療制度導入、消費税増税などに尽力する。日本会議代表委員、日本遺族会副会長などを務めている。 ○仁比聡平  福岡県北九州市の、新日鉄職員で労働運動家と「新日本婦人の会」活動家の夫婦の家に生まれる。京大法学部に現役合格するも、卒業には10年かかっている。  在学中は学生自治会委員長として活動。卒業前年に司法試験に合格。卒業後は司法修習を経て、郷里で弁護士として活動。自由法曹団に所属し、「よみがえれ!有明海訴訟」(諫早湾干拓事業工事差し止め訴訟)や労働問題関係訴訟、ヤミ金融関係の訴訟などの弁護を担当。「市民オンブズマン北九州」事務局長、衆院選・参院選落選等を経て、2004年参院選で比例区から当選。共産党国会対策副委員長等を務めている。2010年参院選で落選後は、党役員、弁護士として活動。2013年、参院議員に返り咲いている。 ○保坂展人  宮城県仙台市生まれ。千代田区立麹町中学校在学中、「共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派」(共産同ML派)などの学生運動の影響を受け、「麹町中共闘」を結成、同人誌「砦」を発行。しかし学生運動を校則違反とする学校側と対立。内申書では最低の評価を下された上に、学生運動歴を記述された。そのため高校受験の面接では思想調査が行なわれ、受験した5校全て不合格となる。  内申書の記述を不当とし、千代田区教育委員会を提訴。学生運動への否定的・批判的記述は憲法第19条の思想・良心の自由を侵害していると主張して争われ、一審では慰謝料の支払いが認められたが、二審で敗訴し、上告するも棄却された。  その後、都立新宿高校定時制に入学し、中退。10数種類の仕事を経験した後、教育ジャーナリストとして活動。ミニコミ誌「学校解放新聞」の発行やルポルタージュの執筆を行ない、管理教育打破を訴えた。書名に使われた「元気印」は1980年代半ばの流行語となる。  1987年から、当時社会党委員長だった土井たか子を支援。1996年、土井に請われ衆院選に出馬。比例区東京ブロックで当選したが、小選挙区では落選し、供託金を没収されていたことから、「ゾンビ議員」とも呼ばれた。2000年再選するが、2003年、米澤嘉博(コミックマーケット準備会代表)らの支援を受けるも落選した。2005年再選。このとき、社民党は議席を得られる得票ではなかったが、本来議席を得るはずの自民党の比例区候補者が全員当選し候補者不足に陥ったため、公選法の規定により社民党が議席を獲得し、保坂が当選した。このような経緯から又も「ゾンビ議員」と呼ばれた。2009年再び落選。  この間、社民党東京都連副会長、党常任幹事・広報委員長、党副幹事長、総務省顧問等を歴任。現在は社民党を離党し、2011に世田谷区長選に当選。  児童ポルノ規制反対運動には熱心に取り組んでおり、2005年冬コミには一般参加している。  他にも、杉村太蔵(自民党から「たちあがれ日本」に移籍)や磯谷香代子(民主党)なども学歴・職歴が殆ど無くても議員となっていたり、ニートから須賀川市議となった鈴木公成など、ニートに選挙への出馬を強く勧めている動きなどもある。  町村議選は供託金を払わなくても出馬可能であり、30万円の供託金を必要とする市区議選についても、選挙活動には一定の公費負担があるので、出費を抑える事が出来る。また、選挙公報ではどんな事でも主張でき、その主張は全戸に配布される。  日頃言いたい事、やりたい事等を抱えている人は、是非選挙公報や街頭演説で訴えてみては如何だろうか。更に、就職・転職活動として、又、起業活動の資金集めや自営業・自由業の副業として、更に老後の副収入などを考えて出馬してみるというのも一考である。 ◎目指せ政治家!?な資格・検定・派遣制度など  政治家に学歴は不要だが、法令作成を担う職務だけに、やはりそれなりの学力は必要だと考えられる。学力を客観的に判断する1つの基準として資格・検定試験の受験が考えられるが、以下に政治家を目指すにあたって役立ちそうなものを紹介していく。