桜の木の下に埋まる想い

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桜の木の下に埋まる想い

ac9bd734-0734-4379-baf6-86df84941913花見酒をしようという話になった。 それはもうとてつもないぐらいに他愛のない流れで、季節もよく、人気のない公園があるからそこでと、約束をこじつけた。 春はあけぼの。 明るくなりつつある外を眺めながら、佐古葉平(さこようへい)は若干布団の中で気落ちしていた。 ──やらかした。 今日なのだ。今日、清人と花見で酒を頂くのだ。 八弦清人(やげんきよと)とは、葉平の友人であり親友、と己は思っている…人物のことだ。 自分は酒に弱いから体調は万全を期して一杯だけでも清人の酒に付き合うつもりでいたのだ。後はジュースなどで場を取り繕うことにはなるだろうとは思っていたが、流石にこれはない。 「……まさかの徹夜とはな…」 齢40ともなろうおっさんが、まさかの完徹である。 なんでそんなことをした、と思うだろうがそれはもう体はミスターだが心がチルドレンで「楽しみすぎて寝れなかったから」、としか言えない。 布団の中でごろごろはした。目も瞑っていたし、休息音楽なるものを枕元でかけてリラックスし寝ようと試みもした。 飼っている猫二匹が起きてんなら餌くれと申し立ててきても、いいえ下僕は寝ておりますと無視した。 そこまでしたというのに寝れなかったのだ。 そして、そこまでしてしまったから猫は二匹して朝から暴動を起こす始末だし、猫のご機嫌を取るのに苦労したし、頭は鉛のように重い。 その上にだ。背が矢鱈と高い部類に入るので部屋のドアを頭を下げてくぐらねばならないのだが、目測を見誤って出口のへりに眉間をしこたまぶつけたりなどもした。 しかし、痛みにのたうち回っていると、窓からささやかに桜の木が見えた。 桜はこの瞬間も咲き誇り、一年を通してこの時期だけの悲しみや喜びが巡り廻るのを花弁を散らしながら寄り添ってくれる良い花の一例だ。 まるで去らない想いはどんなものでもないとでもいうように。 ああ、楽しみだ。 赤くなる額を押さえて、小さく笑んで先ほどの重い気分はややましになって眠気覚ましにと風呂に向かう。 桜の木の下に、女子高生が立っているのを横目に見た気がした。 清人との待ち合わせは自分の自宅からの最寄駅にて、と決まった。昼も過ぎた頃合いに、──何故だか着物をきちんと着ようとしない長髪の変な美丈夫、清人は蜃気楼のような朧げさで現れた。手には団子が入っているかのような包みを持っている。それがまたなんだか古めかしくて笑ってしまって、手を挙げた時には清人の眉間に皺が寄るのが見えた。 「なんだお前は、人の顔を見るなり笑うなどと…」 「わろてませんて、団子なんて可愛いモン持ってはるなと思いまして」 「団子持ってる男を可愛いと表現するのって女子ぐらいなものではないか…」 暗にごつい見目した自分がやるなと言われているのだなと、あ、はいなんて適当に相槌を打ちながら連れ立って歩き出す。 なんともこの奇妙な友人のことを常日頃から面白いと思って接してしまっている自分がいる。 一緒にいると楽しくて浮足立つ。 そういう自分を見て、清人は大体奇妙なものを見るように顔を顰めるのだが。 その公園は、遊具なんてものはブランコとベンチさえあれば十分だと胸を張っていると思えるほどに、簡素で質素で小さな公園であった。 ──ただ、一つ。 その簡素と質素という言葉をこの季節だけ取り払ってくれる存在があった。 桜の木だ。 見ればごうごうとした桜の枝ぶりは見事で、樹齢いくつだろうとこの桜が見てきた物に想いを馳せてしまう。 