また、政策立案を経験するのに役立ちそうな派遣制度もピックアップしていく。 ○国会議員政策担当秘書資格試験  通称「政策秘書試験」で、政治関係の資格検定ではほぼ最高の難易度を誇る。受験資格は大卒及び大卒見込みの人(文科省認可外官立大学校や自由学園最高学部卒業生など、大卒と同等以上と認められている人を含む)。  1次試験は択一式の一般教養試験と、政策立案について2問課される論文試験で、2次試験は口述。教養試験で合格点に満たないと、論文は採点されない。合格人数は毎年20人前後。なお、65歳以上の人と現職国会議員の配偶者は受験できない。かつては資格試験予備校「LEC東京リーガルマインド」で試験対策講座が行なわれていた。  司法試験や公認会計士試験、国家公務員Ⅰ種試験などの合格者、博士号保持者などは「選考採用審査認定」により取得可能。また、公設秘書として10年以上勤めるか、企業・団体等で政策立案に関わる仕事を5年以上務め、かつ公設秘書を5年以上務めれば、「政策担当秘書研修」により取得可能。  なお、一般の企業・団体での秘書養成資格・検定としては、秘書技能検定、国際秘書(CBS)検定、米国秘書(CPS)検定、医療秘書技能検定などがある。 ○法学検定  法令立案者としては、やはり法律に関する基礎知識は身に付けておきたいところ。2~4級と法科大学院既習者試験が実施されており、2・3級は総合(一般)・司法・行政・企業の4コースが設けられている。  他に法律に関する検定試験としては、ビジネス実務法務検定試験、ビジネス著作権検定、知的財産管理技能士(旧知的財産検定)などがある。また、社会科学系の検定としては経済学検定、経営学検定などがある。法律・経済系資格としては弁護士(司法試験)、司法書士、行政書士、海事代理士、社会保険労務士、税理士、公認会計士、マンション管理士、通関士、弁理士等が有名。 ○国際連合公用語英語検定試験(国連英検)  外務省の外郭団体「日本国際連合協会」が実施。英語力とともに、時事問題や国連、国際政治に関する知識が問われる。最難関の特A級は、国連ジュニアプログラムオフィサー(別名「アソシエート・エキスパート」。2年の期間雇用国連職員)の選考試験にも使われている。  他の英語検定試験としては、実用英語技能検定、工業英語能力検定、観光英語検定、日商ビジネス英語検定(旧「商業英語検定」)、GTECなどがある。他の言語では、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、中国語、朝鮮語、インドネシア語、タイ語、エスペラント語等がある。外国人への日本語教育能力を問う試験もある。 ○現代用語能力検定  時事用語、流行語などの知識を問う検定試験。「現代用語の基礎知識」を発行する自由国民社が後援。 ○ニュース時事能力検定  こちらも時事用語の知識やニュースの読解力などを問う検定試験。マスコミ関係者が多く関わっており、日本経団連などが後援。 ○現代キーワード検定  同じく時事用語に関する検定試験。かつて「知恵蔵」を発行していた朝日新聞社の系列。 ○作文/小論文検定  時事問題についての思考力、文章表現力を問う検定試験。主催団体は現代用語能力検定と同一。  他に文章力に関する資格・検定としては、日本語文章能力検定(文検)、ビジネス文書検定、日商PC検定(旧「日本語文書処理技能検定」)、文書処理能力検定などがある。 ○社会環境検定(eco検定)  東京商工会議所主催の、環境問題に関する知識を問う検定試験。合格すると「エコピープル」に認定される。  他に環境保護・環境教育に関する資格・検定としては、「樹木環境ネットワーク協会」のグリーンセイバー資格検定、「日本生態系協会」のビオトープ管理士資格、こども環境管理士資格試験などがある。 ○マネーと生活設計力検定  日本ファイナンシャル・プランナーズ協会主催。消費生活や税金に関する知識を問う検定試験。ネットで受験可能。 ○話しことば検定  日本話しことば協会主催の、コミュニケーションやスピーチの能力を測る検定。政治・経済などの知識も問われる。  同じく話しことば協会主催で、プロとしてのスピーチ・アナウンス能力を測るアナウンス検定も行なわれている。 ○日本常識力検定  社会の仕組みや生活、マナーなどの一般常識を問う検定試験。1~3級があるが、複数級の併願はできない。ニンテンドーDSなどでも問題集が出ている。  類似の検定として、社会常識能力検定試験(旧秘書能力検定試験)、マナー検定、実用マナー検定、マナー・プロトコール検定などがある。 ○歴史能力検定  日本史・世界史の知識を問う検定試験。1~5級があり、1~3級は日本史・世界史に分かれている。1・2級合格者は高卒認定試験(旧大検)の日本史B及び世界史Bを免除される。また、日本史1・2級合格者は通訳案内士試験の科目免除がある。 ○御当地検定  博多っ子検定(福岡県)、京都・観光文化検定(京都府)、ナマハゲ伝導士認定試験(秋田県)、境港妖怪検定(鳥取県)などがあり、全国各地で同様の検定が実施されている。地域の歴史・文化の知識を問う。 ○議員力検定  政治制度や地方自治に関する基礎知識を問う。法規集や社会科学専門書等を扱う出版社、株式会社ぎょうせい(旧帝国地方行政学会)が関わる。ジュニア級、一般(2・3級)、議員(2・3級)があり、それぞれ年齢や職業等による受験制限は無い。ウェブ検定(初級・中級)も随時実施。  現役議員にも受験者がおり、満点は小池晃(日本共産党政策委員会責任者、当時参院議員)のみだった。 ○日本文化発信プログラム(JCVP)  東欧4ヶ国(ブルガリア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア)で、日本文化(ポップカルチャー、伝統文化)を指導するために派遣される有償ヴォランティア制度。通称「オタク海外協力隊」。主催はJICA青年海外協力隊のOB・OG組織である「青年海外協力協会」(JOCA)。  他に有償・有給による海外派遣プログラムとしては、青年海外協力隊、日系社会青年ボランティア、国際交流基金「日米草の根交流コーディネーター」、国境なき医師団ボランティア、国連ボランティア計画(UNV)、国連ジュニアプロフェッショナルオフィサー(アソシエート・エキスパート)、外務省在外公館派遣員制度などがある。国内への派遣としては、各地方自治体の募集している「集落支援員」、総務省の「地域おこし協力隊」、農水省の「田舎で働き隊」、NPO「地球緑化センター」が主催する「緑のふるさと協力隊」、財団法人「オイスカ・インターナショナル」の研修センターヴォランティア、派遣会社などが募集する「ボラバイト」など、住み込み有給ヴォランティアを実施している団体・企業が多数がある。 かつては社団法人「日本青年奉仕協会(JYVA)」が募集する、「青年長期ボランティア計画(ボランティア365)」「子どもいきいき!どろんこプロジェクト」、モスバーガー(モスフードサービス)による「夢チャレンジ・地球遊学制度」等もあった。 ○議員インターンシップ  地方議員を中心に、各種団体を通じてインターンを受け入れていることもある。NPO「I-CAS」「ドットジェイピー」などが募集している。  また、各種選挙の時期になると、ヴォランティアの運動員やアルバイトを募集していたり、各種NPOや公益団体が、その団体で活動するインターンを募集したりしていることもある。  余談だが、漫画・アニメ・ゲームに関する資格・検定試験の多くは何故か長続きしているものが少ない。全国統一オタク検定試験、全国総合アニメ文化知識検定試験、ゲームプロフェッショナルアドバイザー(GPA)資格試験などは現在休止となっており、ゲムリエ(認定ゲームアドバイザー、「ゲームのソムリエ」)に至っては構想だけで実施すらされなかった。現在実施されている主な資格・検定としては、漫画能力検定、ウルトラ検定、声優検定、声優能力検定、メイド検定、音楽検定、映画検定、時刻表検定、野球ジャーナリスト検定などがある。  