ふと、自分をやたらと気遣う母が、自分の気を引くためであったか、「桜の花は好きよ、この季節にこれっぽっちの時間だけしか咲かないのにこんなにも人を魅了するの。散ってもなお美しいし花びらまで綺麗ね」と幼い娘のようなはしゃぎようで言っていた。 だからだろうか、桜の枝ぶりが見え始めたころ、女子高生が桜の木の下に立っているように見えたのは。 一瞬こちらを見ているかと、どきりとした。 女性に目を合わせられるのがどういったわけか得意ではない。とりわけ若い女の子ともなると自分ほどのおっさんは何故か何も思われませんようにと縮こまってしまう。 そんな自分の気配を察したのか隣を歩いていた清人が少しだけ訝し気に「どうした、葉平」と声をかけてくる。 そうだった、自分は一人ではなかったと清人の方を慌てて見て何でもないと取り繕うとして桜の木が今度はしっかり目に入った。 居たと思った女子高生は、居なかった。 「あれっ…、あ、なんでもない!」 気のせいだった、と無駄に恥ずかしくなって後ろ頭を触って誤魔化した。 自分の言葉を聞いて、公園の方を見た清人の顔が、妙に表情を亡くしたように見えた。次いで言葉を発する。 「あの、公園か?」 「そうそう!知っとった?」 「……まあ。お前は”その様子だと知らんようだが”。」 へ、と間の抜けた声が出てしまった。いや知ってるから連れてきたんだとツッコミを入れようかと思ったが追撃を許さないとでも言うように公園の方へ歩みを進めてしまうから慌てて追いかける。 なんだか噛み合わないな。 桜の木の下に置いてあるベンチに座って胡乱な目をしてジュースを飲んでいる。 寝てないせいで自分のパフォーマンスが落ちてるんだろうか? 実は寝てないとこぼした自分に、清人は思い切りよく眉をひそめて、「酒はやめとけ」とびしっと言い渡された為、用意してきた酒缶はコンビニ袋の中でベンチの上で重しの役割を果たしている。 酒に強いのか日本酒をちびちびと煽っている清人は桜を見て目を細めた。次いで自分を見て薄く笑うと「…お前、桜に連れ去られそうだな」と言ってくるので「何を馬鹿な」と笑ってしまう。 「そんな儚さ俺にねえやろ。清人の方がまだそれっぽいで」 とおどけて返すと清人は心外、と肩を竦めた後、 「ここに何も知らずに連れてくるだけ、お前は素質あると思うよ」 と嘯かれる。 「俺には何も視えないがね。」 あれ、なんでそっち方面の話に?とおどおどしてしまう。今日は別に怖い話は必要としてない。 「清人、俺別に怖い話は今求めてへんで」 なんか飛び切り怖い話をされそうな予感がして慌てて相手の話を遮ろうとした。 「そうなのか?」 「いや、そらそうやろ…」 単純に清人と花見がしたかっただけだ。その筈だろう?とざっと桜が風に枝を揺らしたので桜の木を見上げた。 そこに自分に影を落とす人影が見えた。 木の上から。 縄を下げて。 首をだらりと伸ばして。 悲鳴を上げる代わりに己は地面に転がるように飛びのいて。 変わらずベンチの上にゆったりと座って酒を煽っている友人を見る。 そこに。 首吊りの体などぶら下がっていなかった。 清人が俺を見ている。あの”何も視ない”目で、俺を。 心臓が早鐘を打つ。 寝ていないからとか、酒は飲んでいないけど桜が、とか訳の分からない言い訳が地にへたり込んでいる自分の頭の中を駆け巡る。 こうなる自分を知っていたかのように清人は日本酒の入った水筒を置き、ゆっくりとこちらに近づいて、手を差し伸べてきた。 自分は酷く汗をかいていて、気持ち悪いと思いながら、ひやりとした清人の手へと己の手を重ねた。 「桜に、連れていかれなくて良かった。」 そう言って自分の手を引っ張り、桜の木の下に連れていく。 白昼夢を見たせいで近寄りたくなくなっていたし、びくびくと上を確認してしまっていたが、清人がぽつりと言葉を零す。 