又、「電脳学園」「クイズ殿様の野望」「クイズなないろDREAMS 虹色町の奇跡」「子育てクイズ マイエンジェル」「ときめきの放課後 ねっ☆クイズしよ」「青春クイズ カラフルハイスクール」「クイズケータイQモード~MailもChatも恋しTel」「クイズマジックアカデミー」など、クイズゲームで一般教養を身に付けるのも手かも!? ◎目指せ政治家!?な学校・講座  政治家を目指すにあたって、独学で勉強するのは中々難しい。中学・高校の公民科(政治経済、倫理、現代社会)や商業科、予備校・塾での公民科・小論文試験対策講座、大学・短大・専門学校等の法学科、政治経済学科、行政学科、政策学科、公共経営学科、社会学・社会福祉学科、情報・新聞・広報・メディア学科、教育学科、哲学・倫理学科、歴史学科、農業・農政経済学科、経営・社会工学科、教養学科、総合科学科など、更に各種学校や無認可校・私塾等での行政書士等法律職養成講座、公務員試験講座等でも政治に関する科目が開講されているが、政治家となる為の実践的な教育を行なっている所は少ない。  此処では、実際に政治活動を行なう人材の育成を主目的とする学校・講座を紹介する。 ○松下政経塾  政財界要人養成を目的として茅ヶ崎市に設立され、松下幸之助(パナソニック創業者)の資材の運用益で運営されている。応募資格は学歴不問の22~原則35歳までだが、36歳以上でも応募可能。入塾すると、寮生活をし、毎月20万円前後の生活費と、年100万円の研修費(2年次より支給)を受給しながら最長4年(かつては5年だったが財政難により短縮)の研修を受ける。研修には早朝清掃・ランニング、武道、座禅、神社参拝、徹夜での100km行軍、自衛隊体験入隊、パナソニック系企業での工場労働・営業販売体験等がある。  出身者には自民党や民主党に所属する新自由主義・新保守主義系の議員が多いが、市民の党(旧MPD・平和と民主運動)から推薦・支援を受けている松下玲子(都議)や、公明党に所属する議員なども輩出している。また、神藏孝之(ゲームソフト開発会社「イマジニア」社長)や本間正人(NHK教育ビジネス英会話講師)、高島望(カルト集団「古代帝国軍・富士皇朝・帝國ZX(ザイクス)」『大公爵』(特別顧問))など、実業家や教育者、宗教家なども輩出している。  千葉、岡山、愛媛など、塾出身者を中心に「地域政経塾」が運営されていることもある。 ○一新塾  大前研一(経営コンサルタント)や片岡勝(市民バンク代表、元社民連東京都連書記長)らが、政治団体「平成維新の会」解散後に「ネクストリーダー育成」を目的に発足させた。コースは「政策提言・実現コース」「社会企業コース」「市民プロジェクトコース」があり、東京本科のほか、名古屋・大阪・福岡の地域科、通信科もある。  しょむ系候補として著名な松下幸治も一新塾出身である。 ○PARC自由学校  武藤一羊、北沢洋子らにより設立された市民団体「アジア太平洋資料センター」(PARC、パルク)が運営している社会教育講座。政治活動家・社会運動家養成を目的とした講座もある。北海道や愛知、京都、岡山、福岡等においても定期的に実施されている。 ○HOWS  文芸評論家で、全日本学生自治会総連合(全学連)初代中央委員長でもある武井昭夫らによる親ソ連派団体「活動家集団思想運動」が運営している社会教育講座で、正式名称は「本郷文化フォーラムワーカーズスクール」。社会科学・時事問題関係のみならず、文芸・文化関係の講座や活動も活発で、「文学フリマ」などの同人誌即売会にも積極的にサークル参加している。  事務所である「小川町企画」は、映画上映・批評・制作団体「小川町シネクラブ」や、旧日本労働組合総評議会(総評)系の文芸団体「労働者文学会」などの連絡先にもなっている。 ○労働大学  社会党左派の党学校として設立。機関誌「まなぶ」を発行し、日本労働組合総評議会(総評)系労働運動の理論構築に貢献してきた。総評が全日本労働総同盟(同盟、旧民社党系)らと合併し日本労働組合総連合会(連合)へと再編される中で、労働大学も分裂。