「ふむ、何かあるな」 そう言って手を繋いだまま、空いている手で指を差す。 そこには革靴…ローファーというやつだろうか。小ぶりな女子高生が履くような。その上にひらひらと土埃で薄汚れた封筒が風に揺れている。 先ほどの女子高生がいたと思った、あの気のせいにした幻を思い出していた。 靴が揃えられて木の下に置かれている。 その事実だけで自分はパニックを起こしそうになる。 早く帰らねば、こんなところにいてはいけない。 そうだ清人を連れて早くこの場を去らねば。 そう思ったが早いか、ビニール袋に無言で少ない荷物を入れ始めた。 「落ち着け、葉平。」 だがそれを諫めたのは清人だった。 「あれの持ち主は多分、死んでおらんよ」 そう言って呆けている自分の見ている前で木の根元に近づいて、靴の上に乗っていた手紙を呆気にとられるほど容易く手に取ってしまう。 二の句が継げぬし、そんな遺書めいたものに触って大丈夫なのかとどういった行動を起こすべきかも解らず呆然と立ち尽くしていると、封などされていなかったのか、手紙であろう紙は容易く清人の白い手の上で開かれた。 清人はしばらく文面に目を通し、自分に向けて手紙を渡そうとしてくる。 思わず首を振ると、「生者の言葉よ、大丈夫さ」と言われる。 清人にそう言われて、乾いた唇を引き結び、手紙を手に取って読み始めた。 『あなたの描く絵が好きでした あなたの描く世界が好きでした 薄暗く、どこか物悲しい、あなたの絵が好きでした あなたは救われなかったのですね あなたを取り巻く世界は、あなたを愛してはいなかったのですね あなたは孤独だったのですね ですがわたしはあなたを愛していました あなたの欲しい世界の外側にわたしは存在していて けれどもたしかにあなたを愛していました それでもあなたはこの世界を愛したのですね どうかあなた 彼方では、幸せで どうかあなた 幸せな夢を見ておねむりください』 読んだ瞬間、何とも物悲しい気持ちになった。 意味はわからなかった。主語が抜けていたし、これを書いた人が、誰かを想って書いた詩であるとしか思えなかった。 稚拙で、だけど深い、きっともう届かない言葉。 「それはラブレターだよ、きみ」 そう清人はぽつりと言った。 「想いは届かなかったのだろうね」 清人はそう言うと、帰り支度を始めた。 先ほど置いた水筒の中にもう日本酒は残っていなかったらしい。何の水音もしない水筒を片手に持ち俺を見据えた。 俺は先ほどの影と手紙の主を想うように桜の木の上を涙を一筋流しながら見上げていた。 「──葉平」 清人が哂う。 「手紙の主と、ここで自決したやつは何の関りもない」 それを聞いた時、一瞬何を言われたか分からなくて眉を顰める。 「お前、本当に知らぬのだなあ。先日ニュースで流れただろう。君の近所のこの公園であろう桜で借金を苦にこの世からオサラバしたサラリーマンがいたこと。画家に想い馳せてこの恋卒業とばかりに靴も置いていった女子高生と、なんの関りがあろうか──」 そこまで聞いて即座に清人の手を引き走り出した。 酔っぱらっているのか高い声でハハハッと笑う清人を超こええ!と思ったし、桜の木に近寄るのがそれ以来怖くなった。 後日、改めて清人と話した際に女子高生をあの日見た気がした、と言えば「そらぁ居たもんな。別な靴に履き替えて帰っていくのを俺は見ていたし」と言われるし、なんだあれは生きた人間だったか!とほっとしていると、「でも木の上から下がる人影なんてキミ、それはホラーだよ」と厭な顔して笑われて、目を白黒させて「今は怖い話いらねえって言ったやろ!」とつっこんでビデオ通話を切ったのだった。 終わり
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