現在は連合系の「労働大学出版センター」と反連合系の「労働大学運営委員会」(まなぶの仲間社)の2つが並存している。  各地で「まなぶ友の会」が結成され、学習会が催されている。 ○勤労者通信大学  全国労働組合総連合(全労連)系列の、労働者教育協会(学習の友社)が主催。「基礎コース」「労働組合コース」「憲法コース」などがあり、通信教育で学ぶシステムとなっている。  各都道府県で労働者教育協会(勤労者教育協会、学習協会とも)が組織され、各地で「労働学校」などの連続講座が行なわれている。 ○咢堂塾21  尾崎行雄記念財団を母体とする。「咢堂」は「憲政の神様」とも称された、尾崎行雄の雅号。森山眞弓が塾長、宮台真司がスーパーバイザーを務める。講義は憲政記念館で行なわれている。 ○女性のための政治スクール  細川護煕や加藤シヅエなど、主に日本新党関係者を中心に設立。現在は円より子が校長を務める。主に民主党系議員を輩出しているが、民主党所属が義務付けられているわけではない。尚、男性も受講可能。 ○革命家養成塾・黒色クートベ  元無政府主義思想家で、現在はストリートミュージシャン・ファシズム活動家の外山恒一が福岡市で主催していた。ファシスト団体「我々団」の幹部養成を主目的としていた。  最大半年間泊り込みで研修が行われ、研修中の寝食は保障される。研修中は我々団の活動への参加もあるが、研修終了後については我々団への参加やファシズム運動への参加を義務付けられているわけではない。  他にも、中央政治大学院(自民党)、維新政治塾(維新の党)、小沢一郎政治塾(生活の党)、中央党学校(共産党)、みどりの選挙&政治スクール(緑の党GJ)など、党員向けに行なわれているものもある。司法研修所や防衛大学校、海上保安大学校、アジア経済研究所開発スクール、国連大学(大学院及びグローバルセミナー)、国際連合平和大学など、官立の政策立案者養成施設や、学校法人アジア学院(専門学校)等、民間の政策立案者養成学校もいくつか存在する。  倫理研究所・倫理法人会モーニングセミナーや模擬国連などのように、民間団体が定期的に開いている学習会や、労働組合等の主催する労働学校、行政やカルチャーセンター、企業、団体、個人などで、町おこし等の地域活動の指導者を養成する講座や職業訓練、アナウンス・演説等の講座も行なわれていたり、「週刊金曜日」や「レコンキスタ」(右翼団体「一水会」機関紙)などの読者会が各地で行なわれたりしており、このようなものも役立つかもしれない。  又、地域のヴォランティア活動に参加したり、NPO等に会員登録したり、予備自衛官や消防団・水防団、赤十字社社員、「海守」(日本財団・日本船舶振興会の海難ヴォランティア)、社会福祉協議会会員などに登録したりして、社会に貢献しておくのも手である。なお、消防団や予備自衛官などには一定の給与が支給されるので、職を失っているときの蓄えとしても使えるであろう。 ◎オタク議員誕生!?  オタクの要求を実現する為には、オタクの議員を誕生させるのが1番であると考えるのは自然な事だろう。そこで、 漫画・アニメ・ライトノヴェル関係者、及びそれらに関する重点政策を掲げる議員・候補者をピックアップ。 ○鷲田旌刀  本名は宮崎岳志。新聞記者を経て、2001年、ライトノヴェル作家デヴュー。2006年、民主党新人議員候補公募に合格。2009年衆院選で初当選。代表作に、架空戦記ものの「放課後戦役」等。 ○谷智彦  IT会社役員。匿名掲示板「2ちゃんねる」で、人権擁護法案反対の為に当落度外視で選挙に出馬しようという考えが議論され、最終的に谷が出馬を決意。同じく「2ちゃんねる」で展開されたラヴストーリー「電車男」になぞらえ、「選挙男」と呼ばれた。  2005年東京都議選に目黒選挙区から出馬し落選。街頭演説は秋葉原や新宿等でも行ない、選挙公報にはプラカードを持った「ギコ猫」(アスキーアートキャラ)が描かれた。 ○山下万葉  東京都狛江市出身。実父は山下賢章(映画監督、代表作に「ゴジラvsスペースゴジラ」等)。  2005年衆院選、2010年新宿区長選に出馬、落選。「乙女を守りたい!」と強く訴え、政策は「巫女さんの保護」「ディズニーランドで働く女性職員による外交使節団設立」「アニメ・声優人材バング設立」「男女混浴スーパー銭湯設立」「国営アニメ専門TV局設立」「女子プロ野球リーグ設立」「風俗上専門グループホーム設立」等だった。  地元である狛江市の市長矢野裕(日本共産党所属)に対しては、矢野のサイトにある掲示板に対して批判的な書き込みを繰り返していた。 ○黒田克明  登録制アルバイト。2009年名古屋市長選挙に出馬、落選。街頭での選挙活動は全く行なわず、インターネットでの情報発信と、屋内での個人演説会に終始した。  アニメ「機動戦士ガンダム」やクリスチャン・ラッセン(画家)の作品が好きであると公言、政策は「宇宙エレヴェーター実現」等を主張した。個人演説会では競馬中継のDVD鑑賞等が行なわれた。 ○前田禎信  新潟県出身。2009年衆院選東京1区出馬、落選。新潟在住のため、東京での選挙活動は数日間だけ行なった。街頭演説は白い手拭で自作したタスキをかけて行なった。  アニメ「コードギアス」等を参考とした政策「合衆国日本の実現」等を訴えた。 ○古川圭吾  介護会社役員、教育支援NPO元理事長。2011年東京都知事選出馬、落選。選挙ポスター及び選挙公報に、大きく「攘夷」と書き、在日外国人排斥を訴えた。又、児童ポルノ規制反対や、東北オリンピック実現等を主張した。  他には、「国会報告を漫画で行なう」と主張した高信太郎(漫画家、雑民党・自由連合所属)や、アイドルユニット「BiLLARS★」(ビラーズ)をプロデュースした横粂勝仁(代議士、弁護士)、弘前大学漫画研究会創立メンバーである高橋千鶴子(代議士、共産党所属)、「仏陀再誕」等の布教アニメを多数制作し、さとうふみや(漫画家)や大門一也(アニメソング歌手、「Project DMM」元メンバー)らを衆院選に出馬させた幸福実現党等がある。今田なお(メイド喫茶店員)や春日萌花(プロレスラー、コスプレイヤー)も出馬表明をしているが、実際の出馬には至っていない。  個人的感想だが、女性作家による政治を舞台としたボーイズラヴ作品は時々見られるにもかかわらず、実際に出馬する女性候補は非常に少ない気がするので、今後は女性候補が多数出馬される事を期待したい。 ◎取り敢えず、連絡先は載せような。  各種政治団体の住所は、政治資金規正法に基づき総務省に届け出たものについては毎年発行される「政治団体名簿」(総務省の外郭団体「地方財務協会」発行)に掲載される。その数は膨大で、中には「ホントに活動してんのか?」という団体や、1人の人物が多くの団体の代表・会計責任者を兼務しているものも多々ある(辻山清一族や福田拓泉・撫子夫妻の団体など)。しかし、それらの団体の多くは電話帳に連絡先を載せていない。  筆者は「政治団体名簿」を頼りに、いくつかの政治団体事務所を訪れてみたことがある。中には入口に監視カメラが付いていたり、犬が放し飼いになっていて入口に近づけない状態だったり、普通の民家やアパートの一室で看板も表札も無い所もあった。  取り敢えず、電話帳くらいには連絡先を載せても良いのではなかろうか?出来れば自分が彼らに成り代わって、電話会社に片っ端から電話帳への掲載依頼をしたいくらいである。  読者の皆さんも、支持政党・団体の連絡先が電話帳に載っていなかったら、電話帳に載せるよう要望してみるのも良いかもしれない。 あとがき  本書は様々なしょむ系候補を紹介しつつ、更に、実際に選挙出馬に役立つものを目指して執筆した。本書をきっかけに、年代を問わず多くの人々が政治や選挙の面白さに目覚め、積極的に出馬する人々が各地に現れることを期待したい。  しかし、どうしても自ら出馬が無理な場合は、繰り返し主張したい。棄権・白票・無効票より…、しょむ系候補に賭けてみようや!
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